ケーネハスルの馬小屋
ジャジャを見送ったワダはフェニカリデ・グランデジアの別の宿屋ゴムゴロに向かった。手下の一人ツリフと会う約束になっている。
ツリフはワダの依頼で、三の大臣ケーネハスルの屋敷に潜り込んでいる。馬の世話係として雇われたのだ。ツリフはどういうわけか〝馬に好かれる〟男だった。どんな馬でもツリフにはすぐに懐いて言うことをきく。
『仲間だと思われてるんじゃないのか?』
よくそう揶揄われるツリフは決れた顎の、ちょっと見ないほどの馬面だった。
ケーネハスル家の馬小屋で、すぐに全部の馬を手懐けて見せたツリフに屋敷の管理を任されている使用人頭の男が舌を巻き、その場で採用を決めた。一頭の荒馬に手を焼いていたが、その馬さえ自分からツリフに擦り寄っていったのだから無理もない。
ほどなく、ワダの部屋にツリフが姿を見せた。住み込みで雇われたツリフが宿に入るところを見られるのは拙い。勝手口から入っている。しっぽりと濡れているところを見ると雨は降り続いているのだろう。忙しなく布切れを使って身体を拭いている。
「ん? なんか臭わないか?」
ツリフが部屋に入るなり、ワダが苦情を口にする。
「馬小屋に寝泊まりしてる――臭うんなら馬の臭いだなぁ」
ツリフが笑う。
「一日中、馬っころと一緒にいりゃあ臭いもくっつくさ。濡れたんで蒸れたんだろうさ」
鼻に皺を寄せたままワダが
「まぁ、座れ……何か飲むかい?」
酒瓶を傾けて問えば、
「早めに戻らねぇと。抜け出したのがバレちゃなんねぇ。酒は飲みたいところだけどよ。こんな時間に酒臭いのも拙い」
物欲しそうな顔でツリフが答える。
「それじゃあさ、小瓶に詰めてやるから持ってけ。仕事が終ったら飲めばいいさ」
ありがてえ、嬉しそうにツリフが言った。
馬小屋で寝泊まりって、ちゃんと寝具はあるのかい? 飯はどうだ、満足に食べさせて貰ってるかい? 一頻りワダが尋ねる。
「馬小屋の中の小部屋が俺の部屋だ。ケーネハスルん家じゃ、馬小屋も立派さ、心配しなくて大丈夫」
酒瓶の土産があるからか、ツリフはいたって上機嫌だ。
「飯は使用人用の小屋があって、決められた時間にそこのお勝手に行く。普通に食えるよ、普段食べてるものと変わらねぇ――勝手仕事のネエちゃんが俺の馬面を気に入ってよぉ、顎を撫でさせろって煩くて敵わねぇよ」
「別のところを撫でさせてえって顔だ――女に気をやって、自分の役目を忘れんじゃねえよ」
ワダが釘をさすと『へへへ』とツリフが笑った。
ツリフが雇われてから二十日、この間、ケーネハスル家を訪れたのは出入りの商人だけだ。その中でもここ最近、何人もの衣装屋が頻繁に来ているようだとツリフが言う。
「そりゃあれだな」
訳知り顔でワダが答える。
「筆頭魔術師さまが王家の守り人の任を解かれるからじゃないかな? ケーネハスルにはお嬢がいるんじゃ?」
「ああ、二人いるな。上が二十歳で下が十九。ちょっとだけお姿を拝見したが、二人ともえれえ別嬪でよぉ。目が潰れるかと思ったよ。俺の好みは下のお嬢だ。愛くるしいってのはあれを言うんだろうな……それがどう繋がるんだい?」
「目が潰れるって言いながら、しっかり見てやがる」
と〝下が好み〟を皮肉ってワダが笑う。
「王が筆頭魔術師の嫁さん候補を探してるんだよ。で、妙齢の娘がいる貴族は売り込みに血眼さ」
以前、街に流れた筆頭魔術師が王の愛人という噂は、ワダが流したと手下はみんな知っている。
「ふふん、筆頭魔術師さまは幾つなんだい?」
「確か二十四だ」
「二十四で自分の嫁を他人に探して貰うんだ? なんか、情けなくないか?」
「俺たち下々のモンと違って身分あるおかたたちはいろいろ難しい条件もあるだろうし、何か事情があるんだろうさ」
納得できない顔でツリフが『ふうん』と鼻を鳴らした。
屋敷の内部にはまだ入れない。ケーネハスル本人の顔もまだ見ていない。
「使用人頭が言うには、ご主人は王宮内のお屋敷暮らし、あの屋敷には奥方とお嬢が二人に十五の一人息子しかいねぇ。なのに使用人は俺を入れて十二人、多過ぎだろ?」
「貴族って見栄を張りたがるからなぁ……いずれ屋敷の中にも入れるようになりそうか?」
「十二人のうち、清掃係が五人、うち一人がバアさんで、こないだ腰を痛めた。長いこと使ってるから首を切るのは忍びない。そのバアさんの負担を減らすのに掃除係を増やそうかと思うが住み込ませる部屋がない」
「なるほど、馬係と掃除係、兼任しろと言われた?」
「さすがワダ、察しが早い――で、使用人頭の独断じゃ決めらんない。ご主人に諮ってからだって言ってた」
「そうか――掃除係になったからって不用心に邸内を探ろうとするなよ」
「判ってるって、疑われて追い出されちゃ元も子もない」
「ケーネハスルってのは使用人を大事にするんだな――貴族さまは評判を気にして使用人にも無体なことはしないもんだが、ロクに働けなくなったバアさんを雇っておくってのは聞いたことがない」
「あぁ……」
ツリフが軽く笑う。
「そのバアさんは特別らしい。勝手仕事のネエちゃんが教えてくれた――前のご主人の女だったんだとさ」
「前のご主人? ケーネハスルの親父か?」
「そう、それ。で、ソイツの遺言で死ぬまで屋敷に住まわせろってことらしい。部屋も他の使用人と違って、隅っこだけど屋敷の中だ」
「へぇ……そのバアさん、幾つくらいなんだぁ?」
「齢かぁ? 五十過ぎってとこかなぁ」
「思ったよりも若いな。ってか、ケーネハスルと大して変わらないじゃねぇか」
「そうさ、だから最初に『愛人』って聞いた時にゃケーネハスルのかと思った。でも違うらしい」
「その話、使用人たちはみんな知っているのか?」
一瞬『しまった』といった顔をしたツリフが次にはニヤッとする。
「いんや、知らないはずだ。誰にも言うなって言われたし……勝手仕事のネエちゃんに寝物語で聞いたんだ。ネエちゃんはケーネハスルから、やっぱり寝床で聞いたって言ってた――ケーネハスルの愛人はそのネエちゃん、時どき〝お使い〟と称して王宮内の屋敷に呼ばれてく」
「おいおいおいおい! おまえ、もう!?」
「だってよぉ、夜中に部屋に来られてみろ、出てけとは言えないよ――ご主人さまはここんところ忙しくって呼んでくれないんだと。寂しかったんだろうなぁ」
ワダがチッと舌打ちする。ツリフの馬面を見て、アソコも馬並みとでも思ったのか? そんなことをさせるために潜らせたわけじゃない。でも……むしろ好都合?
「ったく、仕方ねぇヤツだ。くれぐれも周囲に知られるなよ? ところで男の使用人は何人いるんだ?」
「俺とあとは使用人頭だけだ」
「使用人頭は幾つくらい?」
「七十ってとこじゃねぇかな? 訊いておくかい?」
「いや、訊かなくていい……女の相手をするのはいいけど、ドジを踏むなよ」
「判ってるって。それじゃあ行くな」
そう言ってツリフが立ち上がる。テーブルに置かれた小ぶりの酒瓶を嬉しそうに懐に入れた。
「戻ったら庭のゴミ拾いでもするかな。濡れてる言い訳つくらにゃならん」
「苦労を掛けるな。風邪っぴきには気を付けろよ」
それじゃあな、と出て行くツリフ、口の中で『看病してくれるかなぁ』と言っているのは勝手仕事の女を思い出しているのだろう。
寝物語と聞いて、
『女には関わるな、ケーネハスルの女を盗むなんてとんでもねぇ』
そう怒鳴りつけようとしたワダだったが、思い直してやめた。ケーネハスルはその女に気を許しているようだ。情報が引き出せるかもしれない。
だがそれを、わざわざツリフには言わなかった。話しを聞き出そうとして、会話が不自然になれば女が警戒する。
どうやらその女はおしゃべりだ。自分が主の愛人だなんて秘密をツリフに話したところを見ると、ツリフがほかの使用人に話すはずがないと見込んでいる。奥方に知られるのを恐れ、ずっと隠しているだろう。
そして女の〝寝物語〟の相手はツリフ一人だ。いくら女が男に飢えていても、七十の使用人頭に手を出すと思えない。若いツリフ一人のはずだ。そして他には言えない話を、聞いてくれる相手も欲しい。女にとってツリフは一石二鳥、きっと面白い話を、訊かなくても話してくれる。
杯に残った酒を飲み干して立ち上がるとワダは窓辺に立った。雨は勢いを増したようだ。
(もうジャジャは守り人とやらになっちまったのかな?)
ジャジャを思い浮かべ、そしてあの夜のサシーニャを思い出す。いつも涼しげなサシーニャの激しい一面を見たと思った。ワダにはサシーニャが日ごろの不満込みで爆発したような気がした。
(あんなに身分の高い人でも、いろんなことを我慢してるんだろうなぁ……)
むしろ身分あるほうが我慢することも多いのかもしれない。身分があるってことは立場もあれば使命もあるってことだ。
今日はこの後、カルダナ高原を任せたコネツが来ることになっている。本格的な雨期が始まり、カルダナ高原の工事は中断している。コネツは労務者たちに休暇を与えたらしい。サシーニャの部下の若い魔術師が先にフェニカリデに帰っていて、ワダにも報告に来た。宿の玄関に、ジャジャを迎えに来たのもその魔術師だ。
サシーニャに言いつかってきたという若い魔術師の名はチュジャンエラ、〝チュジャン〟って呼んでくれと言った。理由を聞くと、
『人によっては僕の名前、噛んじゃうんだよね』
といやそうな顔をした。
『サシーニャさまも僕をチュジャンって呼ぶよ。僕には〝さま〟もいらない……仲良くしてね』
人懐こいチュジャンエラに、魔術師さまでもこんなに親しみやすい人もいるんだなと、ワダは認識を変えている。そしてそんなチュジャンエラがサシーニャの傍にいることに、なんとなくホッとしていた。
チュジャンエラが来たのが六日前、コネツはどうしたんだろうと心配していたワダに連絡が来たのは一昨日の夜、昨日はジャジャとの約束があった、だから今日、会うことにした。
フェニカリデに来る前にベルグのワダの家に行ったらしいが、それにしても遅い。いったい何をしていた? 本人に会えば判ることだ。
コネツはフェニカリデで暮らす妻子のもとに帰っている。久々の家族団欒で疲れを癒しているだろう。
ふと、ワダはコネツが羨ましいと思った。俺には帰るべき家族がいない。だが、すぐにこう思い直した。俺には俺を頼りにしてくれる手下たちがいる。俺が帰るところはそこだ。それに――
(リオネンデ王、サシーニャさま。俺はきっと家族がいても、あんたたちを優先するだろうね)
だとしたら、家族なんて持てないな。苦笑いするワダだった。




