死神の紋章
真っ青な顔でジャッシフが言う。
「髪を重ねて墓廟に? 連れて行っただけでもとんでもないのに、墓廟に髪を重ねて奉じた……」
ジャッシフの足元がふらつく。眩暈を感じたのかもしれない
「サシーニャは許したのか?」
「サシーニャが魔法を使わなければ墓廟は開かない。サシーニャが魔法を使ったって、参じる者のなかに王家の一員に相応しくない者がいれば、やはり墓廟は扉を開かない」
「スイテアは王墓の守り人にも王廟にも認められた……」
「そうだ、その通りだ。そして重ね髪の儀が行われ終わった。もう取り消せない」
「うむ……」
ジャッシフは暫く呆然としていたが、
「なぜ、事前に相談しなかった?」
と硬い声で言った。そしてリオネンデの腕を引いて自分に引き寄せる。
「あの女はおまえを殺そうとしている。それを近くに置くことだけでも考えものなのに、なぜ王家の一員の身分を与え、片割れにした? 判っているのか? 一生傍に置くことになるんだぞ?」
ジャッシフの声は潜められ、衝立の向こうにいるスイテアにさえ聞き取れなくなった。
「あの三日間、サシーニャを見つけて王宮に呼び戻すまでの三日間、おまえが生死の境を彷徨うのを俺は見ていた。見ているしかなかった。同じ苦しみをまた俺に与えるのか? いつそうなるかも知れない怯えを抱いて生きて行けと、おまえは俺に言うのか?」
ジャッシフに呼応してリオネンデの声も潜められる。
「心配無用だ。あの娘に容易く殺される俺ではない。だいたい人はいずれ死す」
「嘘だ。おまえはリューデントを亡くしてからというもの死に場所を探している」
「――やらねばならないことがある。それを成すまでは死ねない。死にはしない」
「リオネンデ……」
「必ず父と母の仇を打つ――そうか、俺があの娘に肩入れするのは、仇を討ちたいという同じ願いを持つからかもしれないな」
「リオ……」
「今では俺をリオと呼ぶのはおまえだけだ、ジャッシフ――頼りにしているよ。スイテアの事も俺同様守って欲しい。頼んだよ」
自分を掴むジャッシフの手をリオネンデが静かに解く。
それでもジャッシフはリオネンデを見詰めていたが、大きく溜息を吐いた。
「それで? あの娘の紋章は何にする? ベルグに出かける前に国内にふれを出したいのだろう? まず紋章を決めなくてはな――紋章が決まれば三日もあれば披露目の宴の用意はできる」
うん、とリオネンデが頷く。
「紋章か……やはり、決めなければならないだろうな」
「当り前だ。王家の一員となったからには印が必要だ」
「母上は父上との婚儀から半年後に紋章を定めたと聞いたぞ」
「王妃さまの場合、婚礼より半年後に王家の一員に迎えられた。前国王が王妃さまに会われたのは婚礼の日が初めて。半年の間、あのお二人は愛を育まれた。この話は前にもしたぞ?」
「そうか……そうだったな」
リオネンデがそっと微笑む。
「うん、あの娘の紋章を『死神』と定めよう――俺の命を狙う者に相応しかろう」
「えっ?」
「あの娘にも扱いやすい剣を作るよう、サシーニャに頼んである。それが出来上がったら、ジャッシフ、おまえがあの娘に剣を仕込め。死神と畏れられるほどの兵に仕立て上げろ。戦場に伴えるくらいにな」
「ほ、本気で言っているのか?」
「おまえが言う通り、俺は死に場所を求めている。念願を叶えた暁には、あの娘に殺されてやると約束した。その時、王家の一員とはいえ、たかが女に殺されたんじゃ、王として恥だ。死神に殺されたとあれば面目も保てようというもの」
「……リオネンデ、呆れてもいいか?」
ジャッシフは手を額に当てて頭痛を押さえているようだ。
「ダメだと言っても、すでに呆れているのだろう?」
軽く声を立ててリオネンデが笑う。そして心の中で呟く。
(リューデントを殺したのは俺だ。そしてリオネンデも死んだ。今さらだ。今さら殺されたくないなどと言えるものか)
心内を隠してリオネンデが言った。
「紋章の意匠を早く作らせろ。いくつかの候補を持って来い。その中から俺が選んで決める。死神の恐ろしさを再現させろ――用は済んだのだろう? とっとと退出したらどうなんだ?」
「 ふむ……ベルグ視察に出立するのは十日後とし、スイテアが王の片割れとして王家の一員となった披露目の席で周知することにいたしましょう。披露目は七日後。これでよろしいか?」
「うん。紋章を間にあわせろよ」
「はい、この足で意匠を作らせに参ります」
ジャッシフは一礼して退出した。
そのあと、リオネンデは大テーブルに広げっ放しにしていた地図を、顎に手を当て見ていたが、薄笑みを浮かべると衝立の向こうに足を進めた。
長椅子に腰かけていたスイテアがリオネンデを見て身構える。
「王の片割れとはなんだ?」
震える声でスイテアが問う。
「死神と呼ばれるほどの兵とは、どういうことだ?」
「ふむ……王の片割れとは、その言葉の通りだ。レムナムに聞いたんじゃなかったのか?」
「レムナムは妻とは呼ばれない妻だと言った」
「まぁ、それも間違いじゃない……俺が不在の場合、自動的におまえは俺の代理となる。王の執務室に誰かを呼んで命じる事ができる。俺が死んだ時、俺に子がなければおまえが王位を継ぐのも可能。だが、可能なだけで、おまえには王家の血が流れていない。王家の守り人サシーニャがおまえの王位を認めても、多分、墓廟の扉は開かない――うーーん、どっちにしてもサシーニャはおまえを王とは認めないだろうな。まっ、おまえが俺の子を産めば確実に次の王はその子だ。もし、俺が正式な妃を迎え、その妃との間に子を為していても、だ。判ったか?」
「……それで、死神は?」
「それか。それはおまえが俺を殺したがっているからじゃないか。易々と殺されるわけにはいかないと言っただろう? 剣を自在に操れるようになれ。いずれ戦場にも連れていく。人の命を奪ったところで怖気づかなくなるようにしてやる」
「わたしはっ!」
慌ててリオネンデがスイテアを押さえつけ、その口を塞ぐ。そして耳元で
「大きな声で、王を殺すなどと言うな。俺は必ずおまえに殺されてやる。そのための準備だ。おまえにとっても悪い話ではないはずだ――殺されてやるのだ。それまでは俺を楽しませてくれてもいいんじゃないか? いろいろと、な?」
と囁く。
スイテアを押さえつけるリオネンデの手がスイテアの胸を探り始める。耳元で囁いた唇が首筋を這い始める。口を塞いだ手が除かれ、唇を貪り始める。
ひとしきり唇を味わった後、リオネンデがスイテアを見詰める。
「俺の死神は愛らしいな。たったこれだけで瞳が潤んでいるぞ――いいか、必ずおまえが俺を殺せ。他のヤツに殺させるな。判ったな?」
そう言うと、スイテアから離れ、衝立の中から出て行った。
残されたスイテアが考える――やはりリオネンデは殺されたがっている。そしてリューデントを手に掛けたことを悔いている……
リオネンデを殺すことに意味はあるのか? スイテアは自分に問いかける。殺してくれと願っているのに殺せば、向こうの願いは叶うわけで……それを復讐と言っていいのか?
それよりも、願いを叶えずにいる事のほうが復讐になるのでは? その前に、そもそも復讐が必要か?
(あの夜、なにがあったのだろう?)
それを知らない限り、復讐の必要性も、復讐の意味も判らないのではないか? スイテアがあの夜の出来事を思いかえす。
あの夜――
王宮に叫びが上がった。何事? とリューデントが顔色を変える。
「様子を見てくる。あなたは自分の部屋にお戻りなさい」
急なことにリューデントさまは慌ててらっしゃる、わたしのことを『あなた』と呼んだ。いつもは『スイテア』と呼び捨てるのに……スイテアはいつもと違うリューデントの言葉遣いに少し笑って、それでも従って後宮、王妃の館にこっそり忍び込み自分の部屋に帰った。誰かに見つかり、どこに行っていたと問い詰められるのは拙い。
すると今度は王妃の間に異変が起こる。誰かが王妃の寝所に押しかけ、王妃さまと言い争っている。男の声がして、誰も来るなと人払いしている。
国王と王妃さまが言い争い? 珍しい事があるものだと思った。
そして、いつの間にか王妃の寝所から火の手が上がり……
「逃げるんだ。庭から王宮の外に抜ける道は知っているな? そこを使って街中に逃げろ。リッチエンジェに乳母が住んでいる。いつか話したよね。そこを頼れ――リューデントからの伝言だ」
スイテアの部屋に駆け込んできたリオネンデが怒鳴りつけるように叫んだ。獅子の紋章を身に着けていなければ、リューデントと間違えていただろう。言葉を交わすのは初めてだった。
窓から庭に出るのを手助けしてくれてから、リオネンデは部屋の出入り口へと消えた。王妃さまの寝所に戻ったのだとスイテアは思った。
それにしても何が起きたのだろう? 王子と言えど王妃の間には立ち入ってはいけないはずなのに……
迷っているうち、炎が燃え広がっているのが庭にいても判るようになる。そして女たちの悲鳴が後宮に響きわたり、スイテアは慌てて逃げた。でもなぜ? 火事ならば庭に出ればよいのでは? でも、リオネンデはリューデントからの伝言だと言った。リューデントには逆らえない。逆らいたくない。スイテアはリッチエンジェに向かった。
(あの夜、庭でわたしはリューデントさまと会っていた。王妃さまの兄君が遠路はるばる会いにいらしたんだった。王妃さまの父君が亡くなって王位を継いだと可愛い妹に告げに来たと聞いた。それで、宴があって……そのあと、国王夫妻と王妃さまの兄上、そしてリオネンデさまが広間に残り、リューデントさまはこっそり抜け出してわたしと会っていた――わたしが王宮の庭で会っていたのはリューデントさま、ドラゴンの紋章の襟飾を覚えている。わたしに逃げろと言ったのはリオネンデさま。獅子の紋章の襟飾りだった)
間違いない。でも、わたしは何か、見落としている気がする。いったい何を見落としているんだろう――




