カルダナ高原の風
知り合いなんかじゃねぇよ、ワダが断言する。
「そりゃあ、直接話したこともある。こっちの顔も名前も覚えて貰っちゃあいる。でも、王さまで、それを支える魔術師さまで、知り合いだなんて畏れ多すぎる――お二人は俺に優しいし、気を遣ってくださる。だがきっと、それは俺だけにじゃない。敵対しない限り、どんな人にもあの二人は気遣う事を忘れない、俺はそう感じる」
感心して溜息を吐くのはコネツだ。
「リオネンデ王ってのは、大した王さまなんだなぁ……まだ若いんだろう?」
そして故郷オーウエナリスの話をした。
「たぶんそれはサシーニャさまの指示だな」
ニヤニヤ笑いながらワダが言う。
「嬉しそうだね、ワダ」
「そうか?」
「なぁ、知り合いじゃないんだったらなんだ?」
「そうさなぁ……」
ワダが少し考え込む。
「簡単に言えば、雇い主。でも、それだけじゃない」
「雇い主?」
「俺が盗賊として初めて王に会った時、王は俺に、手下もひっくるめて暮らしが立つようにする、だから盗賊なんか辞めろって言った」
「え?」
「それから俺は手下どもを使って王のために働いている。でも、俺に取っちゃあ生活のためだけじゃない。王の役に立ちたい、その思いのほうが強い。ありゃあ、王さまなんだよ、王さまそのものなんだ」
「働くってどんな?」
「それは言えない。王との約束だ」
「おまえの手下は王の仕事だって判ってるのか?」
「あぁ、そりゃあな。俺の手下は口が堅い、秘密を漏らすはずがない。だいたいみんなリオネンデ王に忠誠を誓っている。もちろん俺もだ」
「王への忠誠――」
コネツが目を泳がせる。
「なるほど、そんな王さまなら、誓いたくもなるってもんだ――なぁ、ワダ、俺もおまえの手下と一緒に使っちゃくれないか?」
「おいおい……」
喋り過ぎたとワダが後悔し始める。
「言っただろう、秘密厳守。それにあんた、ゴルドント出身だろ? 仲間にゃできないよ」
「なに言ってる、さっきリオネンデ王は自国も他国もないと考えてるって言ったじゃないか。それに今じゃゴルドントはグランデシアの一部、俺もリオネンデ王の民だ」
「そうは言ってもよぉ、コネツ……」
困り果てたワダは泣きそうだ。
結局、ワダの持ち物の宿のひとつでコネツが働くことで、暫く様子を見ることになった。そうして働くうち、妻子を呼び寄せろとワダに言われ、家族で暮らす家も与えてくれた。そしてある日――
「コネツ、おまえ、オーウエナリス港の修復工事をしてたって言ってたよな?」
いつになく真面目な顔でワダが訊いた。
「妻子と離れての仕事になる。結構長く会えなくなるだろう。険しい山の中でのきつい仕事だ、不自由なことも多いし、危険な作業もあるだろう――秘密厳守は言うまでもない。それでもやるか?」
「具体的に何を?」
「山の尾根や谷を利用して大きな岩の壁を作る」
「はぁ? 何のために?」
「川の流れをその壁に向かわせ、そして堰き止める――下流で頻繁に起きる氾濫を防ぐためだ」
「そ、そんなこと、できるのか?」
「サシーニャさまが何年もかけて計画したそうだ。できなくたってどうにかするって、サシーニャさまは言っているし、なんとしてでも完成させるとリオネンデ王は言っている」
「しかし……いや、そんなことができるとしたら、そりゃあ凄いことだ」
「うん、そうだろう? しかもリオネンデ王は溜めた水から水路を引いて、グランデジア中、水に困らない国にしたいと考えてる」
「なんだって? そんな大掛かりな――」
「王もサシーニャさまも、自分たちが生きている間に完工しないと言っている。でもな、自分たちで始め、部分的にでも成功を見せれば、続く世代が受け継ぐと信じていらっしゃる――この話を聞いた時、俺はリオネンデ王を信じてよかったと、心の底から思ったよ」
「ワダ……」
コネツが情けない顔でワダを見る。
「俺は、腰が抜けちまったよ」
そしてワダから目を離さず続けた。
「俺、そこで働く。力仕事ならできる。なんでも言いつけてくれ――女房子どもに会えなくなるのは寂しいが、そんな立派な仕事に携えるなら、男冥利に尽きるってもんだよな」
そんなコネツに微笑んでワダが言った。
「コネツ、おまえには現場を仕切って欲しいと思ってるんだ」
「えっ?」
「おまえを親方にってのはサシーニャさまの指示なんだが……おまえ、オーウエナリスじゃ結構ならした職人だったらしいじゃないか」
「港の護岸工事とか、そんなことしてた」
「その知識と技術がきっと役に立つと見込んだそうだ――どう工事するかは指図書が出る。図面が読めるってのも、おまえが選ばれた理由の一つだ。百人以上の人足を束ねることになるが、補佐役の職人はおまえが欲しいってだけ俺が探してくる。それにサシーニャさまも何人か魔術師を行かせるって言ってる。だから心配せずに引き受けて欲しいってさ」
「俺が親方……」
「俺もしばらくは現場にいるようにする、困ったことがあったらなんでも遠慮なく相談してくれ――引き受けてくれるな?」
コネツから戸惑いは消えていた。ワダが『王のために』と口にするのがよく判った。なんとしてでも役に立ちたい、しかも指名してくれたのだ。荷の重さはひしひしと感じる。だが期待に応えたい。そう思ってワダの申し出を受けた。そして連れてこられたのはカルダナ高原だった――
(しかし――壁の高さが出れば出るほど、崩壊の可能性が高くなるんじゃないだろうか? それに、高いところまで岩を運ぶのも難しくなる)
積み上げられた岩の壁を下から眺めながらコネツが考え込む。
そのコネツに近寄る人影があった。魔術師のチュジャンエラだ。
「ここにいたんだ、探したよ」
チュジャンエラが人懐こい笑顔を見せる。
まだ若い……十七、八の魔法使いはサラリと心に入り込み、工事のために集まった人足たちにすぐに馴染んだ。誰もがチュジャンエラを好いている。高原を抜ける爽やかな風のようだとコネツは思っていた。
「雨期が本格化したら休暇だってね」
「あぁ、雨の中じゃ安定させるために使う砂が流れちまうからな」
「その砂なんだけどね、枯草を細かく裁断したものを入れて練った土を加えろって。できるだけ粒子が小さい土がいいってあったかな?」
「えっ?」
「土なんか幾らでもある。問題は枯草をどこから持ってくるかだね」
「いや、チュジャン、その方法、おまえが考えたのか?」
「まさかぁ!」
チュジャンエラが面白そうに笑う。
「僕にそんな知恵、あると思う? サシーニャさまの指示だよ。さっき、手紙が届けられたんだ。コネツあてにもあるよ。そうだ、それを伝えるためにコネツを探してたんだった。詰所の、コネツの机に置いといた」
「そうか、それでサシーニャさまはほかには?」
「あぁ、なんかね、高さがきつくなったら、側壁に緩やかな坂をって――コネツにも説明したってあったよ。早く自分あての手紙を読んだら?」
「そうか、判った――ありがとう、チュジャン」
チュジャンエラを置き去りに走り出すコネツ、チュジャンエラはクスクス笑いながらコネツを見送った。そして先ほどコネツがしていたように岩の壁を見上げる。
「さすがにサシーニャさまでも無理かぁ……」
魔法で造れないのですか? チュジャンエラの質問、サシーニャの答えは
『今は難しい。が、いずれ、数人掛かりで魔力を使えば可能になるかもしれない』
だった。
サシーニャはダムを魔法で造る方法を模索している。一時的に川の流れを止めて橋を架ける、そんな魔法はあると言っていた。だが、その魔法、今回は何の役にも立たない。川を堰き止めたいわけではない。
(今日もサシーニャさまは、大忙しなんだろうな)
チュジャンエラにとってサシーニャは師匠だった。見習い魔術師のころからサシーニャに師事している。サシーニャの見た目を恐れ、周囲はチュジャンエラを気の毒がったが、本人は気にしなかった。
『金色の髪、綺麗だよね、羨ましいくらい』
そう言って同情する連中を煙に巻いた。
そして何しろ魔術師として抜きんでた実力を持つサシーニャを尊敬していた。ただでさえ強い魔力、豊富な知識、それに満足することなく研究を重ね、新たな魔法を生み出しさえする。サシーニャの弟子と陰口めいて言われるが、それがチュジャンエラはむしろ誇らしかった。
ふっとチュジャンエラが笑みを漏らす。
(サシーニャさま、少しは自分のことも労わるのですよ)
手紙の内容を思い出し、そう思うチュジャンエラだ。サシーニャはこちらの心配ばかりしていた。再び岩壁を見上げてから、チュジャンエラはゆっくりとした足取りで自分の宿舎に帰っていった――
勢い込んで詰所に入ってきたコネツを周囲が驚きの表情で見る。それに気づくことなくサシーニャからの手紙を開封するコネツだ。
チュジャンエラが言うとおり、高さが増した岩壁の対処法が記してある。壁の側面に、できるだけ緩やかな傾斜、折り返しを付けて目指す高さまで登っていけるよう坂を作れ……なるほど、それを使えば重い工材も工具類も運んでいける。
岩壁が完成すれば、砕いた岩と樹脂を混ぜた物で表面を覆う。その工程を壁の上部から始め、下に行くに従って坂は崩していく――
「なるほど!」
思わず呟くコネツ、これはいつものことと周囲は気にしない。
土に枯草を混ぜる件については、急ぎ枯草を用意するとあった。枯草を混ぜ込んだ土が、岩の隙間を満遍なく埋めて、崩れ難くしてくれるはずだとあった。
『苦労を掛けて済まない――困りごとがあればなんでもワダに言って欲しい。ワダはコネツの言葉をそのままわたしに伝えてくれる』
身分のある人が、済まないと労わってくれる。ワダに言え、と命令ではなく、言って欲しいと願ってくれる。俺の言葉を聞きたいと言ってくれる。
『本来ならば、わたし自身が現地に行くべきだと判っている。だが、許して欲しい。いずれ機会を作り、足を運ぼうと思っている』
お忙しいかただとワダが言っていた。下手をすると王より忙しいかもしれないと聞いた。弟子だと言うチュジャンエラが『ほっとくと働き詰めで何日も寝ない、なぁんてことがあるから心配』と嘆いでいた。
きっとサシーニャがこの高原に顔を見せることはないだろう。でも、ひょっとしたら来てくれるかもしれない。黄金の髪、青い瞳、白い肌だと聞いている。それだけ聞けば恐ろしいが、それでも俺は会ってみたい――コネツは強くそう願う。そして、
(そんとき俺は……サシーニャさまの足元に平伏しちまうかもしれねぇなぁ)
と感じていた。




