獅子王リオネンデ
戦勝祝いの宴は夜通しで行われ、ますます盛り上がりを見せていた。あちらこちらに焚かれる篝火、酒や、肉の焼ける匂い。奏でられる音楽は鳴り響き、半裸の踊り子たちが妖艶な腰つきを披露する。それに食い入るような視線を投げる男たち、そして――少し前に戦利品として連れてこられた女たちが下級兵士たちにも振舞われ、叫び声や悲鳴、許しを請う泣き声、性交が引き起こす猥雑な音も加わって、まさに天国と地獄が同居するような騒ぎと化していた。
そんな下級兵士たちが集められた宴とは別に、王侯貴族が集まる宴は王宮の、庭に面して開け放たれた広間で催されている。そのまま庭に出られ、庭から直接内部に入ることもできる。夜風が心地よく酔いを醒まし、次々と運び込まれる酒も足りぬほどだ。
下々の騒ぎはここまで届くものの、彼らがここに来られるはずもない。ここに居るのは王侯貴族、彼らがこの宴に列席したいとなれば、相応の功を立てて伸し上がるしかない。
数段高く設えられ、美しい女たちを侍らせた座に、どっしりと構えるのはこの国の若き王だ。片手に持った酒瓶を口元に運んでいる。
中央に大きく間を取り王を囲むのは、やはりこの国の貴族たち、ある者は王の気を引くため、ある者は王に嫌われぬため、またある者は王の力に心酔しているがため、そしてそれ以外の者も、王の側にいる事が自分の保身に繋がると知っている、そんな者たちだった。
若いとはいえ、決して侮れない自分たちの王を、恐れぬ者はこの国にはいないだろう。四年前、父王を殺め、自分の母親である王妃を死に追いやり、更に王太子だった双子の兄を惨殺し、王座を手に入れた現王だ。そしてこの四年の間、徐々に近隣諸国を制圧し、『いずれグランデジア王国はこの大地を統べるだろう、その時の王は獅子王リオネンデだ』と言われるようになっていた。
獅子王――リオネンデの紋章は雄叫びをあげる獅子の姿だった。
王座を継いですぐのころはリオネンデを傀儡としようとした重臣たちも、決して意のままにならぬ王に手を焼いたが、王座にある限り表だって逆らう事もできず、気が付けば王は実力を示し足元を固めていた。しかも逆らえば、重臣であろうと容赦なく処罰した。
老獪な重臣たちもリオネンデを操る事を諦めざるを得ず、むしろその怒りを買わぬよう心を砕くしかなくなった。逆らう者は、敵であろうと味方であろうと惨殺する、いつかリオネンデは『虐殺王』と影に囁かれることになる。
今宵の宴は前王の時代より小競り合いを繰り返し、手を焼いていた隣国ゴルドントをとうとう制圧し、念願の『港』を手に入れた祝いだった。
ゴルドントはいくつもの堅牢な砦を有し、迫りくるグランデジア軍を撤退させることはできずとも、充分に疲弊させた。結果グランデジアは少しずつゴルドントを切り取ることしかできずにいた。
そのゴルドント各地に、重臣に諮る事もなく腹心の精鋭たちを移住民として潜り込ませたのはリオネンデだった。
彼らの使命は長期にわたる戦争によるゴルドント国民の不満分子を組織し、グランデジア本軍の準備が整うのに併せて、各地で同時に蜂起させることにあった。
この企てはおおいにあたり、国内の暴動に慌て敵国の来襲に浮足立ったゴルドントは一溜まりもなかった。ゴルドント王は捕らえられ、若き王リオネンデのもとに引きだされた。そしてリオネンデが薄ら笑いを浮かべる目の前で首を落とされる。
さらにリオネンデは各地で暴動を起こした民たちの虐殺を、潜り込ませた精鋭たちに命じている。
自国の王に剣を向けた者を生かしておいてもためにはならない――リオネンデはそう言ったらしい。まさに虐殺王の本領発揮だと、人々を震撼させた。
そしてその勝利の宴の場、王の御前に集う者たちの中で今、一番注目を集めていたのは一人の踊り子だ。黒髪を振り乱し、しなやかに踊るその姿は確かに他の踊り子と比べてもずば抜けて美しい。下々の集まる場所で踊っているのとは違い、薄物ではあるが肌の露出は多くない。それでも目を引くその動きは、容姿の美しさをさらに引き立てていた。
いったい誰が連れてきた踊り子だろう、貴族たちの興味はそこに向いていた。踊り子であろうと、身元が明らかでなければこの場に侍る事は許されぬ。踊り子は誰かが王に献上した貢物のはずだ。
上座にいる若き王は、その踊り子から一時も目を離すことなく眺めている。必ず今夜、あの娘は王の閨に呼ばれるはずだ。そのまま気に入られて、運よく王の胤を宿せば、あの踊り子を王に献上した者は間違いなく王のお気に入りとなる。貴族たちが踊り子から目を離さない一因はそこにあった。
踊り子のほうも、飼い主から言い含められているのだろう、少しずつ、王に近づいている。腰をくねらせ、腕を伸ばし、挑発的な目つきを王に向ける。だが踊り子は、少し王に近づきすぎたようだ。王の側近が踊り子に『控えよ』と釘をさす。
「構わぬ。近寄りたければ来るが良い。なんだったら俺の横に来るか?」
と、その側近を制したのは王リオネンデ本人だった。
やはり思った通り、王は今宵、あの娘を抱くつもりだ、取り巻く中に囁く声が広がっていく。
(あの踊り子を連れてきたのはお主か?)
(いや、わしではない。お主かと思っていた)
似たような会話がそこかしこで繰り広げられていく。
王は構わぬと言ったが、踊り子を咎めた側近ジャッシフは警戒を怠っていない。誰が後ろ盾なのか、判らぬうちは油断できない。
思い通りにならない王を煙たがる貴族もいれば、敵国が暗殺者を送り込んで来ないとも限らない。
王が危険にさらされる一番はその寝所だと、ジャッシフは考えていた。いくら剣の腕に覚えがあり、どんなときにも隙を見せないリオネンデでも、女を抱くときには隙ができるはずだ。その隙を女が狙えばどうなる事か。王宮の警備を考えれば不可能とは思えるが、女が寝所に屈強な男を忍び込ませ、眠るリオネンデを襲わせたらどうなる事か。
楽曲のテンポが上がり、踊り子のステップが激しさを増す。襞の多い衣装が翻り、まるで蝶のように舞う。そして時折高く足をあげれば、形の良い足が丸出しになる。足を覆う薄絹が翻り、もう少しで秘所が見えそうになる。だがすぐに足は振り下ろされ、男たちが息を飲む。
そしてやはり徐々に王に近づいていく。その間も何度も足を振り上げ、男たちの視線を誘う。踊り子から目を離し、王の様子を窺う者がいたならば、踊り子が足を振り上げた時、食い入るように踊り子を見詰める王の姿を見たことだろう。
踊り子が、振り上げた足を王の肩に置いた。
「無礼者っ!」
ジャッシフが叫び、踊り子はすぐに足を王の肩から降ろし、遠ざかる。
「構わまい。俺の肩にその足、乗せたいならば乗せるが良い。おまえの秘所を俺に見せてみろ」
酒瓶からじかに酒を飲みながら、王が薄笑いを浮かべた。
「お戯れが過ぎます」
ジャッシフが小さな声で窘めるが、王は聞こえないふりだ。
いったん遠ざかった踊り子が再び王に近づいてくる。ステップを踏み、足を振り上げ振り下ろし、王の前で裾を手にした。そして裾をあげながら足を振り上げる。
「リオネンデ、覚悟!」
踊り子が小さく呟く。裾を手にしたのは、その内側に隠し持った小刀を引き抜くためで、その手に握り締められた光る小刀がリオネンデを狙う。王の肩に向かって足を振り落とし、王を蹴り倒そうとした ――
「リオネンデ!」
叫んだのはジャッシフだ。だがそれより先に動いていたのはリオネンデ本人だ。
「馬鹿か、おまえ。密かに近づいて殺めようというときに、刀を鞘に納めたままで持っているヤツがいるか」
踊り子の耳元でリオネンデが囁く。
肩を狙ってきた足を握ってねじ伏せれば、バランスを失した踊り子は呆気なく倒れ、素早く立ち上がったリオネンデに簡単に押さえつけられた。並み居る貴族たちが驚いて、腰を浮かせる前に事態は収束されている。あっという間だ。ほとんどの貴族が、リオネンデが肩に置かれた踊り子の足を取り、そのまま踊り子に圧し掛かったようにしか見えていない。それはリオネンデのすぐ近くに侍っていた女たちも同じだろう。
俯せの背中に体重を掛けて乗られ、身動きできない踊り子の手から、リオネンデが小刀を自分の体に隠して取り上げる。鞘を持つ手は踊り子の体の下か。リオネンデが踊り子の体を裏返し、鞘を取り上げる。鞘はリオネンデの掌にすっぽり隠された。そして、踊り子の袖を引きちぎり、踊り子の口に押し込み、声を封じた。
身動きも声も封じられているものの、自由になった手を踊り子が振り回し、何とかリオネンデを殴ろうとする。いや、リオネンデの腹や胸を殴っているが、リオネンデが気にする様子は少しもない。それどころがニヤニヤ笑っているだけだ。
「そうだ、秘所を見せろと命じたのだった」
リオネンデが体を起こす。踊り子がリオネンデの急所を蹴ろうと足を振り上げる。だが、うかうかそれを許すリオネンデではない。振り上げられた足を軽々と捕まえる。そして裾をパッと広げ、踊り子の下半身を露わにする。が、それも一瞬。すぐに裾を元に戻し、ジャッシフに命じる。
「湯あみの用意を。俺はもう寝所に退くとしよう」
踊り子を引き上げながら立ち上がる。
「待て、リオネンデ。その踊り子をどうするつもりだ?」
「どうするもこうするも、誰かが俺にくれたのだろう? 貰っておくさ」
「おい!」
ジャッシフが声を潜めリオネンデに耳打ちする。
「おまえを殺そうとした。雇い主を特定して処分するべきだ」
見守っていた貴族たちも、ひそひそと囁き合っている。だが大抵は、王が踊り子を押し倒して、秘所を覗き込んだと思っている。やはり王はあの娘を気に入られた、と囁き合っているだけだ。
「フン、ここで聞いたところで、誰が名乗り出る?」
「ならばその女を尋問しろ」
「そうだな、じっくり尋問するよ。身体に訊いてやる」
ジャッシフの心配をよそに、
「あとは皆で楽しむが良い」
居並ぶ貴族たちに言い捨てるとリオネンデは、暴れる踊り子を引っ張って広間から出て行ってしまった。




