64.恒例の挨拶
インドラが窓を開けたタイミングで吹き込んできた風が、ミルクティー色のくせのある髪を揺らす。
穏やかな心地に目を細めると、シリルそっくりの美女に話しかけられ、鏡越しに私の髪をとく彼女を見た。
「エレナ様。ぜひともシリルをおそばに仕えさせください」
「危険がない限りもう二度と言わないわ」
シリルよりも明るいブルーの瞳が、ひたと私を据える。
毎日のように告げられる言葉に、こちらも同じように返す。
縋るようで力強い双眸に苦笑すると、シリルの母親はふっと笑みを浮かべた。
シリルの両親もロレッタと同じくまた狙われる可能性があるため、我が家で働いてもらうことになった。
しばらく屋敷から出ることはできないが、長く離れていた家族とのこれまでの時間を埋めるのに場所は関係ないようで、今のところ不都合はなさそうだ。
子爵家としても危険がないのであれば、家族全員有能で人柄も穏やかなので問題はない。
だが、私のある発言から毎朝挨拶のように告げられるこれには少々困っていた。
「息子も今鍛えております。未熟なところが多々ありますが、いずれ頼れる男となります。どうぞこれからもよろしくお願いいたします」
「シリルはもとから頼りになるよ」
念押しにこちらも真面目に答える。
可愛さのなかに辛辣さのあるシリルだが、母親も愛情深く優しい普段の振る舞いと違い、本人が引っかかるときは違う顔を見せる。
「それはよかったです。慢心は禁物ですからね。私たちも頑張ります」
「――強くなるのは悪いことではないから、いいんじゃないかな」
シリルは時間があれば父親に鍛えてもらっているため、最近は満身創痍だ。
本人も、見ての通り両親たちもやる気なので、狙われ奴隷にされた経緯を考えると自分たちの武器を磨くのは悪くない。
鍛えることに反対はしないが、そこにだから息子をよろしくと繋がることには引っかかりを覚える。
けれど、相手がとても真剣であることはわかるのでそこには触れられない。
「ベアティ様には敵いませんが、我々も身体能力は優れておりますので、エレナ隊をさらなる高みに導けるよう鍛え上げます」
「エレナ隊?」
子爵家お抱えの騎士はいるが規模は小さいし、もちろん私直属の隊などない。
「ええ。私たちを解放してくださったエレナ隊です。あれだけの獣人と魔法使いを統率できる力は獣人国の将軍に匹敵するレベルです」
「目的が同じだったから団結して、私たちの指示に従ってくれただけだから」
ランハートがいることにより、王族の後ろ盾があるとの安心感もあっただろう。
「獣人は基本種族によって習性が違い協力することは稀です。獣人族のなかでも序列はありますから、誰が上に立つなど似たような能力の種族は必ず争います。だからあれはエレナ様、そしてベアティ様の存在がなければ決して成し得ることはできませんでした」
あと、ベアティのことを獣人が敬称付けするのにはもう慣れた。
シリルの両親はベアティを見た瞬間、跪いた。
年配の獣人ほど、ベアティに対しての反応は顕著だ。
子爵領にいるときも、ベアティが十五歳になってきたころからそういった兆候はあった。
シリルの訓練にベアティも訓練に参加しているが、父子で挑んでもベアティのほうが強いらしい。
インドラからは、銀狼は狼族のなかでもすべてにおいて別格だと聞いている。その銀狼に魔法も使わず勝てるベアティは、もう人族ではないのではいかと思っている。
獣耳やしっぽなど見たことはないので種族はわからないけれど、あの身体能力は人の能力を超越している。
実際に私を軽々抱き上げて跳躍したことや、危なげもなく敵を倒していったのを間近で見ているので、ベアティがそちらの方面に疎い私では測れないほど強い。
そんなことをつらつらと考えていたら、ものすごく優しい双眸で私を見つめる彼女と目が合った。
「エレナ様は種族関係なく好意的に接してくださいますが、あまりにも無防備というか心配になるほどです」
「心配? 誰でも受け入れるわけではないわ」
種族関係なく、その人を見てこれまで接してきたつもりだ。
首を傾げると、鏡越しに頷かれる。
「そういう意味ではありません。その辺りはエレナ様も考えておられること、そしてここにいるインドラを含め、周囲もエレナ様が傷つかれることがないように全力で守る体制ができておりますので心配しておりません。私が伝えたいのは獣人の本質です」
「本質?」
「子爵様ともお話させていただきましたが、これまでエレナ様の感じるままに余計な情報を入れるべきではないとの判断でお話されなかったようです。ですが、それらを無視できない現状と子爵領よりここ王都では無防備な場面が増えるため、そのことについてお話をさせてください」
振り返ると、衣装の準備をしていたインドラと視線が合う。
「領主様たちと話し合い、エレナ様には理解いただくほうがいいかと判断いたしました」
彼女は真剣な表情で頷き、インドラがそう判断したのなら必要なことなのだと私は姿勢を正した。




