静寂の中で
夕刻の鐘が鳴り終わるころになると、日中は多くの人々が訪れた閲覧室の喧騒も静まっていった。
研究者や学生たちも帰路につきはじめ、広い大図書館の空気は一変する。
昼間のざわめきは跡形もなく消え、インクの香りと、古い紙の乾いた匂いだけが濃く残った。
多くの司書は、終業の鐘の時間までに、今日の仕事の仕上げにはいり、明日の段取りを考える。
アリアも写本を終えた手を軽く振り、肩のこわばりをほぐす。
ただ、アリアは、明日の仕事よりも、読んでも読んでも未読の本がある閲覧室の書架のことが気になる。
「……少しだけなら」
アリアは、写本室から利用者が帰った閲覧室へと移動すると、机の上には誰かが読みっぱなしにして、栞を挟んだままの歴史書が一冊、ぽつりと置かれている。
「書棚に戻すためには、中身を確認しなくちゃね。」
自分に言い訳するように呟き、アリアは本を開いた。
紙をめくる音が、広い閲覧室にやけに大きく響く。
彼女の碧い瞳が文字を追うたび、書き手の呼吸が胸の奥に流れ込んでくる。
強い信念で書かれた一文には、確固たる筆圧が宿る。
迷いながら記された段は、震える指先と焦燥が滲んでくる。
アリアにとって本を記した者の感情が文章を通じて伝わってくることは、当たり前のことだった。
だが、自分以外の誰も「紙の向こうの気配」を感じられない。
そのことを知ったのは、ずいぶん前の幼きころになる。
子供向けの英雄譚を読んでも、他の子のように、単純に正義と悪といった二極では物語を読めず、常に作者の物語や登場人物に対する思いが見えた。
果ては、お菓子のレシピ本を開いても美味しそうや可愛いと感じるより先に、温度や手順の言葉に宿った作者の息遣いや情熱を感じるような子であった。
そのため、本を読んでも当然、他の子たちとは話が合わず、自ら人の輪に入って、話をすることが減っていった。
彼女は、にぎやかな輪よりも、静かな頁のそばにいることを選んだ。
その結果、人見知りという今のアリアを作った。
少しだけのつもりが夢中になって本を読んでいると、あたりはすっかり暗くなり、閲覧室の窓から外を見ると、ナルセアの街灯が一つ、また一つと灯っていく。
石畳に長く落ちる影を眺めながら、アリアは小さく息を吐いた。
――今日も、本に囲まれて過ごせた。
それだけで、心の奥が満たされていく。
やがて終業を知らせる鐘が響き、残っていた司書たちが次々と帰り支度を始めた。
アリアも読んでいた歴史書をあるべき書架へと戻し、「また明日」と小さく囁き、写本室へと戻る。
夜の図書館の静寂は、少しだけ寂しさを含んでいる。
だがアリアにとって、その静けさすら読書のための最高の環境であり、心地よかった。




