パンの香りと家族の温もり
アリアが階段を降りると、香ばしい匂いと温かい湯気が迎えてくれた。
パン窯の前では父クラウスが額に汗を浮かべながら木べらを操り、丸いパンを次々と取り出している。
「おはよう、アリア。今日も母さんに起こされたな。」
「おはよう、父さん。……パン、少し焦げ気味じゃない」
「ははっ、母さんに見つかる前に気づかれたか。でも、この焦げがいいんだよ。」
父娘のたわいのない会話を、朝日を浴びて煌めく銀髪を後ろでまとめたマリアが、商品棚に焼きたてのパンを並べながら聞いている。
「ほら、朝ごはん。できたてたぞ。」
父から手渡された少し焦げ目のついた黒麦のパンを手で割ると、ふわりと湯気が立ちのぼり、素朴な香りが鼻をくすぐった。
アリアはパンに蜂蜜を少し垂らして、一口頬張ると胸にじんわりと温かさが満ちていく。
「今日のは香りがいいね。美味しい」
「粉の配合を変えてみた。すこし焦げやすいが、そのぶん香りが立つんだ。」
父は照れくさそうに鼻の頭を掻いた。
パンの陳列の手を止めた母が、アリアの襟元をそっと直す。
「働きすぎはだめよ。最近、青白い顔してるんじゃない。」
「大丈夫。わたし、本に囲まれてると元気になるから。それに白いのは、母さんの色白が遺伝しただけだから。」
「……ほんとうに、もう。アリアは本が好きね」
そう言うと、マリアは微笑んだ。
アリアは小さな頃から本が好きだった。
ただ読むのが好きというだけではなく、本に触れると、書いた人の気持ちが、指先から胸の奥へ、温度みたいに伝わってくるのが分かった。
その本を書いている時、作者が嬉しかったのか、迷っていたのか、嘘をついていたのか、、、まるで、ページの向こうで誰かが呼吸している気配をさえも感じられた。
店の扉がカランと鳴り、常連客の老紳士が顔を出す。
「おや、クラウスさん、いつものを二つ。おや、いい香りがするのもあるね。それも貰おうかな。」
「毎度」
朝一番の客が来たことで、クラウスもパン売場へと向かった。
「じゃ、行ってきます。」
常連客と談笑する父と母に声を掛けて、アリアは家を出た。
そして、いつもの朝が、流れるように動き出した。




