記録の綻び
アリアが大図書館に着くと、開館前の空気はまだ静まり返っていた。
廊下には朝の光が薄く差し込み、壁の灯火石が淡く明滅している。
その白は夜の名残のように彼女を迎え入れた。
アリアは宿直の司書にぺこりとお辞儀をして、自分の写本室へ向かう。
机は昨日の配置のまま、何も変わっていない。
ただ、出勤の途中で通った街中は、いつもより少しだけ騒がしかった気がする。
理由は分からない。ただ、人々の足取りが速く、朝の挨拶の声にかすかな緊張が混じっていた。
アリアは首を振り、その思考を追い払って点検票に印をつけた。
「アリア、昨日の写本――確認が取れたわ」
補佐司書のセレナが、写本室を訪れた。
アリア専用の写本室の一角。窓からの光が淡く紙面に落ちる。
セレナは二冊を並べ、短く息を整えた。
「原本の綴じはここから新しい糸。数枚だけ、墨の艶が微妙に異なっていたの。
筆圧の癖も変わってる。『王城記録・納入台帳(東倉)』の日付と数量が置き換わってたのよ。」
アリアの胸の内側が、夜の囁きに触れたときのように微かに縮む。
「写し間違いではなく、意図的な……」
「断定はまだできない。けど、これだけ揃えば十分に“異常”よ」
セレナはもう一葉、薄い紙をアリアの前へ滑らせた。
「控えを取り、相違箇所を赤で洗い出した。主任に上げる。あなたも一緒に来て。最初に気づいたのはあなたなんだから」
アリアは頷いた。指先がわずかに冷たい。
墨の匂いが静かな部屋に濃く漂い、紙の擦れる音がやけに大きく感じられる。
見慣れたはずの文字が、今はどこか異物のようだった。
記録が歪められる――それは、ただの数字の違いではない。
胸の奥で、昨夜フギンとムギンが残した四つの拍が静かに脈を打つ。
読む。見抜く。喰らう。そして、残す。
アリアは羽根ペンを置き、息を整えた。
この静けさの奥に、何かが潜んでいる。
それを確かめるために、彼女は立ち上がった。




