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冒険の書は図書館から〜本を喰らう少女〜  作者: picono
第2章 〜夜の囁きとカラス〜
12/14

無題の書に命名を

 「そういえば、まだ名を聞いていなかったな。お前、名は?」

 フギンの発した、本来はもっと早くされるべき問いを突然受け、アリアは声を裏返しながら答える。

 「アリア・リュミエール…です」

 普段であれば、初対面の人物相手には消え入るような声で喋ることが多いアリアにしては、噛まずに名前を言えた。

 

 アリアは目の前の、外見は自分より年下に見える少年少女の存在への対応を今更ながら考える。

 今、胸に抱いている本を読んだーー白紙なので読んだ言っていいのか分からないがーー限り、恐怖の存在ではないが、当然人ではない。実態もあるようで、無いようにも思えるし、世界のあらゆる情報に繋がるようにも感じた。

 彼らは、自分たちと契約したことでブック・イーターの能力に目覚めたと言うが、具体的に何ができるのか、一体どうすればその能力を使えるのか。彼らには聞かなければならないことが山のようにある。

 「あの、聞きたいことが…」


 ーー…コツ、コツーー

 アリアが質問をする前に、乾いた足音が近づいてくる。

 これは、先ほどまでの影の獣とは違う、明らかな人の足音。

 この時間に図書館内を歩くのは宿直の司書か警備兵になる。


 「見回りね。この姿で見つかると面倒になるから戻るわ」ムニンが囁き、フギンが続ける。

 「俺たちも、まだ力を出せる状態じゃない。お前に読まれたしな。しばらく休む。」

 二人の輪郭がほどけ、鳥影となり胸の本にとまると吸い込まれるように消えた。

 ちょうど、その時――


「誰かいるのか?」

 蔵書庫に警備兵と思われる声が響きが、鎖帷子の音が近づく

 アリアは制服の裾を整え、表情を仕事のものに切り替える。

「お、お疲れさまです。正司書のアリアです。写本の返却漏れがあったので」

 アリアが思い切って書架から出てみると、警備兵の姿があった。

 目の前に現れた中年の警備兵は、アリアに驚きながらも、彼の職務を全うすべく周囲の棚を見回した。

「こんな時間までとは、ずいぶん熱心ですね。」

「えぇ、ちょっと、写本に手間取ってしまって」

 アリアは苦笑の表情を作る。胸の鼓動を悟られないように、ゆっくり息を吐く。

「何か問題がありましたか?」

 アリアは警備兵から何か聞かれる前に先に質問を投げかけた。

「——いいえ」警備兵は肩をすくめた。「ただ鍵はちゃん掛けて戻ってください。ここが開きっぱなしだったので警戒に入りました。ここに入るための鍵は司書殿しか持っていないのですから。」

「ええ。気をつけます」

 アリアの答えるに警備兵はうなずき、扉の向こうへ消えた。


 足音が遠ざかるのを待って、アリアは肩から力を抜いた。

「あの、フギン、ムニン、聞きたいことがあるの。」

 アリアが胸に抱いていた本を目の前まで持ち上げ問いかけると、本の縁に白銀を思わせるカラスが現れる。

「ごめんね、アリア。まだ、長い間、人の姿を保てないみたい。本の中でしばらく休むね。」

 姿は違えど、灯火石に照らされる白色は先程まで、少女の姿をとっていたムニンであることが直感的に理解できる。

「お前は、白紙である俺たちに自己の記録をつけておけ。人族はこの記録のことを日記と言ったかな。それであれば、お前はいつでも俺たちを持ち歩けるだろ。」

 いつの間にか書架にとまっていた漆黒のカラスーーフギンーーが言う。

 ーーいずれ力の使い方も教えられるから、、それまで、、私達をそばに置いていてね。

 胸のうちに届くムニンの声が、小さくなり聞こえなくなった。

 声の余韻が薄れていくと同時に、影は霧のようにほどけ、光の粒へと散って消えた。


 アリアの腕の中には――ただの「無題の本」だけが残る。表紙の黒と白の羽根の意匠が、ごく小さく呼吸しているように見えた。

 革装丁の背表紙を指先で軽く撫でる。頁の向こうでまだ微かな呼吸が続いているのを、アリアは感じる。

 題名のない無名の本、分類番号なく、ただ白紙の本。本来、ここにないはずの本。アリアは手に持ったその本を棚には戻さず、自己の胸に抱きしめた。

 蔵書庫を出て扉を閉め、鍵を回す。廊下の灯火石の明かりは均一に廊下を照らしている。

 

 写本室に戻ると机の上に置きっぱなしの羊皮紙が、灯火石に照らされたままになっている。

 羽根ペンを持ち直す。残り数行の書き写しだが蔵書庫での出来事を思うと怖れと期待が入り混じり、指先が震える。

 アリアは気持ちを切り替えるために壺の縁で余分なインクをはらい、すっと線を引く。

 文字は音楽のように並び、静けさの中で旋律を作る。

 それでもアリアは思ってしまう。

(ブックイーター……本を喰らう者……)

 言葉の意味は分かる。

 だが、実際に“喰らう”とはどういうことか――本当に理解できたわけではない。

 ただ、「本の奥の声」を感じ取ってきたことと、どこかで繋がっているのだと直感はする。

 恐ろしい。けれど同時に、胸の奥に微かな熱が灯る。

 

 写本を終えるとアリアは、宿直の司書に原書と写本を渡して帰路についた。

 帰り道に見るいつもの街並み、、自分が守りたい日常、本当にこれらを消そうとするもの、脅かすものはいるのだろうかと疑問に思ってしまう。

 しかし、人ならざるあの少年少女は、嘘はついていない。彼らを読んだからこそ、それが直感的に分かる。


 アリアが帰宅すると、既に両親は休んでいるようだったので、アリアは音を立てずに自分の部屋に入る。

 鞄から、題名のないフギンとムニンの眠る本を取り出し、そっと机に置いた。

 白紙の本は何も語らない。だが、もう知っている。

 この空白の奥には、フギンとムニンが眠っているのだと。

 ーー記録をつけろーー

 フギンがそのようなことを言っていたはずだ。

 改めて無地の表紙を見るて、アリアは思い切った行動に出る。

 白と黒の羽の意匠が施された位置の上方に

      Aria’s Journal

と、第二古代語で書き込んだ。

 日記として使うならば、タイトルが必要だし、無地のままでは2人が寂しい気がしたのだ。


 アリアは手短かに入浴を済ませると、白紙の本に向かい、今日のことを書き込んだ。


 (わたしは、何を残し、何を終わらせるのだろう)

 答えは出ない。ただ、選ぶ瞬間は必ず来る。

 選ばないこともまた選択で、その結果もまた記録になる。

 記録は国家の礎であり、図書館はその礎を支える。司書は記録を守る者。悪意の持った記録を切り捨てなければ国が崩壊することもある。

 それでも、喰らう、という言葉の残響は鋭い。書物を消すこと。記録を奪うこと。その禁忌の匂いが、司書としての自分の身体に深く刻まれた規律とぶつかり合う。

 アリアは額に手を当て、静かに目を閉じる。

 寝台の脇の机の上、元無題の本ーー今はAria’s Journalとなった本ーーは、黒と白の羽根の意匠を光のない部屋でほのかに浮かせていた。光はないのに、そこに確かな輪郭を結ぶ。

 アリアは目を開け、そっと指を伸ばす。触れない距離で止める。触れなくても、頁の向こうから薄い潮騒が返ってくる気がした。


 フギンが言った言葉を思い出す。

「読む。見抜く。必要なとき、喰らう。そして、残す」

 読むことは入口。見抜くことは鑑定。喰らうことは決断。そして残すことは責任。

 アリアは言葉を小さく区切り、それぞれを胸の奥の別々の引き出しにしまう。引き出しには鍵はかけない。いつでも取り出せるように。


 やがて、眠りが静かに近づいてくる。まぶたを閉じると薄い波紋が広がり、二羽のカラスが巨木の枝にとまる夢を見る。根元には何か犬のような影が丸くなっている。夢に落ちていく中で、ーーそういえば、蔵書庫に入る時、私は鍵を使ったかしらーー夢の中のアリアがまどろみながら思った。

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