本を喰らうもの
「あなたは“本を喰らう者”」
ムニンが音もなく歩み寄り、微笑みながら続ける。
「ーー本を喰らうって、、。一体.....」
アリアは突然現れた二人の存在に加え、初めて聞く「本を喰らう者」という言葉に心の奥が騒めく。
漆黒の髪を携えたフギンが伝える。
「本を喰らう者。ーーブック・イーターと呼ばれる能力を持つ者だ。本の奥にある思いを読める者だけがなれる。俺たちと契約することで、その能力が目覚める。」
ムニンがアリアの瞳をのぞき込みながら続ける。
「心を込めて書かれた文章だけが、あなたの中で形になり、具現化する。書かれた言葉が、物語が、一万もの兵が、場合によっては神々すらも、、、」
アリアは小さく息を吞んだ。いつも感じていた“本の熱”――筆圧の迷い、呼吸の乱れ、言葉の重さ。その断片が一つの輪郭に収束していく。
「じゃあ、わたしが感じていたものは……」
「作者の心の残響だ」フギンは短く言い切る。
「俺たちは“記録の欠片”。書かれたものが消えかける時、その余白に落ちる影だ」
ムニンはゆるく首を振る。「影、というより、残された糸。結べば思い出せる。結ばれなければ、解けて消えてしまう。」
「だから俺たちには限界がある。すべての記録が書き換えられてしまえば、結ぶべき糸がなければ、俺たちの存在は消える。虚偽の歴史にとって変わられる。情報の塊である書物も例外ではない。作者の思いも何もかもねじ曲げられる。」
しかも、それらを人々は気づけない。悪趣味なことだ。フンッーーと鼻を鳴らしながらフギンが続けた。
脈が速い。呼吸が浅い。
怖い。けれど、アリアは逃げたいとは思わなかった。
ページの向こうからこぼれてくる、ほんとうの言葉の熱を、見捨てたくなかった。
ー歴史が変わる。それもそうだが、これまで触れてきた本たちの、その作者の思いが消えるのがアリアは許せなかった。
「……わたしに、何ができるの?」
胸に抱えた本の温もりが、薄い制服越しに肌へ移る。
フギンが静かに答える。
「読むこと。見抜くこと。必要なとき、喰らうこと。――そして、残すこと」
未来へ本を残すことが出来るなら、力になりたいとアリアは思う。ただ、ブック・イーター、、、本を喰らうとは、、、、食事?食べること?獲物を獲ること?消費すること?消化すること?それとも何かを受け止めること?
グルグルと思考がまとまらない。でも、これだけは聞いておかなければと思う。
「喰らわれた本は……どうなるの」
アリアが恐る恐る訊ねた。
「存在すら、消える。作者ですらその存在を認識できなくなる。」
フギンが感情ではなく、理的な言葉で答える。
ーー本が、消えるーー
歴史を守ったとしても、消えるものがある。
果たして、それは正しいのか、国として、司書として、ただの本好きのひとりの人として、、
俯くアリアをみて、ムニンが温かく繋げる。
「でも、あなたは残すこともできるの。」
「残す?」
「うん」とムニンが微笑む。
「あなたは“未来に残すことができる者”。だから、私たちは出てこれた。」
ーー理解が追いつかない。ただ、なんとなく理解はできてしまう。
このまま何もしなければ、私の守りたいもの全てが守れなくなる。
「いま、この国の記録には人の手の影が差している。削られ、綴じ直され、別の意味にすり替えられている」
フギンの視線が、暗い書架の列を捉える。
日中に写本室で感じた違和をなぞるような冷たさを感じる。
綴じ直し。書き換え。――記録が、どこかで。
「“書かれたもの”が嘘か真か。紙の沈み、筆の迷い、言葉の熱――お前はいつもそれを感じてきただろう」
フギンの言葉にアリアは息を飲む。胸の内側で、読んだ本たちの息づかいが一斉にざわめいた気がした。
「更に厄介なのは、書き換えを行う者は人だけではないの。ー墨の影ーとでも呼びましょうか、その影は、人の影とよく似ている。善意の手も、悪意の手も、紙の上では同じ形を取るからなかなか見分けが付かない。」
ムニンがアリアの目をまっすぐ覗き込む。灯火石の淡い光が銀髪をさらに白く輝かせる。
「だから、あなたが必要。――記録を守る者が、記録に触れて真を見抜く。それだけが、この国の救いになる」
「待って。わたしは、そんな……」
アリアはまだその覚悟を決めきれない。
「でも、お前は俺たちを読んだ。既に契約はなされた。自覚を持て」
黒髪の少年は、淡々と話す。
本を喰わなければ、本は消えないけれど、真実が、作者の思いが消える可能性があるーー
ーー喰えば、、世界は救えても、作者の思いを知るのは私だけになる
残酷で、相反する二つの重みが、胸の中心で重なる。
フギンが言い放つ。
「もう一度、伝える。書物の奥を読める、本を愛する者だけが、本を喰い、消滅させる。しかも、喰らえるのは、作者が真に心で書いた本だ。適当に書かれたものは、お前の中で形ならない。それが、ブック.イーターの宿命だ」




