イベント名:「マイラブ」
一瞬、まだ寝ぼけているのかと思った。
……だが、次の瞬間。
通知が鳴った。
《名前を入力してください》
……は?
これって……まさか、イベントフラグ?
これ全部、名前入力イベントだったのか?
もう一度、彼女を見た。
半分眠ったまま、身体がふらふらと揺れている。
……これ、アイドルモーションか?
完全に、入力待ちのNPCだった。
まあ、実際NPCなんだけど。
「……あー。シド。」
《名前登録:SID》
《データベース更新中…》
《ワールド情報更新中…》
彼女は、ぱっと笑顔を見せた。
「シド……? ああ、そうね。あなたは私の旦那様、シド。」
……本人は何を言ってるのか分かってない感じの声だった。
次の瞬間、何事もなかったかのように、彼女はベッドに倒れ込み、そのまま寝た。
俺はただ、呆然と見ていた。
「……ふざけんなよ。」
ちょうどそのタイミングで、ドアをノックする音が響いた。
続けて、女の声。
「ロード・シド、レディ・レア。ルルノンです。扉を開けてください。」
……は?
待て。なんでそいつが俺の名前を知ってる?
机の上の書類を見た。
全部……全部が「シド・ウェルキン」の名前で書き換えられている。
つまり、ワールドデータはリアルタイムで更新されるってことか。
再びノック。
「ロード・シド?」
「……悪い、ルルノン。今は開けられない。あと……嫁はまだ寝てる。」
返ってきたのは、機械みたいに冷たい声だった。
「またレア様が鍵をかけたんですね? さっさと叩き起こしてベッドから蹴り落としてください、無能。」
……え?
それ、使用人の話し方か?
いや、家族? 幼馴染NPC?
「急げよ、役立たず。」
……マジかよ。
待たせすぎるわけにもいかない。
俺はベッドを振り返った。
……とりあえず、嫁を起こすか。
「レア、起きろ。」
肩を軽く揺する。
――パシッ。
は?
起きてるのかどうかも分からないのに、顔を思いっきり叩かれた。反射で。
「……マイラブ。」
は?
今、なんて?
「レア? 起きてるんだろ? 誰か外にいるぞ。」
――パシッ。
もう一発。さっきより強かった。
布団に潜り込む。
完全に起きてる。
そして、同じ言葉を繰り返す。
「……マイラブ。」
また。
「……マイラブ。」
待ってる。
何かを入力するのを。
これは性格じゃない。
完全にスクリプトイベントだ。
彼女は『マイラブ』と呼んでいたんじゃない。
俺にそう言ってほしかったんだ。
俺は布団の中の塊を見下ろした。
仕方なく、顔を近づける。
「……マイラブ、起きてくれ。」
ピンッ。
《ロマンスイベント:「マイラブ」起動》
布団の中から、レアが少しだけ顔を出す。
どうせ布団の中で、ニヤニヤしてるんだろう。
「ん……おはよう、ダーリン。」
目を閉じたまま、唇を尖らせた。
……キス待ちかよ。
いや、無理。
NPCにキスとか。
……まあ、別に嫌じゃないけど。
今は配信中だしな。
本音を言えば、したい。
でも……リアルすぎる。
これ、本当に“人間”と変わらない。
仕方なく、額にキスした。
「きゃあっ?! だ、ダーリンっ!?」
急に顔を真っ赤にして、俺を引きずり倒し、抱きついてきた。
――ドンッ!
扉が蹴り開けられた。
「いい加減にしろ。朝から何やってんだ、お前ら。」
黒と白のメイド服。
バンダナ付き。
ルルノンが立っていた。
……ああ、やっぱりこいつ、使用人だったのか。