水が半分しかないグラスは、水を半分も注げるグラス
【あらすじ】雑貨屋のメンバーの魔力を取り戻すため、魔王モール2号店に向かうクタニ。ひとまず、麓の町で宿を取ることに。
麓の町、ミッドライフシティに来ていた。
今日はこの町で一泊し、明日の朝一で馬車で魔王モール2号店へ向かう。
旅のお供にと、皆がリュックにいろいろ詰め込んでいたけど、何が入っているのだろう。
行きつけの喫茶店『ムーンバックス』にきていた。元勇者がマスターをやっているが、客はほとんど見たことがない。
「そういうことがあったんだね。で、たった一人で魔王モールに行って、何か勝算があるのかい?」
心配そうにそう言ったマスターの常滑さんは、やせ形でチョッキを着こなしていて、きれいなスキンヘッドだ。
コーヒーをすすりながら、事情を話すと、すんなり理解してくれた。
「ははは、実は全く……。移動中に考えようかなと思っています」
「キミらしいね……。はい、これ」
「これは?」
「サービスさ。パンプキン・シナモン・ラテ。今日はハロウィンだから」
「いいんですか?」
「実は渾身の力作なんだけど、ほとんど客が来なくてね……在庫処分手伝ってくれるかな?」
「……それでは、ありがたく」
それは、どこか懐かしい香りで、外の冷たい風を忘れさせるようだった。
体を隅々まで温めてくれる。
コップから視線を上げた窓の外。ほとんど真っ暗だけど、向かいの壁が、月の光を反射している。
この町でも、いろんなことがあった。
露店やったり、ガディが仲間になったり、イゴラくんが倒れたり。
陶器のミニ看板を作ったり。
この店にもさりげなくおいてあり、なかなかしゃれている。
ため息をついて、パンプキン・シナモン・ラテを飲み干す。
毎回、仲間に助けられたけど、今回は……。
「今回は、ダメかもしれません」
「どうしてだい?」
「仲間に裏切られたのが、どうしてもきつくて。力が出ないっていうか」
「それはまだ決まったわけじゃないんだろう?」
「でも、俺が安易に信じすぎたのが、一番良くなかったんですよ……」
俺がうつむいてしまうと、そこのグラスを見てよ、と彼が言う。
カウンターに置かれている、水が半分入ったグラス。
「グラスの水、半分しかないと思うか、まだ半分もあるから安心するか、もう半分しか残ってないから不安になるか、その話は聞いたことあるかい?」
「ええ、どこかで……」
グラスを持ち上げて、視線の高さにして返事をする。深い意味はない。
「でも最近は違った解釈をしてるんだ。僕たちはもう大人なんだから、まだ半分も注げるって、考えるのもいいんじゃないのかな」
(まだ、注げる……か)
やはり、元勇者パーティーのヒーラーは言うことが違う。
グラスの水が室内のオレンジの灯りを反射して、わずかにきらめく。
「……ていうか、注いでもらったこと、ないんですが」
「そうでもないんじゃないかな。雑貨屋のこと、よく思い出してごらん。魔女さんのことも」
常滑さんは黙ってグラスに水を静かに注ぐ。
「……」
「善行は水のごとし、ってね。静かに、お互い注いでるのかもしれないね」
雑貨屋のメンバーの顔を思い出す。天真爛漫なスコリィ、いつも一生懸命なイゴラくん、強キャラ感を出したがるペッカ、何事にも真面目なガディ……、強がっているけどどこか不安そうなルルドナ。
さらに、魔女ヒルデ。
すべての命の時間を代償に、概念の怪物のかけらを追い払ってくれた。いつもふざけてにやけてるくせに、戦いの最後に見せた、悲壮な横顔。
「そう、ですね。案外、注がれてばかりだったのかもしれませんね」
「だろう? キミはなかなか巡り合わせが良い。意外と、移動中に強力な仲間と出逢うかもしれないよ」
「そんな都合のいいことは、さすがにないですよ」
「案外わからないものだよ。心の準備しておくように」
「案外楽観主義なんですね……。ともかく、気が少し楽になりました。ありがとうございます。あ、そうだ、これあげます」
「これは?」
「魔法学校の特別なキャンディーです。ハロウィンってことで」
「そりゃいいね。トリック。オア・リートってやつかい?」
「です。トリック・オア・トリート」
……間が空く。
「お互い、似合わないね……」
「ですね……」
少しだけ晴れ晴れとした苦笑いを交わす。
だけど、その不器用さが、心地よかった。
店を出て宿までの帰り道、雲間からうっすらと月の光が見えた。それは、空の彼方にまだ希望があると語りかけるような、重い光だった。




