偉大な一つの物語が、幕を閉じる
【あらすじ】概念の怪物を追い払い、最後の時間を自分の家で過ごすことになった魔女ヒルデガルド。別れのシーンです。
「この家と山を買ったのは見込みがあるよ」
ベッドで上半身を起こした魔女が語りかける。周りには、魔女の友人、雑貨屋のメンバー、常滑さんがいる。
ケンタウロス一家は外を見張っていてくれるということだった。
マリーさんは、明日朝一に家の修理に来ると言って帰っていった。
隣に座った俺は優しく答える。
「土がよかったので……。どうせろくな見込みじゃないんでしょ?」
「そう、……最悪に不幸な見込みだ」半分冗談のように魔女ヒルデは答える。
こっちだって冗談っぽく言うのは得意だ。
「……光栄ですよ。こんないい家、10億なんて安いものです」
できるだけ穏やかに目を細め、優しく答える。
「うれしいことを言うじゃないか。そう、家にも魔法をかけているのさ」
「家に?」
「転生者なら気が付いているんじゃないのか。どんな世界でも時が重なれば必ず狂う。必ず、狂ってしまうんだ」
かみしめるように、魔女は続ける。
「……だから、家の中だけでも、と思ってね。なに、大したことはない……ちょっとだけ、安心できる魔法さ」
細められた目に俺は頷いて言う。
「それは、素敵な魔法ですね」
魔女は少しだけ得意げに言葉をつむぐ。
「ここからの景色はきれいだろう。美しいだろう……。生活は少し不便ではあるが、ここなら研究に没頭できると思ってね。結局、出ていくことになったが……。出来損ないの弟子の手に渡るなら本望だろう」
俺らは窓枠から広がる世界を見つめる。月明かりに照らされて、静かな丘陵地帯が広がる。
なだらかな丘が続く景色。どこかに、理想郷があるのかもしれない……。そう思わせてくれる。
皆で景色を眺めていると、魔女が常滑さんに言う。
「常滑くん、最後にコーヒーをくれないか。この景色を見ながらコーヒーを飲んで死ねるなんて贅沢な身分だが」
「ええ、わかりました。たっぷりと贅沢をしてください」
常滑さんは、自前のスーツケースからポットやコーヒーを取り出し、手早くドリップを始めた。あたりにコーヒーの良い香りが漂う。
常滑産が、そっとコーヒーを渡す。あのコップは、俺が作った不格好な陶器だ。
「命の時間までは取り戻すことはできませんが」
常滑さんの言葉に、魔女が冗談っぽく笑う。
「案外これで若返ったりしてな」
「師匠、こんなときに」
俺がたしなめると、魔女はコーヒーを一口飲んで笑って言う。
「いいんだ。重い空気の中で死ぬのはごめんだ」
「それは同意ですけど……」
俺の言葉に意外にもしんみりとした答えが返ってくる。
「そこを同意してくるとは……ホント、君とは100年早く出会いたかったね」
「100年って……さすが、師匠はスケールが違いますね」
冗談めいた俺の言葉に、魔女は嬉しそうにコーヒーをすする。月明かりに照らされた彼女は、まるで月の王国から来た使者のようだ。
「ふふ……。どうやらもう少し時間があるようだから、思い出話を語らせてくれ。……それでクタニくん、いや、君たちのうちの誰か一人でも、深く感じ取ってくれればと思う」
周りのメンバーも神妙にうなづく。
「この家を飛び出したのは、薬の研究が行き詰ったから。もちろん、自分の薬を広めたいという思いもあった。でも知ってしまった。コスプレという楽しさを。その強さを……!」
「……師匠!」俺がまたたしなめる。
「はは、ジョークだよ。ただ、何かしらつかんだような気はしたがね。強力な何かにつながっているような気がした」
「強力な、何か?」
「ああ。だからなんていえばいいかわからないが、時空魔法にたどり着いたのさ」
天才の考えることはよくわからない。
だけど意外な人物から考察が出てきた。
「確かに、コスプレ魔法の空間の変換と時空魔法は似ているっす」
スコリィだ。ピクシーはその特性上、謎の魔法を見抜くのが得意らしい。
満足げに魔女が言う。
「さすがピクシーだ。洞察眼に優れているね。……そう、強制的に空間ごと塗り替えるのは最強の魔法の一つだ。相手を自分の土俵に上げることだからね」
スコリィが心底感動したように言う。
「コスプレからそこまでたどり着くなんて、すごすぎるっす」
「だが私のコスプレ魔法は、怪物にまではきかない。そう、青春を過ごした存在にしかきかないのだ。だけど、スコリィくん、君ならもっともっと別の方向から追求できるかもしれないよ。推し活、頑張っているんだろう?」
魔女の言葉にスコリィはいつもの天真爛漫な笑顔を作る。
「研究してみるっす!」
「いい返事だ。期待しているよ」
「あの師匠。この子アレなんであまり変なこといわないでください」
「結構なことじゃないか。生きるっていうのは不確定なことに突き進むってことだよ。私なんてもっとひどい、何せ見えもしない悪と戦おうとしたのだから。よく、自問自答したよ。なぜ私はそんなことを必死にやっているのだろう。正義のヒーローでもなんでもないのに」
「ヒルデ……。言ってくれれば私たちだって」
魔女たちが涙ぐむ。
「いや、私なんかのエゴに付き合わせてはならないと思っていたからね。だいたい正義のヒーローなんて、むかつくやつを殴っているだけだ。最初から好きじゃない。むかつく奴は山のようにいるが、殴るなんて本人の気分を良くするだけのために行動してはならないよ」
魔女たちは何度も涙ながらに頷く。
その様子に笑顔を向け、その後ろにある盆栽に魔女が気が付く。
「時に古代樹の盆栽など趣味のいいものをこの部屋に置いたのは誰だ?」
「それは、俺のおじいさんが」
いつの間にかイゴラくんがライムチャートちゃんと入れ替わっていた。
「ああ、トゥッフじいさんか……。彼にもよろしく言っておいてくれ。あと、いくらゴーレムでも守りすぎはよくない。この世界は本当に守るべき価値がある状態か見極めてくれ、とも言っておいてくれ」
イゴラくんは元気に返事をする。
「はい!」
それにペッカが反応する。
「ふん、守りすぎはよくない、か。ゴーレムだけでなく、フォレストドラゴンにも耳が痛いな」
「そうか。ドラゴンでもフォレストドラゴンは特殊だったな。いや、キミたちのような努力も必要だ。そうしないと魔王みたいな奴が暴走して何をしでかすか分かったものじゃない。それに、ペッカ君はさらに特殊な存在のようだ。昨日のキミの背中はなかなか魅力的だったよ。今の努力を続けたまえ」
「ああ……承知した」素直にうなずくペッカ。少し恥ずかしそうだ。
魔女はうつむいて続ける。
「ともかく、根源からつぶしていかなければ、と気が付いたときには遅かった。自分のやり方に固執した結果だ」
ガディのほうを向いて、目を細めて言う。
「……ウンディーネの里にもよればよかったよ。ガディくんの知識、後から皆に伝えてやってくれ。君は水と闇の面白い力を持っている。思い切りもいい。戦い方を覚えれば、きっと戦闘面でも中心的な存在になる」
ガディは手を組んで聖女のように答える。
「……はい!」
次にスラコロウのほうを向く。
「スラコロウくん、きみの知識量、勉強量は、本当にすばらしいよ。体が硬いのを気にしているようだが、些細なことだ。……私の手記、皆に伝えてくれ」
転がってきたスラコロウは本当に尊敬した声で答える。
「ああ、あんた、意外とまじめで驚いたよ。きっとあの知識、皆に伝えるよ」
スラころの声に満足そうにうなずいた彼女は真剣な顔で皆を見渡して言う。
「概念の魔物に従来の魔法は通用しない。いや、魔王が研究している最新魔法だって通用するかどうか不明だ。それほど、奴の存在そのものが不明だ。それで、月の魔力が対抗するカギだと思って……」
俺は思わず、尋ねる。
「食ったんですか?」
「ああ。恐怖に取りつかれていたのさ。……いや、狂気かな。だけど体のほとんどに月の魔力をいきわたらせても、本体のカケラを追い払うので精いっぱいだった。そして、ルルドナくんの力でも同様だろう。きっかけになるかもしれないが、倒すには至らない」
部屋の隅に立っていたルルドナは腕を組んで言う。
「それは、私も感じるわ。あの残留物を蹴ったとき、直感した」
「……さすがにクタニくんの創作物から生まれた存在だ。どちらにしろキミの力が重要なのは間違いない。キミはこの世界の創作物でもあるし、元の世界からの転生者でもある。君の力はきっとまだほかにある。それを追求しなさい」
「そうね。そういう努力も必要なのはわかったわ。今のままじゃ、力を出し切れない」ルルドナが素直に答える。
「おいおい、そんな顔をするな。そうだ、キミにプレゼントがあるんだ。後で見つけてくれると思っていたが、今渡しておこう。クタニくんそこのタンス、一番下の段を開けてくれ」
魔女の言葉に従って、タンスを開けると、落ち着いた赤色の傘と高下駄が入っていた。
「コスプレさせようとしていたが、邪魔が入ってしまったからね」
俺がルルドナに渡すと、彼女は黙ってそれを身に着けた。
「どう?」
くるりと回って、皆に見せる。彼女の和装にとてもあっていた。
にこりと笑った魔女は、まるで孫の七五三をみている老婆のようだ。
「似合っているよ。ルルドナくん。……きっとキミはこの世界の大きな力になるだろう」
「そんな、おおげさよ……」
珍しいルルドナの謙遜に、魔女は優しく微笑む。
「そんなことないさ。……!」
〈ゴホッゴホッ!〉
魔女はそこで激しくせき込む。憔悴した目から生気が消えかけている。
コーヒーを飲み干し、深くため息をつくと、静かに言った。
「ほら、死に際に語るなんてかっこ悪いだろう?」
赤い魔女が言う。
「いいじゃない。カッコ悪くても。私たちそんな立派な存在じゃないでしょ?」
続けて青い魔女がいう。
「そうそう。たった数百年、暴れていただけさ」
緑の魔女も穏やかに言う。
「すぐ後に私たちも行くから、あっちで魔法の研究しててよ」
仲間の言葉に感じ入ったように、ヒルデガルドはベッドに横になる。
涙が頬を伝う。
「あーあ、こんな幸せな死に方でいいのかなぁ」
俺は魔女の手を握り、確信をもって言う。
「いいですよ。世界が認めています」
「……クタニくん。君に言うことは一つだけだ。皆を、自分を信じろ」
もう彼女は眼を閉じていた。ただ俺の握った手が弱弱しく握り返される。
「……はい」
「じゃあ諸君、頑張りたまえ」
その言葉で、偉大な魔女の物語は――終わった。
月明かりが、美しい風景を窓の外に照らし出し、壮大な物語が一つ幕を閉じたことを告げていた。
ワルプルギスの夜の宴編、終了です。
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2025.8.15 主人公の一人称を俺にして、それに合わせて各所書き直しました!




