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二話:私立成富学園

 姿見に映るのは、新たな偽装(カバー)を纏った自分の姿。


 日本人としては標準的な黒の髪色。黒縁の眼鏡から覗く瞳は茶色。小さく膨らんだ耳たぶにピアスはなく、簡易的な修正手術によりその痕跡は消えてなくなった。前回の偽装とは違い派手さがなくなり、特徴という特徴がないどこにでもいる冴えない顔立ちの少年だ。

 纏うのは光沢のある黒いブレザー。それを縁取る黄色い蛍光色は、これから通うことになる教育機関の一学年生であることを示す目印になる。


 内に着込んだ白ワイシャツに、灰色のチェック柄のズボン。一般的な男子学生が纏う制服らしい王道デザインで統一されている。

 あとは、ブレザーを縁取る蛍光色と同じ色のネクタイを結ぶだけ。


「……こんなものか」


 一般的に見れば15歳という若さでネクタイを結び慣れている者は少ない。それでも僕の首元を飾るネクタイは完璧な逆三角形を描いている。


 ふと脳裏を過る思い出。

 それは僕と【女王蜂】が諜報員育成学校《養蜂箱》に入学して半年が経った頃のもの。

 社交界が行われるパーティーホールを舞台に、潜入任務を想定した初の疑似訓練での出来事だ。


 僕に与えられた偽装は、貴族学校の生徒。のちに【女王蜂】となる少女も同様の偽装を与えられた。

 実際の任務と状況が酷似している実戦形式の疑似訓練では、偽装を演じる演技力、不測の事態に対応する機転、それぞれ個々に与えられた目標を達するための手段など、様々な項目を評価し力量を判断される。ここでの評価が高ければ、のちに行うことになる諜報活動での生存率も上がる。仮に評価が悪かったとしても、疑似訓練も所詮は訓練の一環。失敗しても良い時に失敗を学んでおけば、これもまた将来の生存率を上げる経験になる。


 ――実際の任務で失敗すれば待ち受ける結末は、死か投獄しかないのだから。


 だが、初めての実戦形式の訓練でそんなことを考える余裕などあるはずもない。


「…………」


 いつも口うるさい少女でも、この時ばかりは静かだった。


 待機室では、僕らと同じように疑似訓練を受ける《養蜂箱》の生徒である【蜂の子】たちの姿がある。それぞれが様々な偽装を纏う姿は十人十色に見えるが、その表情は緊張と不安で固まり統一されていた。


 中世ヨーロッパを想起させるフリルの多いドレスを纏う少女の肩は、見るからに力が入り過ぎているのが分かるほどに小さく痙攣し、表情は硬い。呼吸も浅くなっていた。


 どうにかその緊張をほぐせないものかと思考を巡らせた結果、僕は結ぶネクタイを一度ほどき、適当に結び直して少女の前に立った。


 少女は緊張で僅かに反応が遅れるも、目の前に現れた僕の存在を把握。直後に視界に映ったであろう、ぐちゃぐちゃなネクタイを見て――派手に噴き出した。


「なにそれっ⁉」


 静かな待機室で大きな笑い声を響かせる少女。その原因である僕に【蜂の子】たちの視線が集中して――すぐに、少女と同様の笑い声が部屋に響いた。


「……変かな?」


 僕は疑問を表情に浮かべて、小首を傾げる。その行動に少女はさらに口角を上げた。


「変だよ。すっごく変だよ……っ‼」


 ひとしきり笑って落ち着いた少女が、複雑に結ばれた僕のネクタイに手を伸ばす。


「ネクタイはさ、こうやって結ぶんだよ」


 少女は器用にネクタイを操り、僕の首元に完璧な逆三角形を作り出す。

 その間も、少女はくすくすと笑みをこぼして瞳を細める。その表情から緊張や不安は微塵も感じられない。それは他の【蜂の子】たちも同様だ。


「ありがとう」


 僕が感謝を述べれば、少女は朗らかに笑う。


「私のほうこそありがとう。緊張してたから、気遣ってくれたんだよね。――だって、あのキミがネクタイを結べないなんてこと……ふふっ、あるわけないもんっ‼」


 一度は収まりを見せた笑いが込み上げてきたようで、少女の口から再び笑い声が漏れる。

 なんて返したものかと、僕が頭を悩ませていると。


「まだみんなは知らないけど。本当のキミはとっても優しいんだよね」


 愛おしそうに細められた少女の蒼い瞳。

 その瞳がもう二度と見られないものになってしまったのだと、改めて理解した。


・・・・


「私立成富学院。実物はやっぱり違うな」


 桜の木が並ぶ正門の前に立ち、巨大な校舎を視界いっぱいに収める。

 大理石と(ひのき)材を中心に建造された校舎は目新しく、ゆえに異質であるがそれがまたこの学院の特徴を表しているようだった。


 僕がこれから潜入することになる私立成富学院の生徒は、政治家や芸能人、大企業や金持ちの子息・令嬢が生徒のほとんどを占める小中高一貫校だ。年間の授業料だけで500万円以上掛かる、高額納税者のためのセレブ学校。


 それだけ校舎は巨大で壮観。敷地の広さは下手な遊園地よりも大きい。節々のデザインにも凝っていて、道行く学生の身なりも都心で見かける一般的な学生とは段違いだ。


「義正……? おい、お前義正だろ⁉」


 その声に振り替えれば、茶色の短髪にガタイの良い男子生徒を始め、数人の生徒がこちらに向かって走り寄ってくるのが見える。


「俺だよ俺。忘れちまったのか?」


「ひ、久しぶり。……京」


 愕鬼京(おどろききょう)――それがこの男子生徒の名前。

 学院に潜入する前に調査した重要人物の一人だ。


「おう、久しぶりだな義正! 中等部以来か……っ⁉」


 僕は引き攣った笑みを浮かべ、か細い声で肯定する。


「お前はほんっと変わんねぇーな! ボヤったい髪に眼鏡と妖怪みたいな猫背!」


「それなっ! 中一の時のまんまじゃん‼」


 愕鬼がガハハと笑い声をあげれば、それに呼応するように他の男子生徒も笑い声を上げ、馴れ馴れしく僕の背や肩を叩く。


「また前みたいに遊ぼうぜ。昼休み屋上なっ!」


 愕鬼は言いたいことを言い終えると、そのまま男子生徒を連れて校舎へと向かっていく。

 僕はその背中を見送り、事前資料を受け取った日のことを思い出した。


 それは昨日、【女王蜂】に別れを告げてすぐのことだ。


「わざわざ学校に潜入して暗殺するんですか?」


 天音の愛車である黒のメルセデス・ベンツに揺られながら、渡されたタブレットに記された任務概要を眺める。

 暗殺の対象者は、セレブ学校に通う学生か職員。どちらにせよ暗殺するのであれば学内ではなく学外で実行すればいい。そのほうが事故や自殺の演出をするのは簡単だし、リスクも少ない。進んで困難な方法を選ぶ必要はないだろう。


「正確には私立成富学院へ潜入し調査、標的の特定を終えたのちに暗殺です」


「それじゃあ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことですか?」


「我々が把握していることは、《国際犯罪組織(クリミナル)》の工作員がその学院に潜んでいること。そして攻撃の開始時期から考えて、標的は少なくとも高等部の学生ないし三年以上の勤務歴を持つ職員であるということだけです。貴方の任務は学院に潜入。その工作員を見つけ出し、暗殺すること」


 潜入先の私立成富学院は戦後1950年、日本がまだアメリカの植民地として荒れていた時代から存在している。かつては植民地に住居を構える外国人の子供が教養を学ぶ場として作られた教育機関だったが、現在は政治家や大企業の代表、その重役の子供が揃って通っているセレブ学校へと姿を変えた。


 標的が持つ情報を手に入れる方法として、その標的の家族や親しい人物と友好関係を深める――人的情報(ヒューミント)は、諜報世界における定石の一つ。外堀から埋めていくというやつだ。


 実際、僕も何度か似た方法を用いて他国の情報機関や犯罪組織から情報を盗み出したり、要人の暗殺を行ったことがある。


 今回の場合は、自分が今までにしてきたことを敵にされている状況だというわけだ。


「この任務が成功すれば《国際犯罪組織》による攻撃の手が弱まるだけでなく、【女王蜂】の敵討ちにも繋がります」


「……どういうことですか?」


「暗号解読に必要な鍵を手に入れる任務で彼女が潜入していた犯罪組織に、我々の情報が漏洩していました。原因を調査したところ、情報の出所がこの成富学院だったのです」


 つまり【女王蜂】の根本的な死因は彼女自身のミスではなく、彼女が知る由もないところでの情報漏洩が原因ということか。


 情報漏洩の発覚、その後の対応はまず組織の内部調査から始まる。それを終えた結果、私立成富学院に白羽の矢が立ったんだろう。ということはその成富学院に防衛省か《雀蜂》幹部の子供でも通っていたんだろうか?


「概要は分かりました。ただ潜入調査は簡単にはいかない。小中高一貫校となると、外部入学生は標的に警戒される。学校では教師も清掃員、調理スタッフまで成富学院専門の職員として雇われたプロだ。内側からの潜入調査には何年もの下準備から始めないと――」


「任務開始日時は明日から。期間は設定されていませんが、一秒でも早く結果を得るようにと防衛省から急かされています」


「そんな無茶な……」


 潜入や調査を始めとした諜報活動の成否は、その活動を行うための下準備でほとんどが決まる。諜報員の技術や機転で変えられる状況には限界があるものだ。ゆえに優秀な諜報員と呼ばれるものは例外なく、その下準備を入念に行う。諜報世界(ここ)はそれを怠った者から消えていく場所だ。


防衛省(うえ)は早く事態を解決したいのでしょう。……急がば回れと先人の言葉も聞かずに」


 時間を掛ければ掛けるほど、国への攻撃を許してしまう。


 情報は生モノと同じで、すぐに腐って使えなくなる。だからこそ新鮮な情報を手に入れれば敵は迅速に攻撃に移る。

 成富学院に潜む《国際犯罪組織》の工作員を見つけ出さない限り、日本は犯罪組織に攻撃の隙を与え続けてしまうだろう。それによって、【女王蜂】のような被害も増える。

 そう考えれば防衛省の逸る気持ちも理解出来るが、そもそも問題の工作員を特定できなければ意味がない。


「とはいえ、潜入方法に宛てがないわけではありません」


「というと?」


「成富学院に通っている伊集院キャピタルの社長、そのご子息である『伊集院 義正』は、今から三年前の中等部一学年の時期から不登校となり、今でも学院に姿を現していません」


 タブレットにまとめられた事前資料にはたった今話題に上がった『伊集院 義正』についての情報がまとめられている。


 家族構成、過去・経歴、調査員による調書のほか、部屋の内装や食事の好みまで事細かに記されていた。


「つまり僕は『伊集院 義正』として成富学院に潜入するわけですか」


「伊集院キャピタルの社長と本人はこちらで吸収済み。経歴や記録上の偽装(カバー)も完璧に行われているため、上辺の情報から貴方の成り代わりを見抜くことは不可能です」


「……僕がミスをしない限りは」


「問題はありませんね?」


 一度呼吸を整え、タブレットに表示される調査報告書を改めて精査する。


「――部屋の一辺を占める巨大な本棚に膨大な量の書籍。本好きのインドア割合は七割強であることを考えれば恐らく外出は好まない。PCデスク回りの設備が充実しているあたり、年齢的にも恐らくPCを媒体とする電子遊戯(ゲーム)を得意としている。キーボードの空箱が大量に積み重なっているのは、それだけ買い替え頻度が高いということ。耐久性に問題がある製品ではないことを考えれば、恐らく伊集院義正は感情的で怒りっぽく、物当たるタイプ。書籍の整頓や設備環境の丁寧さから拘りが強く、プライドの高さを伺える。またスポーツ冊子の更新が五年前から途絶え、トロフィーの一つもないところを見るに習い事でスポーツを経験していたが挫折し引退。運動能力は可もなく不可もなくといったところ。経歴調査による交友関係が浅いことから、恐らくコミュニケーション能力は低め。そこから導きだせる彼の性格は――短気で情緒的。拘りやプライドが高く、すぐに行動や口から感情が出るが、その本性を自身でも恥じているため他人には偽りの仮面(ペルソナ)を付けて本性を隠している。成功体験が少ないことから自信がなく内気な性格である可能性が高い」


「……流石ですね」


「これだけの情報があれば出来て当然です」


 ただ、得られた事前情報から出来る伊集院義正の人物分析(プロファイリング)はこの辺りが限界だろう。それでも人柄や行動理念を知るには十分過ぎる。


「成り代わりを行うのに問題はありません。経歴や過去も特別なものはない。部分的にハッキリしないところもありますが、どうにか出来る範疇です。顔写真を見た限りだと整形手術の必要もなさそうだ。……ただ、体の肉付けと骨格の矯正には時間が掛かります」


 僕の体は前の海外任務で中国のギャング組織に潜入するため、入団試験という名の拷問を受けた。その時の傷を隠すための傷跡修正手術を行わなければ、何かしらのトラブルで傷跡を目撃された際に疑いを持たれるだろう。他にも体脂肪率、筋肉量の調節のほか、骨格の矯正、動きの癖も把握しておく必要がある。


 成り代わりや変装は、顔や口調を変えれば良いというわけじゃない。――些細な部分から違和感や間違いが産まれ、それが命取りになる。


「ですが、任務は明日からです」


「顔は簡単に変えられても、癖や肉体は簡単には変えられません。見る人間が見れば、僕が諜報員であると分かる。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「では気づかれない努力をしてください」


 僕がこれだけ言っても引き下がらないのなら、もう何を言っても無駄だろう。


 情報士官(オフィサー)とはいえ、彼女も現場職(ぼく)とさして違いはない。


 諜報員は情報士官の命令を絶対とするように、情報士官もまた防衛省の指示が絶対だ。彼女も数ある駒の一つに過ぎず、僕がどれだけゴネたところで大局に変化はないだろう。


 天音にも言われた通り、出来る範囲で最大限の準備を整えるしかない。


 意識を切り替え、僕は伊集院義正として高等部の校舎へと足を踏み入れる。

 事前に通達された配属クラスである一年B組の教室に入り、席に腰を下ろす。

 既に生徒のほとんどが教室に集まり、各々のグループを築いて談笑に華を咲かせている。小中高一貫校であるなら、進学したところで交友関係に大した変化はないのだろう。既に関係が構築されているのも当然だ。

 そういう意味でも、交友関係が少ないというのは成り替わった身としては楽で助かる。だが、ゆえに多少の注目を集めてしまうのはあまり喜べない。


「ねぇ、あの子って伊集院くんだよね?」


「なんかちょっとカッコよくなってない? 高校デビューってやつかなっ⁉」


 男女共々、声を潜めながらも決して小さくない話声を響かせる。

 談笑の話題に挙げられ、いくつもの視線が向けられているのを肌で感じ取れた。


 諜報員として避けるべき問題の一つは、このように周囲から注目を集めることだ。

 注目を集め存在感を得てしまえば、それだけのちの諜報活動に支障が出る。逆にそれを利用する方法もあるが、伊集院義正という偽装(キャラクター)でそれを実行するのは厳しい。


 とはいえ、こればかりは諦めて受け入れるしかない。


 卵を割らなければオムレツは作れないように。目的を果たすためには避けて通れない道もある。これはその一つだと割り切って考えるしかないだろう。


 それよりも――


 僕は視界の端に映るようにして観察している男子生徒、愕鬼京について思考する。


 懸念すべきことがあるとすれば、彼の存在だ。


 彼は日本三大財閥のうちの一つ。愕鬼グループの代表取締役(CEO)、その二人いる子息の一人であり、伊集院義正と交友関係を築いている数少ない人物。

 伊集院キャピタルはこの愕鬼グループが統括する財閥の一組織であるため、一種の親子関係にある。そういう意味でも愕鬼京と伊集院義正は近しい関係にあるのだろう。


 本来ならば具体的な関係性を知るために監視員が時間を掛けて情報を収集し、精査。その情報を元に成り代わりの精度を高めておくものだが、今回はそれを実行するだけの猶予がなかった。


 つまり愕鬼京との関わり方が、潜入を始めて最初のアドリブになる。


 ――まぁ、おおよその関係性は想像がつく。それほど難しい対応にはならないだろう。


 それから今後の諜報計画を一人脳内で組み立てていると、突然周囲の空気が変わったように生徒たちが慌ただしくなる。その理由はすぐに分かった。


「見て、アナスタシア様よ!」


「マジいつ見てもふつくしすぎっしょ……‼」


「あのアナスタシアちゃんと同じクラスになれるなんてラッキーだよな!」


「アナちゃんが吐いた空気が吸える。……ハァ、ハァ。分子の一つも残さないようにしないと――‼」


 クラスメイトたちの視線を一手に担うのは、アナスタシア・ベロゾフ。


 銀の長髪に紛れるような三つ編みのアクセントが気品ある雰囲気を醸し出し、僅かに垂れた目尻から覗く瞳は翡翠のように透き通った緑色。


 容姿端麗という言葉がここまで似合う人間はいないと思えるほどに整った顔立ちと、日本人女性の平均より発育の良い抜群のプロポーションを持つ少女は、世界で活躍する宝石商を父に持つ在日ロシア人だ。


 成富学院へ通うにあたって、クラスメイトの基礎情報は事前に頭に叩き込んである。学院で有名どころの生徒は特に。そして彼女は、その有名どころの一人であり《国際犯罪組織》の工作員候補の一人でもある。


 工作員や諜報員は目立たないようにすることが定石だが、それはあくまで数多に存在する戦略の一つに過ぎない。

 情報を収集するという目的であれば、目立つというリスクを負ってでも交友関係を広め、信用を得て情報源の信頼を勝ち取る、というのも戦略の一つだろう。

 立ち回りが難しく、予測困難な危機に直面する可能性も高いが、それだけ有益な情報を素早く手に入れることが出来る――ハイリスク・ハイリターンな手法。


 そしてそれを行うのに最も適しているキャラクターが、あのアナスタシア・ベロゾフだ。


「おはようございます」


 外国籍の人間とは思えないほど流暢な日本語。凛と透き通るような声でアナスタシアが挨拶を口にすれば、教室は生徒たちの歓喜の声で小さく震える。

 彼女が席に座れば周囲に人の群れが形成され、談笑の声がより大きく教室に響き渡った。


 アナスタシアは機関銃の如く投げかけられる話題を適切に捌き、生徒たちの談笑の輪を崩さずに会話を回している。笑いが起これば口に手を当て、上品な笑い声を漏らす。無意味な世間話にも相槌を忘れず、共感を示した。

 魅力的な容姿に加え、細かな気遣いと気品ある所作を見れば、彼女が多くの生徒に好感を持たれるのも納得できる。


 そんな彼女の様子を窓の反射越しに眺めていると、その翡翠の瞳と目が合う。だがそれも一瞬のことで、すぐに交差した視線は離れた。

 一般人であれば偶然視線が重なっただけ――と勘違いするような、ごく自然な視線移動。


 しかし、同じ穴の狢と言うべきか。あの一瞬で彼女への疑いが、確信に変わる。


 ――アナスタシア・ベロゾフは、《国際犯罪組織》の工作員だ。

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