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【プロローグ】

 高級ホテルのスイートルームに入ったのが数分前。

 その後、隆起した筋肉を持つ黒服二人に取り押さえられ、氷水がいっぱいに注がれた浴槽に顔面を押し込まれたのが数秒前の出来事だ。


 僕はゴポゴポと泡を吐きながら、痛みを感じるほどに冷たい氷水を口や鼻から吸い込む。


 意識が遠のきかけた時、後頭部を押さえつける力が弱まる。その瞬間に頭を持ち上げ、咳き込むと同時に肺へ吸い込んだ氷水を吐き出す。


「『電子レンジ』、『ガトーショコラ』、『カシューナッツ』、『発煙筒』、『プリマドンナ』、『作業服』、『中指』、『白昼夢』、『レオタード』――」


 その間、黒服の一人がお経のように淡々と脈絡のない単語を並べる。

 少しして、またすぐに僕は浴槽に顔面を押し込まれた。

 数十秒と経ったあと、再び空気を吸う余裕を与えられ、脈絡のない単語の羅列を聞かされ、また浴槽に顔面を――そんな拷問染みた作業をしばらく繰り返して、ようやく僕はスイートルームに足を踏み入れることが出来る。


 金と宝石がいっぱいのシャンデリアが天井にぶら下がり、アンティークな家具に囲まれたその部屋は、装飾だけで数千万円の値が掛かっているだろう豪華絢爛な一室。海外ならそう珍しくない高級感溢れた部屋だが、ここ日本では珍しい。

 僕は毛先から滴る氷水でシルクの絨毯を濡らしつつ、部屋の中心にある柔らかなソファーに腰かける男と対峙した。


「さて、若き伝文人(メッセンジャー)くん。浴室で私の部下にシャンプーして貰っている時に聞かされたであろう――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 足を組んでふんぞり返るその男は、答え合わせをするように懐から一枚の紙を取り出した。同時に、銃社会ではない日本ではそう見ることが出来ない拳銃も一緒に。


「……っ」


 直後、僕は僅かに怯えた様子を見せる演技をして、しかし反抗心を秘めた視線を男に送る――演技をした。

 頭を振って髪を濡らす氷水を飛ばし、近くにあった椅子を引き寄せ腰を下ろす。


「その前にまずタオルを寄越せ。お宅の言うシャンプーのせいで髪が濡れたままなんだよ」


 僕の言葉に男は不敵な笑みを浮かべ、黒服の一人に顎で指示を飛ばす。数秒後には黒服の一人がふかふかなバスタオルを持ってきて、僕に放り投げる。

 受け取ったバスタオルで濡れた髪を拭っていると、無意識のうちに思考が加速した。


 ――まずはこのバスタオルで目の前の男の視線を遮り、拳銃による初撃を僅かに遅らせる。次に腰かける椅子を使って背後に控える黒服の一人を攻撃、怯ませると同時に破砕した椅子の背もたれをもう一人の黒服の首に突き立て、動脈を切る。


 この頃にはもうソファーに座る男の視線が開けているだろう。動脈を切った黒服を盾にして銃撃を防ぎながら接近。盾にした黒服を突き飛ばして隙を作り、男から拳銃を奪って背後から迫っているであろうもう一人の黒服の頭部に二発。男にも二発撃ちこみ、生死確認を省くために動脈を切った黒服も同様に二発の銃弾を頭に叩き込む。


 僕は、この場にいる三人を殺害するのに五秒と掛からないことを理解する。

 同時に、その考えを掻き消そうと乱暴にバスタオルで髪を拭った。


「『電子レンジ』、『ガトーショコラ』、『カシューナッツ』、『発煙筒』、『プリマドンナ』、『作業服』、『中指』、『白昼夢』、『レオタード』――」


 僕は濡れた髪を拭いながら、水責めの合間に聞かされた脈絡のない単語の羅列を口にする。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 僕がすべての単語を語り終えると、男は手に持っていた紙を握り潰し背後に捨てた。同じように、僕もまたバスタオルを背後に放る。


 そして男は不敵な笑みを浮かべ、芝居がかった拍手をした。


「いやはや、素晴らしい記憶力だ。さっきは乱暴してすまないね。これから先方に届けてもらう暗号(メッセージ)を万が一にも忘れて貰っては困るんだ。電子痕跡を残さないやり方は、やり直すのもそれなりに面倒だから」


「さっきの水責めは、その大事な暗号(メッセージ)ってやつをド忘れしないか確認するためのテスト。だから乱暴されたことは忘れろって?――ふざけんな。報酬は約束の倍にしろ」


 僕の態度に反応して背後に控える黒服が動き出すも、片手をあげて男がそれを制する。


「子供にしては威勢がいい」


「これが初めての闇バイトだったらビビってたかもな」


 僕の言葉に男は再び笑みを浮かべ、傍に置いていたダッフルバックに手を掛ける。


「キミのような子は嫌いじゃない。――構わないよ。二倍でも三倍でもね」


 その後、男はバッグを目の前のテーブルに広げて見せた。中には山積みになった一万円札の束が入っている。


「それは前金だ。仕事を終えたのを確認すれば、その倍の金額を支払おう」


 謝罪のつもりか、あるいは口止め料か。僕が役目を終えた後に回収する算段の可能性もある。なんにせよ事前に聞いていたよりもずっと多い現金が用意されていた。


「最近は日本の諜報機関――《雀蜂》なんて呼ばれる連中のせいで商売にならなくてね。何をやるにしても一手間掛ける必要が出てきた。キミのような子供を使うのもその一つ。子供なら潜入捜査官を警戒する必要はないからね」


 男の話を聞き流していると、部屋の隅にあった姿見に映る自分と目が合う。

金の髪に茶色の瞳。ピアスの多い耳たぶ。どこかの学校の制服を着崩した今の姿は――闇バイトに応募するグレた学生に見せるための偽装だ。


 話を進めろ――そんな意を込めた視線を送れば、男は懐から一枚の用紙を取り出す。


「これが本命の暗号だ。覚えるのにどれぐらいの時間が必要かな?」


 テーブルに広げられたその用紙には、端から端まで一杯に数字が刻まれていた。

 その数、()()()()()。これらは不規則に並べられた意味のない数字の羅列であり、特定の意味を持つ暗号。


 さっきの記憶テストは氷水に漬けられるという異様な状況ではあったが、伝えられる単語には既に意味が存在していた。しかし、これらの数字は特定の意味を持たない。それは既に意味を持つ単語を記憶するよりもずっと難しい。


 ――だが、想定の範囲内だ。


「申し訳ないが後のスケジュールが詰まっていてね。暇とは言えないんだ。だから出来るだけ早く、そして確実に――」


「もういい」


 用紙から視線を外した僕を見て男は目を丸くし、数回のまばたきを挟む。


「18桁目の数字は『5』。417桁目は『9』。2672桁目は『1』。終わりから72桁目は『3』――()()()()()()()()()。さっさと終わりにしよう」


 男はテーブルの用紙を手に取り、僕の発言の正確性を判断しようと視線を走らせるが――あれだけ膨大な数の数字が連続していては、桁数を数えるのすら億劫になるだろう。

 事実、男は僕の発言の正確性を判断するのをすぐに諦めた。


「右上から下へ数えて38行目。左から27行目。そこから三つ下」


 変則的だが、提示された暗号を正確に把握しているのなら問題なく答えられる問いを受けて、僕は立ち上がりダッフルバックを背負う。


 問いの答えは、『4』。


 それを告げれば、男は再び不敵な笑みを浮かべる。


「キミの活躍に期待してるよ」


 男の言葉に答える代わりに、僕はそのまま部屋を後にした。


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