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第三話:すっぴん眼鏡、異世界王子(仮)とスーパーへ行く

 深夜の事件から数日後。

 隣人の気配は全くない。というか、私の生活自体が一般人と比べ少しずれている所為もあると思う。今日も目覚めると午後を大きく回っていた。ビジネスマンなら、この時間帯は当然外出中だろう。


 昨晩の雨は嘘みたいに、蒼穹が窓向こうに広がっていた。そろそろ、書き下ろしのアンソロジー用プロット作成に取り掛かろうかな、と、まだ上手く稼働しない頭で思った。


 その前に洗濯と掃除。未だに誘惑の腕を伸ばしてくる布団を跳ね上げ、身体を起こす。タブレットを引きよせ、メモ帳を確認すると、数日前に眠気半分で打ちこんだであろう文字列に、半笑いを浮かべた。


「大型わんこ系、裏家業、うーん主従者も有りかなあ。お世話係×主人とか」


 壁面の本棚を遠目に眺めるだけにしておく。脳内妄想を開始させてしまうと、この非常に住み心地の悪そうな部屋が片付かなくなる。


 基本的に私は片付け魔だ。決めた場所に置かれていない資料の山や、クリアファイルの端から飛び出している紙など見るとぞっとしてしまう。


 それでも締め切り直前はどうしても部屋が荒れる。床上にそのまま放置されてある雑誌や本の紙束。定位置にないゴミ箱。この数日気になるところは片付けていたのだが、洗濯日と決めていた昨日は生憎の雨模様で、それが叶わなかった。


 ぼんやりしたままベッドシーツや枕カバーをひっぺがす。空気の入れ替えついでに窓を開け放つと、心地よい風がカーテンの裾を揺らした。リネン類を洗濯機に放り込み、スイッチをいれる。お気に入りの柔軟剤の残りが僅かだった為、オートモードではなく、洗濯モードだけにしておき、買い出しも兼ねて近所のスーパーにでも行こう。


 こんなにのんびりできるのもどうせ後数日位だし、久しぶりに夕飯でも作ろうかなあ。冷蔵庫の中身もそこそこ乏しくなってきているし、一週間分は買いだめしておきたい。


 どうせご近所だしと、すっぴん眼鏡のままだ。ルームウェアはカーディガンを羽織ってしまえばワンピースっぽく見えるし、知り合いが居るわけでもないので、気にしない。


 サンダルをつっかけた所で、キーラックに余分に掛かっている鍵の存在を思い出した。ついでに1階のポストに入れておこう。


 ドアを開けた瞬間。「ごんっ」と鈍い音が響いた。


「――!」


 額を抑え、呻いている隣人がいる。


「なに、しているんですか」


 私をその麗しの蒼い瞳で捉え、躊躇するように唇を薄く開き長い溜息を吐いたのち、憂える声で「ついに食料が尽きた」と言った。


 そんな報告をされても、反応に困るし、じいっと探るように見つめないで欲しい。あの夜も思ったけれど、神々しい生身のイケメンには、慣れていない。


 買い物に行こうとドアを開けた手前、閉じるわけにもいかず、二人の間には、また重たい空気が流れる。暫くの間、唇をぎゅっと引き結んでいた隣人は、切なげに言った。


「食料を確保しに行きたいのだ……」


 低く掠れた声から発せられる内容は兎も角、いちいち創作欲を掻き立てられるような所作は、とても興味深かった。少しだけ考える素振りをすると、苦しげに眉根が顰められる。一部には大ウケするような加虐趣味は持ち合わせていないはずなのに、うっかり顔がにやけそうになってしまった。


「――それでは、ちょうど買い出しに行く所だったので、一緒に行きますか?」


◆◆◆


 マンションから駅前までのちょっとした距離で、私は今までの三次元的世界では経験したことのない、紳士的な振る舞いを目の当たりにして、ちょっと心の安定が取りづらくなっている。


 エレベーターに乗る時とかは、むしろ私が彼をエスコートする側だったのだが、道を歩いている時の彼の気遣いはさり気なく、且つマメであった。頼めば靴も履かせてくれそうな勢い。


 車道側を歩かせないよう、そっと背中に掌を添えられた時、他人の体温をなかなか感じづらい生活をしている私は、思わず変な声を出してしまった。歩道橋ではごく自然に左手が差し出され、まあそれを受け取ることはできなかったんだけど、客観的な構図は見てみたいので、もう一度再現していただきたい。


 が、信号機の意味を問う真剣な横顔や、通り過ぎる車にびくっと身体を震わせ顔を背ける所とか、なんというか、世間知らずにも度が過ぎる。まるで彼の目に映るあらゆる出来事は、彼の常識に存在していないかのような。


 駅前のスーパーの自動ドアに狼狽えた声を上げたイケメンは、入店した後もガラス扉を恐怖の目で振り返っていた。開閉するガラス扉を見ながら「訳がわからない」と呟いているけど、訳がわからないのはこちらだ。


 夕方に差し掛かっているこの時間帯は、人の出入りも多い。入店してすぐの所に立ち止まっているにも関わらず、絶対二度見してしまいそうな美形外国人のことを、どの人もまるで存在していないかのように通り過ぎていく。


 適当な恰好でイケメンの隣を歩く羽目になった私は、最初あれこれエスコートしてくれようとする態度に、居た堪れない気持ちになっていたというのに。


 この程度のイケメンはそこら辺に沢山転がっているのだろうか。社会との接点が少な過ぎる私にとっては、判断がつけ辛かった。


 オレンジ色の買い物籠を渡すと、ぽかんと口を開いて私を見返す。この反応である。うまく表現できないけれど、とてもちぐはぐな感じ。


 私も同じように籠を持って、店内へと足を進めると、困ったような顔でついてきた。もしかしたら自分で買い物もしたことないお坊ちゃまなのだろうか。「欲しい物を籠に入れればいいんですよ」と伝えると、途端に破顔して、すぐそこにある青果コーナーで、メロンやオレンジ、サクランボ等のパックを何個も入れていた。食料尽きたっていってた気がするんだけど、果実食主義なのかな。


 私の夕飯はどうしよう。時間的余裕も今日はあるから、何か煮込もうかなあ。今までの行動から、若干不安があったので、イケメンとはレジの所で待ち合わせる事にして、店内を回ることにした。


 買い足したかった洗剤等のコーナーを曲がったところで、意気揚々とカートを引いているイケメンの姿を見かけた。籠は二つに増えているが、フルーツとお菓子っぽい派手な箱しか入っていない。


 私の姿を認め、彼が軽く手を上げた。たったそれだけの動作なのに、緩く曲げられた腕の線とか、それによって造られるシャツの皺とか、何かを言いかけ開かれた唇の隙間とか、計算されつくされた数値で構成されている。そしてあんなに目立つ容貌なのに、誰も振り返らないのが、凄い。もしかして私が、世間知らずすぎる?


 無事、食料確保という任務を完遂させた私達は、やっとお互い名乗りあいながら、レトロなマンションに向かって、ぽつぽつ会話しながら帰っている所だ。


 イケメンもといアレクシス=ドゥ=フォルジェは、まだ来日して十日程だという。この辺の地理も当然詳しくなく、今は仕事環境を作る準備の最中で、今日初めてあのマンションの敷地から外に出たらしい。引きこもりっぷりは私の上をいっていた。仕事環境ってなんだろう。やっぱり投資家とかかなあ。


「成る程、アヤノは家で仕事をしているのだな?」

 少しだけ嬉しそうな声でアレクシスが微笑む。

「そうですねー。私もあまり外出しないので、一週間に一度は食材の買い溜めとかしてるんですよ」

「では、次回の外出時も共に来てくれないだろうか?」

「別にいいですけど……。あ、それより鍵返していいですか?」


 衝撃的再会で、うっかり忘れていた。


「それは困る」

「困るのは私の方です。だいたい他人に持たせているのは不用心だと思いますよ。家族や恋人ならともかく」

「では恋人ということでいかがだろうか」


 あっさり返され、不覚にも動揺してしまう自分がちょっと情けない。アレクシスみたいなタイプはそういうのに慣れていそうだけど、大学卒業以降うわついた話は私にはないのだ。私の反応に、肩を揺すって笑うの、ちょっと性格悪くない?


「エレベーター、一人で乗ってもらいますよ」

「そ、それも駄目だ!」


 閉まるのボタンをさっさと押すと、ドアに挟まれたアレクシスが悲壮な顔をしながら飛び込んできたので、内心で反省する。この浮遊感、確かにあんまり好きじゃないけど、階段を十一階分登るのは断固拒否したい。


「ところで、果実食主義者ですか?」

なんとなく聞いてみた。

「好きな物を好きなだけ食べる生活をするのが夢だったんだが……」


 マンションの通路には、食欲をそそる匂いが漂っている。どっかの家はカレー作ってるなこれ。

 アレクシスのお腹がぐうっと鳴り、彼ははっとしたように両手に下げている自分の荷物に視線を落とす。そして私の荷物にも。


「アヤノは料理する事が出来るのか?」

「……それなりに」

「腹が空いた……」


 情けなくも再びお腹が鳴る音がする。

 予想できるこの先の展開はお約束過ぎる。


 かくしてアレクシスは我が家に再度、来訪した。鍵の引き取りが条件である。


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