第十話:イベント参戦!いざ、推し活の渦中へ
「アヤノ先生おめでとうございます! 『異世界王子(仮)のアレス様はご執心!』の大ヒットを記念して、ファン感謝イベントへのご参加が決定いたしました!」
鈴村君からの嬉々とした連絡に、私は思わず手にしていたペンを落としそうになった。
――ファン感謝イベント。
それはすなわち、これまで外界との接触を極力排し、ひっそりと引きこもり生活を謳歌してきた私にとって、読者の前にその身を晒すことを意味する。
恐ろしく、同時に全身が粟立つほどの事態であった。
「え、イベントですか? 私、そういうのは些か不得手でして……」
「何を言ってるんですか! 読者の方は先生にお会いできるのを心待ちにしていますよ! それに、今回は特別ゲストも……」
鈴村君は私の返事を待つことなく、一方的に話を推し進める。
特別ゲスト? 一体、誰が招聘されるというのか。
その時、背後から純粋な好奇心に満ちた声がした。
「何やら楽しそうな話をしているな。私も協力できることならば、遠慮なく言ってほしい。いつでも」
振り返ると、見慣れたYes/Noロゴが刺繍されたエプロンを身につけたアレクシスが、フライパンを片手に仁王立ちしていた。
今宵は『伝説のチャーハァーン』の調理に奮闘中。
私は慌てて、存在そのものが突っ込みどころしかない、その威圧感たっぷりの男から距離を取った。
視覚的暴力が凄すぎる。
「アレクシスさん、これは私だけの仕事の話ですから!」
しかし、彼の瞳は、子供のようにキラキラと輝いている。異世界の文化や習慣を学ぶことに異常なほど貪欲な彼は、『イベント』とやらに並々ならぬ興味を抱いたに違いない。
私の脳裏には、最悪のシナリオが瞬時に展開され、嫌な予感しか残らなかった。
だがしかし、結局、私の抵抗も虚しく、漫画の作者本人のイベントへの参加は、まるで既定路線であるかのように決定してしまった。
数日後、編集部から届いたイベントの企画書と進行台本を手に取り、私は文字通り愕然とした。そこには、私の漫画の登場人物「アレス王子」のイラストと共に、大きくこう記されていたのだ。
【特別ゲスト:アレス王子、まさかのご降臨!?】
「いやいやいや! まさか本物を呼ぶ気ですか!?」
思わず叫んでしまった私に、鈴村君は電話口で朗らかに笑った。
「先生、冗談はさておき、アレス王子をイメージしたゲストをお呼びしましたからご安心ください。きっとファンの皆様も喜んでくださいますよ!」
『イメージしたゲスト』という言葉に、私は一抹どころではない、甚大な不安を覚えた。彼の脳裏に浮かんだ『アレス王子をイメージしたゲスト』とは一体、どのような人物を指すのだろうか。まさか、アレクシスのような容貌の人間が、この日本にもう一人存在するのだろうか。それとも、クオリティの高いコスプレイヤーに協力を呼び掛けたのだろうか。様々な疑問が脳裏をよぎったが、いずれにせよ、私の抱く不安は払拭されなかった。
◇◇◇
そして、暦は少し進み、あっという間にイベント当日である。
会場は、作品のファンの途方もない熱気に包まれていた。私は緊張で全身がガチガチになりながら、ステージの袖で自身の出番を待っていた。隣に立った担当編集者の鈴村君が、どこか誇らしげな面持ちで言う。
「先生、準備万端です! 例の『アレス王子』もうすぐステージに上がりますよ!」
「え? あ、はい……」
私の心臓は不規則にバクバクと音を立てる。そして、スポットライトが煌々と照らされたステージに現れた人物を見て、私は絶叫寸前になった。先程までの出来事が、刹那にして走馬灯の如く、暴走してゆく。
そう、そこに立っていたのは、まごうことなきアレクシスだった。
しかも、彼が身につけているのは、私が描いた漫画のアレス王子が纏う、あの煌びやかな衣装だったのだ。
どうりで先日、編集部から「アレス王子(仮)に設定した身長、体重、股下、スリーサイズ、その他詳細数値を教えて欲しい」と連絡があったわけだ。あの時は単なるキャラクター設定の深化だとしか思わなかったのだが、まさかこんな形で現実とリンクするとは。
「本日は、この『アレス』のために、かくも多くの人々が集まってくれたこと、心より感謝する」
アレクシスは、ステージの中央で胸を張り、朗々たる声で挨拶をした。その完璧な容姿と、まるで漫画のキャラクターから抜け出てきたかのような、圧倒的な存在感を放つ佇まいに、会場は割れんばかりの歓声に包まれた。
「リアルアレス様!」
「本物すぎる!」
「生きててよかったー!」
ファンの熱狂ぶりに、アレクシスは戸惑うことなく、むしろ上機嫌な様子で言葉を続けた。彼の異世界における教養が、この場の「歓迎」を最大限に享受することを可能にしているようだった。
「私がこの世界で学ぶ『愛』の真髄を、皆に伝えることができれば嬉しく思う…… さあ、この『伝説の料理』について、語り合おうではないか!」
そう言って、彼はステージの脇に用意されていた料理器具に迷いなく手を伸ばし始めた。
え!ちょっとまって!
まさか、イベントで料理を始めるつもりなの!?
台本にそんなことは一言も書いていない!!!
私の長きにわたる平穏な引きこもり生活は、今日、完全に終焉を迎えると同時に、異世界の王子サマ(仮)は、この世界で新たな『伝説』を作り始めようとしていた。
会場の熱狂は、アレクシスがステージ上でエプロンを締め、食材を並べ始めた途端、最高潮に達した。
私の絶叫寸前の心境とは裏腹に「アレス様が料理するー!」「生クッキング!」と、まさかの展開に大興奮だ。
「我が故郷の料理は、味覚を多少刺激するが、魂を震わせるには至らない! しかし、この世界で学んだ『愛』の真髄は――――料理に新たな生命を吹き込む」
アレクシスはそう高らかに宣言し、手に持った巨大な包丁を器用にくるくると回した。その剣技を思わせる鮮やかな手つきに、会場からは再び割れんばかりの歓声が上がる。彼はどうやら、イベントというものをいわば、プレゼン的な『自身の料理の腕前を披露し、日本の食文化の奥深さを探求する場』だと認識しているらしい。
だが、問題はここからだった。
「まず、この『攻めのニンジーン』を、細かく刻む! 力強く、そして情熱的に!」
アレクシスは、勢いよくニンジンを刻み始めた。その剣技に由来する力加減は、繊細な料理における緻密な作業には全く向かない。まな板は激しく揺れ、裁断されたニンジンは宙を舞い、中には客席にまで飛び跳ねるものまで現れた。
「キャー! 人参が飛んできた!」
「アレク様の人参!!」
銀テープを追いかけるかの如く、ニンジンと思しき切れ端に、文字通り多くの手が伸ばされる。しかし、ファンの悲鳴すら、アレクシスにとっては熱烈な応援に聞こえるようで、会場を嫣然と見渡すと、次の手順を宣言した。
「次に『受けのジャーガイモ』を、優しく、しかし確固たる意志を持って剥く!」
彼はジャガイモの皮を剥き始めたが、どうやらピーラーの使い方が分かっていないらしい。ジャガイモの半分以上が皮と共に無残にも削り取られ、見るも無残な姿になる。
「アレクシスさん! それはもったいないから!」
私はステージ袖から思わず叫びそうになったが、鈴村君に口を塞がれた。
「先生! リアルアレスの貴重な姿です! これは演出ですから!」
演出って、こんなにも食材を無駄にするのが演出だというのか!?
私の常識は、彼の行動によってことごとく覆されていく。
そして、クライマックスは『伝説の肉じゃが』。アレクシスは、煮詰まった鍋の中身を味見しようと、お玉を口に運んだ。その時、熱気が立ち上る鍋から、突如として湯気と共に謎の光が立ち上った。
「そして――これぞ『愛』の光!」
アレクシスは感動したように目を輝かせたが、それはどう見ても通常の光景ではなかった。しかも、その光は次第に形を成し、鍋の上空に、紋章らしき――剣と盾、そして魔法陣を組み合わせた意匠のようなもの――がぼんやりと浮かび上がった。
「プロジェクションマッピング!?」
「CG? リアルすぎない!?」
会場は、驚きと興奮、そして若干の恐怖が入り混じったざわめきに包まれた。確かに今回の連載はファンタジー要素も多く、魔法という概念も作中に登場する。だからこそ、この可視化された魔法陣の出現は、会場に強烈なインパクトを与えた。冷静な目で見れば、これは明らかに異常な現象だ。
アレクシス本人は、ただただ満足げに鍋を見つめ、高らかに宣言する。
「完成だ…… これぞ、私の『伝説のニクジャガー』 我が故郷に、この『愛』の味を伝えるために、私はこの料理を極めたのだ」
彼は出来上がった肉じゃがを、麗しい手付きで、丁寧に盛り付け始めた。
その時、彼の背後に、不審な影が忍び寄っていることには、誰も気づいていなかった。




