きみに心を授けたい
ふっと思いついたネタの走り書き。供養します。
ぼくのお家は、人形をつくっています。
大きな人がたの人形から、子ども向けのかわいい人形まで。
とてもたくさんの人形を、お家の人たちぜんいんでつくっています。
だけどその中で、とても不思議な人形があります。
見た目はまるで本当の人のようなんです。
綺麗な銀髪の女の人と男の人。どちらもしっかりと目をつぶり、椅子にすわっています。
本当の人みたいなのに、ふれるととても冷たいのです。
『父さんたち一族のみんなはね、彼らに命を吹き込むために、いろんな人形をつくり続けているんだよ』
ある日、ぼくが女の人と男の人を見ていると、父さんが教えてくれました。
父さんの父さん、そのさらに父さん……昔むかしから、この女の人と男の人にいのちをあげようとしているのだそうです。
だけど、いままで、それがかなったことがないと言います。
「ぼくが、この人たちにいのちをふきこむよ!」
その日から、ぼくの人形つくりははじまりました。
来る日も来る日も、人形をつくりました。
すべては、彼らにいのちを吹き込むために。
大きくなって学校に通い、卒業し、さらに進学して、卒業し……。合い間を縫っては、人形づくりに没頭しました。
その中で、こころはねんどに似ていると思いました。
柔らかいうちは自由自在にかたちを変えられる。
だけど時間が経てば経つほど、ねんどのかたちは定まり、変えることはできなくなる。
固まってしまったものはすぐには変われないけれど、少しずつ外から解していけば、いずれはまた違うものへと姿を変えられる。
子どものうちは柔らかく、物ごとを吸収しながらかたちを変えていく。大人になるにつれ、そのこころはかたちを定めていく。けれど定まったあとでも、何かしらの刺激により少しずつかたちを変えていくことができる。
ぼくはこれを、いのちを吹き込むための足がかりにならないかと考えました。
しかし、いのちを吹き込むということは、とても簡単なことではありません。
機械として、いのちに近しいものを彼らの中に組み込むことはできます。
でもぼくは、人間としていのちを授けたいのです。システマチックに決められたものではない、ぼくたちと同じように動き、考え、感じることができるようにしたい。
それがぼくの人形つくりの根幹です。
何年も何年も人形をつくり続け…………。
ぼくの体が動かなくなる方が先でした。
手元がだんだんと震えてしまい、精巧な人形をつくることができなくなってきました。
彼らに命を吹き込む前に、ぼくの命が消えてしまいそうです。
きっと父も、その父も、ずっとずっと、試行錯誤を繰り返しながら、夢半ばで倒れていってしまったのでしょう。
『ボクも、この人たちに命を吹き込んであげたい!』
幸いにも、ぼくの意志を受け継いでくれる者がいます。後はもう、彼に託すしかありません。
自分が成し遂げられなかった悔しさはあります。
それでも今ぼく自身ができることをした結果が現状となるなら、後悔はありません。
これから先、何年、何十年。もしかするともっと先。
彼らに命を授けてくれる人が現れると信じます。
「……ごめんね。先に行くよ」
部屋の片隅に、隣合って座る彼らに言葉を投げ、ぼくは静かに目を閉じました。