僕達は加害者であり被害者だ。
拙い文章ですが是非お楽しみください。
一体何時からだっただろうか、こんなに息苦しくなったのは。まとわりつく大気に、僕を取り巻く視線に、押し潰されそうになったのは。
渇ききった喉に唾液が落ちる痛みで僕の1日は始まる。
洗っても洗っても憑き物が落ちない顔とにらめっこをしながら身支度を済ませ、リビングに行くと、気持ちばかりの朝食が、まるで空席を埋めるかのように四人掛けのテーブルの隅に用意されている。
「いただきます」も「ごちそうさま」も言わなくなってしまった。僕の言葉は、一つたりとも家族に届かなくなってしまったから。
学校に着くと、生徒や先生達、特に女性からは嫌悪感と侮蔑を剥き出しにした視線が僕に注がれる。
『性犯罪者 井上直人』
それが僕だ。
◇
きっかけは二年生に進級して初めての登校日だった。
その日は寝坊をして、いつも乗る電車を乗り過ごしてしまった。
とはいえ、いつも余裕を持って乗っていたので、1本くらい乗り過ごしてもどうってことはなかった。
右手でつり革を掴み、朝の陰鬱な街並みを眺めていると、突然左手を捕まれた。
「この人、痴漢です。」
そう大声で叫んだのは、奇しくも僕のクラスの風紀委員の門馬純香。
僕の前に立っていた女子高生が泣き崩れる。
「……ぇ」
僕は絶対にやっていない。そう言おうとしても、上手く声を出すことができなかった。
結局証拠不十分で警察からは解放されたが、当然始業式には参加できなかった。
翌日のホームルーム直前、門馬さんの彼氏である及川太陽から、クラスの皆に伝わるように
「お前ら知ってるかぁ?そこにいる井上直人は痴漢をするゴミクズ野郎なんだぜ。」
と嘲笑うように宣言した。
「そうよ、私が逮捕に貢献したんだもの!」
誇らしげに門馬純香もそう言う。
直後、クラスメイトがざわついた。
その時に僕にかけられた言葉は、もう思い出したくもない。
つまるところ僕は、言葉の持つ力を考えることが出来ない短絡的な正義感に人生を狂わされたのだ。
「お前なんかもう息子じゃない。」
「あなたなんて産むんじゃなかった。」
「アンタが兄なんて、私の人生最大の汚点だわ。」
どんなに否定をしようとも、火に油を注ぐだけ。家族ですら僕のことを信じてくれない。
どうやら僕は、世界から外れてしまったみたいだ。
◇
蜘蛛の糸のような視線で雁字搦めにされた僕に出来ることは、家と学校と、昨年の夏から始めたバイトとを行き来するだけ。
少なくとも、高校を卒業するまではそれしかないと、そう思っていた。
バイトの帰り道に、路地裏から、なにやら争う声が聞こえた。
「離してくださいッ!」
「おいおいそんなに暴れんじゃねぇよ、人にばれたらどうすんだよ」
「大人しく俺たちに従っとけって、痛くしねぇからさ」
好奇心を抑えられず少し覗いてみると、そこにはあの日の女子高生と、茶髪と金髪の大学生らしき人物がいた。
痴漢冤罪は、門馬の所為。
『彼女は被害者だ』
そう思いつつも、彼女を見ると怒りと憎しみが腹の底からふつふつと沸き上がってきていた。なのになんで…
「お巡りさんこっちです!!」
なんでこんな馬鹿みたいなことをしてしまうんだろうか。
「チッ、さっさと逃げるぞ!」
「なんでサツが近くにいるんだよ!」
足音が遠くなるのを確認し、彼女に話しかける。
「大丈夫ですか?」
彼女は目を見開いて、怯えたように固まってしまった。これは悪手だったかもしれない。
彼女からしたら僕は、痴漢をした人なのだ。
「あ、あなた…もしかしてあの時の」
恐る恐る僕に尋ねてくる。僕のことに気づいたような素振りを見せた。
「じゃあ僕はこれで。」
そう言って立ち去ろうとすると、
「待って!」
と、彼女が口を開く。
「この間は本当にすみませんでした!!」
見事な直角のお辞儀をしてきた。いやそうではなくて、
「何故僕に謝る必要が?」
重々しく彼女が口を開く。
「実は……」
「何ですか。」
「実は、あなたが犯人じゃないって分かっていました。」
頭がパンクしそうになる。理解が追いつかない。
「あの場では、犯人じゃないって言い出すことができず…」
つまりこういうことらしい。
彼女はあの場では痴漢から解放され、安心して涙をながしていた。しかし、すでに真犯人は逃げていて、それを門馬に話そうとしても
「怖かったよね?大丈夫?なにも話さなくていいから」
と、喋る隙を与えられなかったらしい。
僕が警察から解放されたのも、彼女が証言してくれたからだそうだ。
本当に門馬はなんということを仕出かしてくれたんだろうか。
彼女の方からお詫びをしたいからと連絡先を交換した。
『宇佐美麗那』、珈琲と押し花の栞が挟まれた本の写真がアイコンだった。
◇
「放課後に少し、ここでお話しできませんか?」
メッセージと住所が送られてきた。
あれから麗奈さんとは、ちょくちょくやり取りをしていた。曰く、僕に対する罪滅ぼしだとか。
夜を思わせる綺麗な黒髪に肩までかかるくらいのボブヘアー。テレビでたまに見るアイドルよりも顔立ちが整っていて、正直僕のために時間を使わせているのが申し訳なってくる。
彼女には、あれから僕にどんなことがあったのかを聞いてもらっていたりした。
僕自身の環境は変化していないが、彼女に言葉を吐き出すだけで、かなり救われていた。
彼女は喫茶店巡りが趣味らしく、今日のようにおすすめのお店で談笑したりもするようになった。
「最近忙しそうだけど、麗奈さん何かあったの?」
「少し、やりたいことがあってそのために頑張ってるんだよね。」
僕は何かをやりたいと思っていた始めたことがないから、そのひた向きさに感心してしまう。
「何かあったら、僕を頼ってよ…って言ってもいつも相談してるのは僕の方だよね。」
「麗奈さん、いつもありがとう。」
少し間を置いて、彼女が話す。
「私にとって喫茶店ってさ、ちょっと疲れたときとか辛いことがあったときに行く逃げ道なんだ。」
「だから、直人くんにとっても、安らぎの場所になったらって思うとすごく嬉しいんだ!」
不意に見せたその満面の笑顔に、僕は見とれてしまった。
駅まで彼女を送り、帰路に着く。
はじめは彼女に少なからず苦手意識を持っていたが、話をしてみると、意外と馬が合った。好きな作家や珈琲の豆から始まった僕らの会話、今では世間話をするだけでも日が暮れるのが早いくらいだ。
喫茶店でのひとときは、今の僕にとって、生きる原動力となるくらいに、かけがえのないものになっていた。
◇
世間一般では、今日はクリスマスイブらしい。今日はシフトも入っていないし、平日であろうと今日の街中は混雑するだろうから家でのんびりと過ごそうとしていた。
夕食を終え、風呂に入ろうとしたときに、父から
「直人、話がある」
と切り出された。
高校を卒業したら、もう面倒は見ないとでも言われるのだろうか。ついにこの時がきてしまったかと身構えていたのだが、その予想は大きく外れることになった。
「「「直人(お兄ちゃん)、本当にすまなかった(ごめんなさい)ッ!!」」」
は?
「実は今日の夕方に門馬さんと及川さんのご家族が家に来て、謝りに来たのよ、今までのあなたへの非礼を詫びるから警察沙汰にしないで欲しいって。」
「ああ、そこで俺たちもお前が本当に冤罪だったことを知ったんだ。」
遅ぇよ……
「今までひどい扱いをして本当にごめんなさい。私たちもお兄ちゃんとまた、家族としてやり直したいよ……」
なんだよそれ……
「『私たちも』?フザケてんじゃねぇよ!!」
「お前達も僕が一番辛いときに信じてくれなかった時点で同罪なんだよッ!!」
「謝ったから許して欲しいなんて虫が良すぎるだろうが……」
制服のままで家を飛び出す。やり場のない思いを吐き出すように。
クリスマスツリーのイルミネーションが僕を照らす。
なぜ今更になって冤罪が晴れたのだろうか。いや、答えはもうすでに出ている。だってそうだろう、僕の無罪を証明できる人間は、被害者の彼女しかいないんだから。
ポケットからスマホを取り、電話をかける。しかし応答したのは彼女ではなく機械音声だった。
◇
時の流れというものは僕が思っているよりも早いようで、あの痴漢冤罪事件からすでに一年が経過していた。
未だ麗奈さんとは連絡が取れていない。彼女と過ごした時間は、もしかしたら夢だったのかもしれない。そんなことを思わずにはいられないくらい、未練を抱えていた。
息が詰まるのは相変わらずだが、それは僕に向けられる同情と後悔の念によってだ。
門馬と及川は、どこかへ転校した。僕との立場が逆転して、居心地が悪くなったんだろう。
あいつらからもらった示談金で一人暮らしも始めた。
僕は今でも孤立しているが、それは僕が望んだことだ。過程がどうであれ、一度は僕を裏切った人達に心を赦すという方が無茶だろう。
意外にも僕は今の生活が充実していた、たった一つの心残りを除いては。
あれから僕は、毎日喫茶店に通っている。もちろん、麗奈さんに会うために。
今日も今日とて彼女とは遭遇しない。彼女が好きと言っていたこの店のブレンドコーヒーを嗜み、会計を済ませて外へ出る。
扉に付けられている小さい鈴の音を背に前を向くと、そこには、夕焼けに映える神秘的な黒髪の彼女がいた。
偶然出くわした彼女になんと言おうか思考を巡らせていると、僕から逃げるように走ってしまった。
「待ってッッ」
彼女を追いかける。話したいことは山程あるはずなのに、喉につっかかって上手く喋ることができない。
彼女は懸命に逃げるが、それでも僕らは男と女。あっけなく僕に捕まってしまった。
「ねぇ、何で僕から逃げるの」
違う、これじゃあ糾弾してるみたいだ。
「何で、僕の前からいなくなろうとするの」
そういうことが言いたいんじゃない、
「何で…そんな顔をしているの」
一体何分経ったのだろうか。クレヨンで塗りつぶされたような顔をした彼女が、ようやく口を開く。
「罪滅ぼしが終わった私に…あなたの前に居る資格など無いから」
「…あなたに許しを求める私が醜いからッ!!」
喉が張り裂けるような声で、咽び泣く。
「僕は、君を見て醜いと感じたことは一度もないよ」
場違いだってわかってる。
でも…この気持ちは抑えられない。
「ずっとあなたの事が好きでした。僕と付き合ってください。」
「どう…して、だって私はあなたの人生を」
狼狽える彼女を横目に言葉を紡ぐ。
「僕と君の関係とか、外聞もどうだっていい」
「紛れもない君自身に僕は救われたんだよ」
泣きわめく彼女を、僕はそっと引き寄せる。
「周りの目が気になるなら、大人になってから2人で何処かへ行こう」
「そして、休日はゆっくり家で本を読みながらコーヒーを飲むんだ。」
澄み渡る橙色が僕らを包み込む。
「私も…貴方の傍に居たい」
決して上手いとは言えない僕達の犯行声明文。端から見たら不器用な会話でも、僕らには十分すぎた。
あの日の空を僕達が忘れることは無いだろう。
日間短編ランキング一位達成ありがとうございます。
皆さんのご期待に添えるように、私も日々精進していきます。