彼女の望み
暗闇の中に、わたしは立っている。
少し離れた正面に魔物の姿が浮かび上がる。
それはとても、ガルファスに似ていた。
けれど、それは姿だけで、纏う雰囲気はまったく違っていた。
「今、諦めようとしたんじゃないっすか? そうはさせませんよ」
ゴアルガスの声がする。
まさか、目の前の魔物が喋っているのだろうか。
「ここは……どこ?」
「さあ? おれは現世と異界の狭間って呼んでますね。今おれが必死にメリル様を引き留めてるんすよ」
「どうしてこんなことをするの?」
純粋な疑問から聞く。
わたしは人間に敗れ、大切な人も失ってしまった。そんなわたしに生きる意味があるとは思えなかった。
「どうして? 質問の意味が分かんないっすね。おれはメリル様を生かす。そのためだけにガルファス先生に命を与えられたんでね。そりゃああなたが死にかけてたら助けるしかないでしょうよ」
「私はもう生きていたくない」
するとゴアルガスは、大げさに顔をしかめる。
ガルファスは絶対にそんなことはしない。
「そう言われてもっすねえ。おれは命じられていることをやってるだけっすから」
「だってもうガルファスは居ないじゃない」
「確かにもういない」
ゴアルガスが言うと、暗闇に光が生まれ、外の風景が映し出される。
何もない荒野。
わたしは空から地上を見ている。
そこには、たくさんの魔物と人間たちが戦っていた。
大きなダラガントとゴブリンやオークたち、ワイバーンが、武器を持った人間や魔術を使う人間に襲いかかっている。
巨大な魔獣ダラガントが、その戦場を闊歩していた。
「これはおれの体に残った戦闘時の記録です。人間との戦いで多くの魔物は死に、生き残ったやつらも、ガルファス先生が居なくなったことで知性を失ってしまった。ダラガントはどこかに行っちまったし、おれがかろうじて自我を持ってんのは、魔素とつながることができたからっすね。これもいつ途切れるかわかったもんじゃない」
風景が切り替わり、わたしは魔王の玉座にいた。
これは魔王城の広間だ。
ゴアルガスの位置も変わり、わたしを見上げている。
「私には何もない。それでも生きろっていうの?」
「おれはメリル様に命令するような立場じゃないんで、それはわかんないっすね。ただ、生まれたばかりのおれに言えることは、生きる意味なんてないってことっすよ。生きてるから生きてる。そんなもんです。やりたいことがあるかどうか、やれといわれてやるかどうか。上手くいけばそれが生きる理由になるんだと思いますね」
わたしはゴアルガスの言葉に引っかかりを覚えた。
確かにそうだ。
わたしは、自分で何かをやりたいと考えたことはあまりない。ただ、ガルファスがしてくれることに応えようとして、言葉を学び体を鍛え、技術を習得した。
外で魔物たちと触れ合って、それはとても楽しかったのだけれど、ことさら自分で何かを求めたことはなかった。
ガルファスや魔物たちとともに生きる。
それだけで十分だったのだ。
お母さまとのことだってそうだ。
処置を受ける時も、わたしは強く拒まなかった。逆らえる気がしなかったということもあるけれど、わたしはお母さまのすることが正しいと思い込もうとしていた。
でも、ほんとうにそうだったのだろうか。
わたしは、お母さまに言わなければならなかった。痛いのはいやだと叫び、暴れるくらいのことをしても良かった。
なのに実際は、なにも抵抗しなかった。
ほんとうにいやなら、城を逃げ出すことだってできたのに……
わたしは自分で何かを決めることが怖かったのだ。だからつも誰かの助言や命令を待っていた。
時々、わたしはガルファスにわがままを言った。
止めてくれるとわかっているのに、困らせるために言うわがままだ。
魔王の領地の外に出てみたい。
外に出るということがどういうことか深く考えもせず、言葉だけで自分から動こうとしなかった。
だから……
「わたしは、一人で生きてみたい」
具体的なことは何もないけれど、思ったことをただ口にした。
「お? 気が変わりました?」
「わたしはゴアルガスにに言われて考え直したわけじゃない。わたしは思い出したの。ほんとうに自分がやりたかったこと。誰からの助けも借りずに外に出て、いろんなものを見てみたかった」
するとゴアルガスは大きく口を開けて、上を見ながら大きく笑った。
だからそんな顔はしないって。
「ハハハ! いいっすねえ! そうですよ! 生きるってのは、そういう衝動が大切なんすよ。良いじゃないですか、いろいろなものが見てみたい。おれも似たようなことを思ってますよ。いやあ、めでたい。このまま生きるのがいや……なんて言って悲しい顔されたままだったらどうしたものかと」
“生きるのがいや”っていう時のゴアルガスは明らかに変な顔をしていた。こいつは本当にあたしを魔王と思っているのだろうか。ほんとうにふざけている。
「魔王、魔王って言っているけど、実際あんたの態度はどうにかなんないの? 普通に失礼じゃない」
わたしはついに言ってやる。
「いやあ、尊敬はしていますよ。何しろガルファス先生が仕えていたお方ですからね。とはいえ、この性格っつうのは生まれつきなもんで早々変えられないんすよ」
「だいたい、ガルファスに似てるのも気に入らない。変な顔ばっかりするし、やめて欲しいんだけど」
「言われちゃ困りますよ。おれはもともと形がなくて、メリル様と話をしようってんで、先生の姿を借りたんですから。ぼんやりとしたままよりは話しやすいでしょう?」
「いらない気づかいね」
「へえ、そうですか。ま、どのみち現世じゃ体なんて維持できねえっすからね。今は辛抱してくださいよ」
わたしはため息をつく。
どうやらこいつは態度を改める気はないらしい。
でもだからと言って、こいつをどうこうできる力も、厳しく罰する資格も、わたしにはないように思われた。
なにしろわたしは人に負けてしまったからだ。
「じゃあ、そろそろ準備は良いっすか?」
「へ?」
ゴアルガスが玉座に向かって歩いてくる。
「へ? じゃないんすよ。メリル様の覚悟を聞きましたから、ここから出ようってことです」
ゴアルガスはさらに近づき、座ったわたしの目の前に立っている。
「うん……? 何かしないといけないの?」
ゴアルガスはひどく呆れた顔をする。
だからやめてって。
「良いから立ってください」
わたしは言われたとおりに立ち上がる。
するとゴアルガスは、じっとこちらを見つめてくる。
「……それで? どうすんの?」
わたしは聞くが、あいつは黙っている。
「だから――」
「静かに! 今集中してんすから、黙っててください」
なんという言い草だろう。
わたしは口汚くののしってやろうかと思った。
けれど、そんなことをする余裕はなかった。
何かを言う前に、ゴアルガスがわたしの体に手をまわし、そして、優しく抱きしめたからだ。
「え!? ええ!? あの? ちょっと!?」
「静かにしていてください。やり方はこれで合ってるはずですが、はじめてやるんでうまくいくかどうかわからない」
「でも……」
わたしは素直にゴアルガスの言うことを聞く。それにしても、恥ずかしいやら、怒りたいやら不思議な感覚だった。
わたしは今までガルファスのことを信頼して、ずっと隣に置いていたけれど、こんな距離まで近づくことはなかった。
なんだか、顔が熱くなってくる。
出来ることなら、こいつを突き飛ばしてやりたいくらいだった。
体に回された腕の力が強くなる。
わたしはあと少しその力が強くなったら、ほんとうに突き飛ばしていたかもしれない。
ふと、腕の力が弱まったように感じる。
同時に、ゴアルガスの身体が薄れていく。
「なにしてんの!?」
わたしは思わず叫ぶ。
「落ち着いてください。このまま現世に戻っても、メリル様の身体は安定せず、分解を繰り返すだけです。おれの力を使って、あなたを構成する核を安定させる。これでしばらくは外でも生きて行けるはずです」
「そんなことをして、あなたはどうなるの?」
「分かりません。何しろ始めてやることなもんで」
「だったらやめて! また、わたしの前からいなくなるつもり?」
わたしはとても不安になる。
「おれのことだったら、初めからあなたの前には居やしませんよ。ただの魔素の集合体なんでね。でも、メリル様、あなたは違う。元となる体は確かにあった。それを再現するために魔素が使われているだけです。核さえ安定したら、実体を維持させることができるはずなんすよ……」
言いながら、ゴアルガスの声は弱まっている。
「ゴアルガス!!」
「へへ……名前を呼んでくれましたね。嬉しいもんですよ。ガルファス先生からも、数えるほどしか呼んでもらえませんでしたし」
ゴアルガスの体がさらに薄れ、わたしの体に吸い込まれていくことがわかる。わたしはそれを止めることができない。
「やめてったら……」
「安心してください。おれはいつもメリル様の近くに居ますよ。魔素とおんなじですからね。だから生きてください。でなけりゃ、おれのやったことが無駄になっちまう」
そして、ゴアルガスが体に完全に飲み込まれた。
まぶしい光があたりを包んだ。




