異端の神
目を覚ますと、すっかり日が昇ってしまっていた。
隣を見ると父さんがいなくなっている。
ひとまずぼくはベッドから出た。
身体がひどく重い。
服を着替えて大きく伸びをしてみるけれど、その重さは変わらなかった。
何度か、窓の外を見ようと思った。
けれどできなかった。
今思い出してもさむけがする。
あれはいったい何だったのだろうか。夢、なのだろうか。それにしてはとても鮮明な夢だった。
ぼくは大きく息を吐いた。まずは落ち着くべきだ。
ベッドに座り、考える。
父さんは先へ行ってしまったようだし、このまま食堂に向かうべきなのだろうか?
それにしても体が重い。
ぼくは座ったまましばらく動くことができなかった。
――と、ノックの音がした。
「クロン、起きてる?」
リネの声だ。
「はい。起きています」
するとドアが開き、リネが顔をのぞかせた。
昨日とは違い、今日は深い赤色のドレスだった。
彼女の手にはパンに肉や野菜を挟んだサンドの乗った皿が載っていた。
「どう? 体調は?」
「……というと?」
ぼくには何のことかわからない。たしかに寝すぎてしまったようだけれど……
「あなた、朝からうなされてたみたいよ。それで、しばらく様子を見ようってことで、お父上は先に食事を取られてね。今は昼」
「そんなに寝ていたのですか!?」
「うん。だからお昼を持ってきたの。ここで食べる? 調子が悪いならと思って、沢山は持ってきていないけれど」
「いえ! いただきます! ありがとうございます!」
リネは部屋にあるテーブルに盆を置くと椅子に座った。
ぼくは彼女の正面に座って、サンドを掴んで口に放り込む。とてもお腹がすいていたようで、すぐに食べきってしまう。
リネはぼくの食べる姿をじっと眺めていた。
「それで、どうする? 体調が悪いんでしょう?」
リネは身を乗り出して聞く。顔がとても近くてぼくは思わず身を引いた。
「今のところ平気です。多分上手く寝付けなかっただけですね」
「じゃあ! 昨日の約束通り、書庫に行きましょう!」
リネは立ち上がり、あろうことかぼくの手を掴んで引いた。ぼくはあまりのことに驚き、なにも考えられなくなった。
ぼくは引きずられるようにして部屋を出た。
◆ ◆ ◆ ◆
そして、ぼくは再び書庫にやってきた。
昨日の夢? をまだ引きずってはいたけれど、いざ書庫の扉を開けて紙とインクの混ざり合ったにおいをかぐと、みるみるうちに頭が冴えていく。
「もっとあなたの話を聞きたいところだけれど、今日は本を見せてあげる。そっちのほうが嬉しいでしょう?」
「話すのも楽しかったです。ああいう話であれば、いくらでもありますので」
といいつつ、ぼくの目は書庫の本に吸い込まれていた。
「ふふ、クロンは本が好きなんだね。聖職者とか、魔術師になりたいって思ったことはないの?」
「一度だけ、聖職者にならないかと言われたことがあります。でも断ってしまいました。ぼくには商人が合っているので」
「ふうん。いいなあ。自分でこうしたいって思えることがあって」
リネの声色が落ちていることに気づき、ぼくは彼女の方を見る。彼女はひどく寂しそうな顔をしていて、ぼくは心苦しく思った。
「さ! 本の話をしましょ! 見せたいものがあるのよね」
リネはぱっと表情を変え、またぼくの手を取って引っ張っていく。
手のひらの冷たさがぼくの体に伝わる。その感触にはなかなか慣れることができなかった。
リネが、その本棚の前にぼくを連れて来た時、言葉にできない違和感ぼくを襲い、背筋が冷たくなるのを感じた。
「ちょっと待っててね」
リネがぼくの手を放し、本棚に備え付けられた梯子を登る。彼女の手が離れたことで、ぼくは心細くなった。
ぼくはおそるおそる、リネの登っていた先を見上げる。ドレスを着ているにもかかわらず、ひどく危なっかしい動きだった。
「あの……ぼくが取りましょうか?」
ぼくはなるべくリネの方を見ないように言う。
「大丈夫、大丈夫」
ドタバタと音がして、飛び降りるように降りてきた彼女の手には、黒く古ぼけた本があった。
「これは……?」
「変わった本でしょう? ちょっと怖い描写があったりして、私ひとりじゃ読めないの。だから、あなたと一緒なら読めるかなって」
彼女は埃を払ってから、棚から採った本を机に広げた。
「忌まわしきもの共の宴……?」
ぼくは本の題名を口にする。正典や外典に登場する人を陥れる忌まわしきもの。それを関する本など見たことがなかった。
「わかる? そうなのよ。これは神の敵、忌まわしきものについて書かれた本なの」
「とても古そうな本ですね」
ぼくは息をのみ、当たり障りのないことを言う。
「うん。もしかしたら、ここにある本で一番古いかもしれない。お父様って、新しいものにこだわるところがあって、ほかの本はだいたい新しいのだけれど、この本みたいに古いものがいくつかあるの」
ページをぱらぱらとめくりながらリネは言う。
その本はインクが掠れひどく読みづらい。文字を追うので精いっぱいのぼくでは、その内容を推し量ることは出来なかった。
「このページを見て」
そこには緻密な描写で、黒い、球体に近い怪物の周りに黒い服を纏った人々が跪いていた。
ぼくは身をのけぞらせる。それはぼくが夢のなかで見た、人々の姿によく似ていた。
「すごい絵でしょう? 聖人を称える絵画なら見たことはあるけれど、それとは違った強い力を感じる」
ぼくはその絵に吸い込まれそうになり、しかしそれを拒もうとして、ひどく気分が悪くなっていた。
「この絵は?」
「異端の神、なんでしょうねえ。正典にも出てくる忌まわしきもの。それを称える人々ってところかな」
「何故このような本が……」
「クロンも知っているでしょうけれど、この国では異端信仰は禁じられている。でもここに描かれているのは、正にそれなのよ。お父様は詳しく話してくれなかったけれど、忌まわしきものに関する本を集めて、研究を続けていたみたいなの。途中でやめてしまったようだけれど」
「どうしてなんでしょうか?」
ぼくはおそるおそる聞く。
「さあ、何もわからなかったのか。怖くなってしまったのか。数年前からお父様はこの村に来なくなってしまったから、理由を聞くこともできない。でも、この家にお金だけは支払われ続けていて、それで、今の状況の出来上がりってわけ。あなたはどう思う?」
ぼくの頭に、夜中に見た夢とも現実ともつかない光景がよみがえっていた。やはりあれは、夢ではなかったのだろうか、でも、だとしたら、この村には……
「ぼくにはわかりません」
頭にうごめく人だかりのことを、リネに話すことは出来なかった。
「でも面白い話だと思わない? このことを知っているのは私だけ。お母さまはお父様の趣味に関しては、興味がなかったから」
「確かに、興味はあります」
ぼくは声を抑えて言う。
けれど実際は怖くて仕方なかった。あの光景が現実のものだとしたら、一体、この屋敷でどこまで気づいている人がいるのだろう。
すると、リネはぼくの体に身を寄せる。
「ねえ、今まで一人じゃやれなかったことを一緒にやってみない?」
「え……?」
「実はこの屋敷にね。地下室があるの。お父様がこの村によく来ていた時、地下でなにかをやっていたみたいなのよ。何をやっていたか気にならない?」
「あの……」
リネはさらに身を寄せてくる。
「私はね。あなたと一緒に地下に行って見たいと思っているの。書庫にあるのは本だけだけれど、お父様が何を調べていたのか、地下に行けばわかると思うのよね。例えば忌まわしきものに関する研究成果とか。ねえ、一緒に行きましょう?」
「その……」
「お願い」
そう言われて、断れるほど、ぼくの心は強くなかった。
「はい。行きましょう」
ぼくは頷くほかなかった。




