不吉な夢
食堂に向かうと、そこにはすでに父さんがいた。
「おお! クロン!」
父さんはグラスを片手に顔を赤くしていた。完全に酔っている。
「父さん? どうしたの?」
ぼくはうろたえて聞く。
「いやあ、倉庫のものはそりゃあ素晴らしいものだったぞ!」
まったく答えになっていない。
「今日は倉庫を見てもらって、早めの夕食にしています。お礼は出来ませんが、お酒ならありますので」
ミレーゼ様が笑顔であるということだけが救いだった。
「いや! ありがたい! ここのお酒も素晴らしいものです! しかしこんなにいただいていいものやら不安になりますな!」
ぼくの方が不安だと言ってやりたいくらいだ。
「良いのです。屋敷にあっても仕方のないものですので。わたしも多少たしなむことはありますが、それでも一生のうちに呑み切れないほどの量がありますからね」
「父さん、ほどほどに……」
無駄だとはわかっているけれど一応忠告だけはする。
「私もそう思っていたところだ! しかしこの酒がうますぎてな!」
「まあまあ、せっかくの機会ですし」
ミレーゼ様が指示を出し、メイドさんに酒を注がせた。
「いやはや! ありがとうございます!」
父さんはグラスを大仰に掲げて笑った。
これはもうほんとうに駄目かもしれない。
「リネ、家の中は案内できた?」
ミレーゼ様が声をかける。彼女も上機嫌のようだ。
「はい、お母さま。クロンさんも本が好きみたいで、書庫を案内していました」
「あら! そうなの!? じゃああなたと話が合うんじゃない? あなたも本が好きだものね」
「ええ、それに、クロンさんのお話がとても面白かったわ」
リネが言うとミレーゼ様がぼくの方を見て、
「クロンさん。ご説明した通り、リネは体が弱く、一日部屋で過ごす毎日を送っています。あなたのような話し相手が居て本当に良かった。感謝しています」
「いえ! ぼくは自分の知っていることを話しただけです!」
「倉庫の商品はまだたくさんありますので、明日も娘と一緒に居ていただけると助かりますわ」
「いえ! そんな! よろこんで!」
急に礼を言われてぼくは変な返事をした。この屋敷では貴族から褒められたり礼を言われたり、おかしなことばかりで調子が狂ってしまう。
するとリネはくすっと笑い、
「今日はお話を聞いてばかりだったから、明日は本を見てもらおうと思って」
と言った。これにはぼくも嬉しくなって、
「わ! ありがとうございます!」
と子供っぽい反応をしてしまう。行って見てから少し恥ずかしくなったりもして、本当にうまくいかないものだと思う。
「さあ、座って、食事にしましょう」
ミレーゼ様が手を叩き、メイドさんたちがあわただしく動き出した。ぼくもリネも椅子に座り、夕食が始まる。
食卓に並べられた料理は昨日と同じように、とても豪華で、一口一口がとてもおいしかった。これで父さんがしっかりしていたら、もっとよく味わえたと思うのだけれど、それは無理な話だった。
◆ ◆ ◆ ◆
夕食の後、ぼくはひとりで自室に戻った。
父さんは食事の間もずっと酒を飲んでいて、調子に乗って自分の商売哲学について語っていた。ミレーゼ様も多少お酒が入っていたようで、その話を笑顔で聞いていた。
そんな状況だから、ぼくが食事を終えて声をかけても食卓から動こうとしなかった。ミレーゼ様もゆっくりしていって良いというので、ぼくはひとりで部屋に戻ったわけだ。
さすがに心配はしたけれど、父さんは酔って暴れる人ではないし……
などと考えていると、昨日と同じようにメイドさんがお湯の入った桶を持ってやってきた。
桶を渡されるとき、服も洗いましょうかと言われたけれど、丁重にお断りした。
服の予備はあるし、あまり何から何までしてもらうとよくない気がしていた。依頼を終わり次第、すぐに帰らなくてはならないからだ。変に頼ってしまっては出発も遅くなる気がしていた。
桶を部屋の外に出して、ベッドに横になる。
父はその時にもまだ戻ってはこなかった。
リネとの会話は、とても気を使ったけれど楽しかった。
同世代の女性と、しかも相手は貴族だ。こんな経験ができるとは思ってもみなかったことだ。
体を起こし、ランプの明かりを消す。
ぼくは今日起こったことをひとつひとつ噛みしめながら、眠りについた。
◆ ◆ ◆ ◆
ひどく寝苦しさを覚えて、目を覚ますと、まだ夜中だった。
体を起こして、隣のベッドを見る。
父さんがだらしない態勢で、ガーガーいびきを立てていた。
ズーンと何か体に響くような音がした気がして、ぼくはベッドを出て立ち上がる。
耳鳴りというものだろうか。
音は建物の壁から聞こえてくるようだったが、正確なところはわからない。
ぼくは何の気なしに窓の方を見る。
カーテンの向こうにぼんやりと赤い光が見えた。
まだ冴えていない頭でぼくは窓の方へと歩いていく。
ズーンという音と振動は、壁に近づくにつれて強くなっている。
ぼくはカーテンに手をかける。
その時、どこからか、開けてはいけないという声がした気がした。
もちろんそんなことはない。
ただ、いやな予感がしたことだけは確かだ。
ぼくはカーテンをゆっくりと開く。
――窓の外が、燃えていた。
火事などではない。窓から見える建物はどれも燃えていない。
明らかに火をつけたような赤い光が、屋敷の外に見える。そしてそれは一つではなかった。
これは……?
ぼくは窓にさらに近づいた。
外は暗く、人が火を使うような時間ではない。
ぼくは外を見下ろす。
そこには黒くうごめく何かが、松明のようなものを掲げていた。
しかも沢山だ。
ぼくは眼を凝らして、うごめく何かを見定めようとする。ゆらゆらと屋敷の周りを取り巻いている。
それは、おそらく、人だった。
黒いぼろ布を身にまとった人だかりが、たいまつを掲げている。
これが何を意味するのかぼくにはわからない。
そもそも人ではないかのように、ゆらゆらと、不可思議な動きをしながらある一定の方向に動いている。
その時、人だかりが、一斉にこちらを、見たような気がした。
「――ッ」
声にならない声が出て、ぼくは窓から身を引いた。
なんだ!? 何なんだ!?
ぼくは部屋で立ち尽くし、一瞬、父さんを起こそうと思い立つ。
しかし、ぼくが見たものは本当に現実だったのだろうか。
わからない。わからない。
これは夢なのかもしれない。けれど、こんな鮮明な夢が……
オオオオオオオオオオ
とさっきから耳障りに響いていた音が大きくなる。
振動が強くなり、さらに頭に響く。
ぼくは耳をふさいだ。
やめてくれ、その音を、やめてくれ。
でなけば、ぼくは――
そこで、ぼくの意識は途切れた。




