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補修人、相良修司は蚊帳の外  作者: 久慈望
第八話 異物
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屋敷の書庫

 朝起きて、しばらくするとノックの音が響いた。


 扉を開くと、メイドさんが水の入った桶を持って立っていた。こうなることを予想して、ぼくと父さんは早めに起きて準備を済ませていた。


「まもなくお食事の準備ができますので、こちらをお使いください」


「ありがとうございます」


 ぼくが桶を受け取って礼を言った。


 メイドさんが出ていくと、ぼくと父さんは顔を拭いた。


 とても不思議な朝だ。


 昨日も体験したことだけれど、一日やそっとじゃ慣れる気がしなかった。それは父さんも同じようだった。


 しばらくするとメイドさんがまたやってきて、食卓へと向かった。


 食堂には昨日と同じように、ミレーゼ様とその隣にリネ様が座っていた。


 厳かな雰囲気のなかでパンと添えられたチーズ、新鮮な野菜を平らげる。慣れてはいけないと思いながらも、食べたことのない朝食の味に感動していた。


「それでは、マーシャルさん」


 ミレーゼ様が口を開く。


「はい。もう仕事させていただきますか?」


 父さんは待ちかねたとでもいうように身を乗り出した。


「お願いしてよろしくて?」


「ええ、もちろん!」


「そうね……」


 言いながらミレーゼ様はぼくの方を見る。


「倉庫には何人も入ることができないから、よろしければリネの相手をしてもらえないかしら?」


 と言う。


「ぼくで良ければ……」


 そう言ってぼくはお嬢様の方を見る。彼女は変わらず色白い顔で微笑み、ぼくを眺めている。


「リネ、それでよろしい?」


「はい、お母さま」


 彼女はそれ以上何も言わなかった。ぼくも何と言ってよいのかわからず黙っていた。


「それではマーシャルさん、よろしくお願いいたします」


「承知しました!」


「クロンさん、リネの相手をお願いしますね」


「承知しました!」


 ミレーゼ様の言葉にぼくが答える。言ってみて、少し声が大きすぎたかもしれないと思う。


「クロン、行ってくるよ。お嬢様に失礼のないようにな」


「うん。わかったよ」


 父さんとミレーゼ様の後に執事の人が付き従い、食堂にはぼくとリネ様、そして、彼女付きのメイドさんが残った。


「お皿は下げてしまって」


「承知しました」


 リネ様が言うと、素早い動きでメイドさんが食器を片付けた。


「あなたのことは何とお呼びしたらいい?」


 リネ様が言う。ぼくはあわてて、


「クロンと呼んでもらえればいいです」


「では、クロン、良かったら私のことは、リネと呼んでくれる?」


「えっと、それは……」


 お嬢様にそのような口の利き方は出来ないと思っていると、


「もちろん、ほかの人たちには内緒ね」


 と声をひそめて言う。それは先ほどまでの人形のような顔とは違って年相応の幼さのある笑顔だった。


「はあ……そう、おっしゃる、なら」


 ぼくはリネ様の変わりように驚いて、詰まりながら言う。


「おっしゃるとか、そういう言葉の使い方もやめてね。もっとこう、あなたが同い年のこと喋るような感じで話していいの。もちろん、無理にとは言わないけれど」


「善処します」


「わあ! ありがとう! 少しの間だと思うけれどよろしくね」


「えっと、よろしくお願いします」


 そんな会話をしているうちに、メイドさんが戻ってきた。するとそれに合わせるように彼女は立ち上がった。


「ネスカ、今からこのお方を案内します。せっかくの機会だから、あなたはついてこなくてもいい」


 ネスカ、というのはメイドさんの名前らしい。


「お嬢様? しかし……」


「お母さまは私にクロンさんのことを頼まれたのです。別に外に出るというわけではないのだからよいでしょう?」


「……かしこまりました。何かお困りごとがありましたらお呼びください」


「ではクロンさん、行きましょう」


 リネさ……リネの後を追う際、ぼくはネスカと呼ばれたメイドさんの方を見た。彼女は無表情でぼくらを見送っていた。


◆    ◆    ◆    ◆


 歩いてみると、その屋敷は予想以上に広かった。


 外の光が入りにくいのか、明かりで照らされていて、時間がいつなのかもわからない。


 それでも、汚れていたりしないところを見ると、とても手入れが行き届いていることを感じさせた。


 リネは食堂を出た後、厨房や使用人の休憩室、整えられた庭を見せてくれた。室内はどこを見ても整頓され、配慮が行き届いていることを感じさせた。


 それにしても、とぼくは思う。


 あまりにも使用人が多すぎなんじゃないだろうか。


 ぼくは貴族の生活がどのようなものかわからない。昨日はその部屋の大きさに驚き、そして今日は使用人の多さに驚いている。


 この屋敷は村の規模に比べてすべてにおいて豪華すぎた。


「案内といっても、クロンが見て楽しいようなものはあまりないかも」


 リネが歩きながら言う。


「貴族の方の御屋敷には縁がないのでとても新鮮です」


 ぼくはほんとうにそう思っていた。


「クロンって、商人にしては言葉遣いがしっかりしているわね」


「ありがとうございます」


「どこかで教育を受けたことがあるの?」


「旅先の教会で教わりました。でもそれだけです。あとは……聖書が好きなので本は読んでいます」


 するとリネは立ち止まり振り返った。


「まあ! 聖書を!?」


 その表情はこれまで見せたことがない明るさがあった。


「はい。ある村の聖職者の先生が大変良くしてくれて、正典をいただいたんです」


「ほんとに!? だったらこんなところ見て回ってる場合じゃない!」


 といって、弾むような声でリネは先へと歩いて行った。


 ぼくは慌てて後を追った。


 たどり着いたのは、大きな扉の前だった。他の部屋とは明らかに違う一種の異様な雰囲気を帯びていた。


「ここが書庫!」


「書庫……見てもよろしいんですか?」


「もちろん! 隠すようなものはないはずだし。でもちょっと扉が重いのよね」


「ぼくがやります」


 ぼくは扉の把手を掴む。確かにとても重い扉だった。


 ギイイ――


 と重々しい扉の軋む音が響き、扉がゆっくりと開かれれる。


「わあ!」


 ぼくは思わず声を上げる。


 高い天井まで伸びた梯子つきの巨大な本棚が並び、室内を占拠していた。


「よかったあ! あなた本が好きみたいね」


 リネがぼくの顔を覗き込むように言った。


「ええ! 父から買ってもらうこともあるのですが、高価なので多くは買えず、同じものを何度も読んでいます」


 ぼくはそびえたつ棚を見上げながら言う。


「はじめからここに来たらよかったわね。ネスカ!!」


 リネが呼ぶと、すぐにメイドさんが現れた。


「お呼びですか。お嬢様」


「まだ少し先でしょうけれど、お昼はここに持ってきて。簡単なもので良いから」


「かしこまりました」


 メイドさんは静かにお辞儀をする。


「クロン……さんは何か希望はある?」


 リネが言葉を選んでぼくに聞いた。


「特にありません」


「じゃあネスカに任せましょう」


 ぼくは興奮してしまっていて、リネの言葉を上の空で聞いていた。


◆    ◆    ◆    ◆


 書庫には聖書関連の本が山のように収められていた。背表紙を見ただけでも、とても状態も良く、丁寧に扱われていることがわかる。


 本棚に並んでいるのは、豪華な装丁が施された大型版だ。


 ぼくが持っている簡易版でもそれなりの値段がしたことを考えると、気が遠くなりそうな数だ。


 棚には正典、外典、アレキオス伝のほか、さまざまな聖人の名がかかれた本や、神や信仰を論じていると思われる本も並んでいた。


「とりあえず、お食事にしましょう」


 声がしてはっと振り返ると、小さなテーブルに肉や野菜をパンで挟んだサンドが置かれていた。


「あ! すみません。もうそんな時間でしたか」


「あんまり夢中で見ていたから、声もかけなかったの。どう? すごい数でしょう?」


「はい。初めて見た本がたくさんあって驚いています」


「ここの本はね。みんな、お父様が買い集めた本なの。お父様は信仰に厚いお人で、聖書関連の本は大抵そろっているみたい」


「その、御父上というのは……」


 ぼくは興味のままに聞いてみた。


 言ってみて、踏み込みすぎたかな、と後悔する。


「お父様? 屋敷には居ないわ。死んだわけじゃない。ただ来ないだけ。もうずいぶん長いこと会っていないわ」


 リネがこともなげに言う。


 ぼくはしまったと思った。


 あれだけ注意していたのに余計なことを聞いてしまったようだ。


「申し訳ありません!」


 慌てて頭を下げる。


「いいの。本当のことだから。この家ではお父様の話題はあまり出さないようになっているけれど、私はそうは思わない。だってこの書庫だって、本だって、もっと言えばこのお屋敷だって、全部お父様のものだから。どうして言ってはいけないのかわからない」


「しかし、ぼくは……」


「気にしないで、実はね。その本を集めているお父様って、本当のお父様ではないの」


「……え?」


「本当のお父様はね。私が物心つく前に死んでしまったみたいでね。領主をお母さまが引き受けることになった。これもまあまあ揉めたらしいんだけど、そこで助けてくれたのが、王都に住む今のお父様」


「それは……どういう?」


 ぼくはいけないと思いながらも聞いてしまう。


「ここだけの話なんだけれどね。王都のお父様には本当の奥様がいるらしいの。でも、私とお母さまのためにこの家を新しくしてくれてね。私は今のお父様に感謝しているわ」


「……」


 言葉が出てこない。考えて黙ってしまうということ自体が、失礼なことをしている気がして、固まっていた。


「良いのよ。気にしたくなって。要は愛人ってこと。でも今のお父様を悪く思っていないの。だって、私たちの恩人だもの。それに、少し前までは、お父様は定期的に屋敷を訪れて、一緒に本を読んだり、森を探検したりして、とっても良い関係だったのよ」


「……聞いてしまって申し訳ありません」


「だから良いんだって。お母さまに家を維持する伝手はないし、私も体が弱い。こうすることでしか、屋敷を守ることはできなった。私には本があるし、案外楽しくやっているの」


 そして、リネは笑顔を浮かべる。


「でも、最近とっても退屈でね。お父様も来てくれないし、一人で本を読むのも飽きてしまった。こうやってクロンと話すことができてとても嬉しいのよ。ありがとう」


「いえ! そんな! ぼくもこんなにたくさんの本を見ることができて嬉しく思っています」


「うーん、まだ固いのよね。もっと友だちに言うみたいに話してよ」


「……出来るだけそうします」


「お願いね」


 彼女の笑顔は、話を聞いた後だと、とても寂しげに見えた。


◆    ◆    ◆    ◆


「いつからお父上の手伝いをしているの?」


 食事がひと段落して、リネが聞いた。


 ぼくは手短に、母が亡くなってから、ずっと父と一緒に旅をしていることを伝えた。


「どんな所に行くの?」


「そりゃあもう色々です。基本的には人の多い町ですけど、父の付き合いのある村に行くこともありますよ」


「王都は?」


「もちろん行きます。もっぱら商品の仕入れのためですけれどね。やはり人と物が集まる場所なので。でも安く手に入れるなら、王都から離れた場所の産地で直接買い付けた方がいいです」


「いろんな町を見てきたんでしょう? うらやましい」


「そうですね。町によって特色があって面白いですよ。地方の商人は変わった人が多いですから。ぼくはそういう人たちと話すのも好きなんです」


「どんな人たちがいるの?」


「大きな町には商人ギルドがありますが、小さな町や村では一人で財を成した荒くれものみたいな人が多いですね。はじめは怖いと思っていましたけど、話すと色んなことを教えてくれました」


「たとえば?」


 リネは興味津々で聞いてくる。こうなるとぼくも勢いに乗って饒舌になる。


「新しい地で仕事をやり始める時ていうのは、その地域の商人ギルドよりも声をかけるところがあるんです」


「ふうん」


「人の住む集落というのは必ず、そこの元締めがいるんですね。まずはその人を探す。領主でもなく商人ギルドの長でもなくまずその人なんです」


「へえ、貴族とかじゃなくて?」


「貴族の方に配慮するのは当然です。けれど元締めに目を付けられてしまうと商売の許可は降りても、まともに物を売ることができなくなるのです。一体誰がその元締めなのか、それは集落によって変わります。探す方法はただ一つ。人から人を伝って探すわけですが、これがまあ見つからない。けれど、見つけることができれば、商売は上手く言ったも同然だそうです。要は元締めに話を通すことが重要なんですね。一人で財を成した人というのは、こういう地域ごとの掟をたくさん知っているんです」


「面白い。そんなこと本に書いてなかった」


「商人のことを書いた本なんて見たことがないですからね……いえ、一つだけ知ってます」


「あるの?」


「これも聞いた話なんですが、ある財を成した商人が、歳をとって自伝を出したいと言い出した。本人は文字がしっかり読めるわけでなく、それで字が書ける人間を探したんですが……」


 こんな風にして、ぼくは今まで旅先で聞いた話をして聞かせた。


 リネはとても良い聞き手で、ついついぼくも話しすぎてしまった。


 気づくと夕方になっていて、メイドさんが夕食に呼びに来た。


「ごめんなさい。本を見る時間がなくて。でも楽しかった」


 リネが申し訳なさそうに言う。


「いえ、こんなことでよければいくらでも」


「また、明日にしましょうね」


「よろしくお願いします」


 リネにつられて、ぼくも笑顔を浮かべた。


 ぼくと彼女はメイドさんの後ろについて、食堂へと向かった。

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