森奥の村
そして今、ぼくたち親子が何をしているのかと言えば、ちょっと変わった仕事だった。
それは昨日のこと。山間の町クレンソで、いつものように馬車に積んだ商品を降ろしていると、常連の商人、テガートさんに声をかけられた。
テガートさんは金払いが良くて、とても人柄がいい人なのだけれど、酒を誘われると長くて大変な人だ。それで父さんが良く愚痴を言っている。
いつも明るく声の大きなテガードさんが、その日はとても困った顔をしていた。
父さんがどうしたのか尋ねると、
「いやそれがね、マーシャル」
マーシャル、というのは父さんの名前だ。
「いつもおれのところに食料品を運んでくれるラストンってのがいるんだけどな。そいつが予定の日になっても来ないんだわ」
「はあ、それは大変ですね」
「そうなんだよ。別にほかのところから買えばいいとは思うんだが、あいつは安くしてくれるし、それに、ほかの行商人に必要分を頼んだって、毎度在庫があるわけじゃない。この際だから商売相手を変えようって話も出てるんだが、これまでの付き合いを思うとねえ……」
ぼくは一瞬、うちに全部頼むことにしようという話が出るのかと思ったけれど、どうやら違っていたらしい。
「そこでだ、マーシャル。ちょっと頼みごとを引き受けちゃくれんかね」
「といいますと?」
父さんは相手の出方を伺っている。
「ドメル村ってのが、ここから半日ばかり行くとあるんだがね。ラストンはその村から帰ってこねえらしいんだ。今回のお代は弾むから、そこへ行って見てきてくれんかね。うちのものに行かせてもいいんだが、あいにく今人手が足りなくてね。ラストンの話によっちゃ今後のことも考えようと思う」
父さんはなるほど、と言ったきり黙る。きっと頭の中ではいろいろなことを考えているはずだ。
「なんだそんなことですかい。お安い御用だ。テガードさんにゃ世話になってるからね。出来ることなら何でもやりますよ」
「おお! やってくれるかい!」
「ええ、その村で商売にもなりゃ御の字だ。ラストンって人はどんな人なんです?」
「ひょろりと線の細い男さ。あんたより歳は行っていないが、髪が白くなりかけてる。おれの名前を言ってくれたら、向こうも分かると思う。声をかけてうちのところに来てくれるよう言うだけでいいからさ」
「承知しました。それで、今回のお代なんですが……」
その後は具体的な金額の話になり、結果的にぼくたちはそのドメル村に行くことになった。
父さんはテガートさんから相当なお金ももらったらしく、嬉しそうにしていた。
クレンソの宿で泊まり、朝から出発したのだけれど、しばらく行くと、父さんの顔も微妙なものになっていた。
地図をもらって分かったつもりになっていたが、向かっている先は本当に何もなかった。平和なことは良いのだが、そういうところにある村は、人が少なく、商売にならないことも多いからだ。
とはいえ、父さんは別として、ぼくは案外楽しみにしていた。
行商人というのはいろんなところを旅しているように見えて、同じ道を行ったり来たりすることも多く、いつもと違う道はとにかく新鮮で楽しいのだ。
毎日の生活に飽きるというほどではないけれど、少し退屈に思っていたところにきたこの依頼は、ぼくの心を躍らせるのには十分だった。
何か面白いことがあればいい。
普段は本ばかり読んでいるぼくも、この時ばかりは、これから先起こることを楽しみにしながら遠くの風景を眺めていた。
「ん? あれは・・・・・」
道の傍の草むらにある何かの塊に気づいた。
「どうした?」
なにかが蹲っている。
動物の死骸か何かだろうか?
その時、ぼくは考えるより先に口から声が出た。
「父さん! 人が倒れてる!」
馬車が速度を落とすと、完全に止まる前に飛び降りた。
ぼくは自分でも驚くくらいの速さで走り、倒れた人らしき姿に駆け寄る。それは紛れもなく人だった。しかもドレスや髪の長さからすると、貴族の、しかも女性のようだった。
「怪我人か!?」
父さんは、ぼくの後ろに馬車を止めた。
ぼくは慎重にその女性に触れて、仰向けに寝かせる。背丈からして、ぼくと同じくらいの年齢の女の子だった。口元に手をやると、息をしているらしいことがわかって、ぼくは少し安心した。
「気を失ってるだけみたいだ!」
父さんに向かって大声を上げる。
「怪我はないようだな。賊に襲われたわけでもなさそうだ」
「この辺にほかに村なんてなかったよね。ドメルの子かもしれない」
「かもしれんな。連れて行ってみるか」
父さんは女の子を揺らさないように抱き上げ、幌のかかった荷台に運んだ。
「その子を見ておいてくれ」
「わかった」
ぼくが荷台に乗り込むと、父さんはすぐに馬車を走らせた。もちろんなるべく揺らさないように慎重にだ。
揺れる荷台の中で、ぼくは仰向けで目を閉じている女の子の顔を見る。
見たところ傷もなくて、魔物に襲われた様子もない。かといって人に何かされたわけでもないらしい。本当に村の外を歩いていて気を失っただけのようにも見えた。
透き通るような白い肌に、金色の髪を持つ女の子は、まるで人形のようにも見えた。
そこには触れることを拒むような美しさがあって、ぼくは時を忘れて、その女の子の顔をじっと見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
気づくと日が暮れようとしていた。
夕日の光に照らされて、幌が赤く色づいている。
ぼくはどうやら彼女に見とれたまま時間が経っていたらしい。荷台には橙色の光がいくつも差し込んでいた。
「クロン! 村が見えてきたぞ!」
父さんがぼくの名前を呼んだ。
ぼくは荷台から顔を出す。
道の先に柵に囲まれた集落らしきものが見えた。
「その子の様子はどうだ?」
「まだ目を覚まさないみたいだ」
「村に治療のできる聖職者がいると良いのだが……」
村の入り口が見えてくる。
やけに高い柵が、ぼくを驚かせた。
人の住む集落は、魔物の侵入を防ぐため、丸太で作った頑丈な柵で囲われていることが多い。多いのだが、場所や集落の規模によってさまざまだ。
お金があるところの柵は高く頑丈で、お金のない辺境の集落では柵と呼べる柵もなかったりする。
しかしこの村はどうだろう。誰も立ち入らないような森の中にある集落なのに、とても立派な柵で囲われている。
それはどう考えてもおかしなことだった。
父さんはぼくを馬車に乗せたまま、村の入り口に置いてある槌で木の板を叩く。
「すみません! 開けていただけないでしょうか!」
なんの反応もない。
「すみません! そこで倒れたお子さんを見つけたのでここまで運んできたのです!!」
もう一度父さんが大声で言う。
するとゆっくりと丸太が動き始めた。
「ありがとうございます!」
父さんはそう言って、馬車に戻ってくる。
「おかしいな……」
首を傾げる父さんに、
「どうしたの?」
とぼくは聞く。
「いや、こういう村には何度か通りかかったことがあるが、大抵やぐらに人がいるものなんだ。だから声なんてかけなくてもすぐに開けてもらえるんだが……この村は珍しいな」
通れるほどの隙間が空いて、父さんは手綱を握る。
馬車が動き出した時、女の子の体がピクリと動いた気がした。
「ん?」
ぼくは女の子の顔を覗き込む。しかし変化はなく、目をつむったまま動いている様子もなかった。
ぼくはその時なぜか、少しだけ、いやな予感がした。




