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補修人、相良修司は蚊帳の外  作者: 久慈望
第八話 異物
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旅の商人

「しかしなあ、頼まれたの良いものの、こんなところに村なんてあったかな」


 父さんが呟く。


 ぼくは馬車を操縦する父さんの隣に座って、遠くの風景を眺めていた。


 あるのは多少起伏はあるが何にもない原野で、たまに野生動物が顔を出しては、ぼくらを見つけて引っ込んでいる。


 遠くには大きな山と森が見える。ぼくたちが向かっているのは森の先にあるドメル村だった。


「でも、もらった地図にはちゃんと村が載ってるよ。あんまり大きくない村なのかも」


 ぼくが手元の地図を見ながら答える。とてもおおざっぱで、森の部分が大半を占めている。役に立つのか立たないのかわからない適当な地図だった。


「まあ、いつも地図は見てるつもりだが、商売に関係ないような村はわからなくて当然か。それにしても、何にもない。ついでになにか買い取れそうなものがあるといいんだが……」


 父さんは少し不満気だ。


「民芸品くらいはあるんじゃない? 小さい村だったら、見たことないような珍しいものを作ってたりするかもしれないね」


「そうだといいんだがなあ」


 父さんはそう言うと、考え込むようにして遠くを見つめ、手綱を握り直した。


◆    ◆    ◆    ◆


 ぼくたち親子は行商人をやっている。


 昔はぼくと母さんを家に残して一人で旅をしていたそうだが、母さんが事故で亡くなってから、父さんはぼくを連れて仕事をするようになった。


 町から町、村から村へ、そこで手に入れたものを別のところに売る。そんな生活をもう何年も続けていた。


 初めの頃は、ぼくにも子供らしいところがあって、しばらくは、全く喋らなかったり、突然泣き出したりもしたらしい。


 なんだか自分でも信じられない話だが、気がつけばぼくは旅を続ける生活に慣れていたし、荷物を運んだり父さんから言われたものを買いに行ったりもするようになっていた。


 ぼくのような境遇の人間は少ない。


 そんなことに気づいたのもずいぶんと遅かった。


 昔は町で出会う子どもたちに家というものがあるのを不思議に思っていたし、もしかすると、まだ出発していないだけで、いつかは父親と旅に出るものなんじゃないかとも思っていた。


 もちろん今では、ぼくの生活が特殊であることを知っている。町の教会でほかの子どもを見るたびに、自分とはとこんなにも違うものかと驚くことも多い。


 でも、特殊だからといって気に病むことはなかった。


 ぼくは、行商人であることを誇りに思っていたからだ。


 旅の道中は魔物から逃げたり、盗賊から逃げたり、危険なこともたくさんある。けれどぼくはいろんな町や村を見て回ることが好きだった。


 商人には面白い人たちが多いし、ぼくに優しくしてくれる。もちろん商売の時は妥協を許さない厳しい顔をしていて、その姿がかっこいいとも思っていた。


 行商人とは、村や町をつなぐ職業でもある。


 皆、自分の村にないものを求めてぼくらに仕事を頼む。欲しいものが手に入れられた時にはとても感謝してくれるし、次回の依頼もしてくれる。とてもやりがいのある仕事だった。


 もう何年も国中を回っているから、ぼくの顔を覚えてくれているお得意さんなんかもいて、


「おう、ずいぶんとでかくなったなあ!」


 と言われたりするのも嬉しかった。


 顔を覚えられると子供のぼくでも対等に接してくれるから、仲のいい商人のおじさんに毎回決まって荷物を運ぶこともある。


 商品を買う人がいて、売る人がいる。ぼくはそういう商売というものの仕組み自体にも、強く心を惹かれていた。


◆    ◆    ◆    ◆


 もう一つ、ぼくの人生に大きな影響を与えたものがある。


 それが聖書だ。


 父さんは正統教会の熱心な信者ではなかったけれど、子供には教育が必要だと考え、商談で街に滞在する期間はいつもぼくを教会に預けていた。


 教会はどんな小さな村にもあり、そこにいる聖職者が、子どもたちに必要最低限の教育を行っていた。ぼくは現地の子どもたちに交じって文字の読み方や書き方、計算の仕方など基本的なことに加えて、神の歴史と教会の歴史を教わった。


 神の歴史とは、偉大なる神アスラが、世界を破壊する「忌まわしきもの」と闘い勝利するもので、ぼくはその物語に心躍らせた。そのほかにも、王都成立に関わったとされる聖人アレキオスの物語も教会で知った。


 ぼくは旅の商人の息子という、本来であれば町とは関係のない子どもであったけれど、教会で勉強を教わった後、聖職者のところへ行き、神、あるいは聖人の話を聞いた。


 町の子供たちの多くは、ある一定の歳になると、神の言葉に興味を示さなくなり、それよりも、将来に役立つ勉強や遊びに興味が変わっていくことがほとんどらしい。


 ぼくのような子供は少ないらしく、教会に行くたびに聖職者から喜ばれ、熱心に教義や聖人の言葉について教えてくれた。


「君は聖職者になる気はないのかい」


 ある時、ぼくに聖書のことを教えてくれていたラオス先生から、こんなことを言われた。若い聖職者で、子どもたちにも慕われていた良い先生だった。


 ぼくは驚いた。そんなこと考えたことすらなかったのだ。


 何と答えたら良いのかわからず黙っていると、


「最近の聖職者は神の教えを何とも思っていないんだ。加護の力さえ手に入ればいいというわけでね。すべては冒険者ギルドのせいだ。男性だろうが女性だろうが、教会という場が冒険者を目指すために経由する職業訓練所のようになっている。良くないことだよ。聖職者とは本来、神の教えを伝え広げるものだが、今では治癒のために駆り出される存在でしかなくなってしまった」


 言いながら先生は、苦々しい顔をしていた。


 ぼくはその時、教会とは大変なものなのだなと思った。町に立ち寄っただけの子どもに、これだけ話すのは、きっとよほど思うところがあるのだろう。


 ぼくは少し心が動いたが、ぼくは父さんと旅をする生き方しかしか知らなかったし、商人という仕事が好きだった。


「申し訳ありません。とてもありがたいのですが、ぼくはただ、聖書とその物語に心打たれた人間にすぎません。人に教えるほどの知識もありませんし、商人という職が身の丈に合っているのだと思います」


 ラオス先生はしばらくぼくを見ていたが、諦めるように、


「そうか……確かに君は君の生活があるのだったな。しかし、知識などというものは表面的なものだ。聖職者だろうが商人であろうが、神の前では平等だ。聖書との向き合い方を大切にすると良い」


 と言ってくれた。


「ありがとうございます。その言葉はとても嬉しいです」


「ふむ。しかし残念だ。君はいつもでこの町に滞在するんだい?」


「父からは明日には出ると言われています」


「そうか……ここで待っていなさい」


 先生は教会の奥の部屋に入り、一冊の本を持って出てきた。ひどく色褪せてはいるが、装丁がしっかりとした高価そうな本だった。


 聖職者はぼくにその本を差し出す。


「これは……?」


 ぼくが聞くと、先生は笑顔で、


「聖書だよ。君にあげようと思ってね。いつも教えている言葉よりもずっと難しいから苦労するだろうけれど、繰り返し読むことで理解できるようになるはずだ」


「そんな!! もらえません!!」


「良いんだ。これは私が若い頃に繰り返し読んでいたものだよ。君のような若者にこそ、これを持っていていてもらいたい」


 先生の熱いまなざしに打たれ、ぼくはその本を受け取った。とても光栄だった。


 ぼくは本をまじまじと見て、そして顔を上げた。


「ありがとうございます」


「次にいつ来るかわからないが、その時まで大切にしていてくれよ。そのために渡したのだからね」


「はい!! もちろんです!!」


 その日から、ぼくは少しずつ、時間をかけて聖書を読むようになった。


 馬車での移動はとにかく時間がかかり、いつも退屈な日々を送っていたが、その日から、ぼくは退屈することがなくなった。


 移動中に熱心に聖書を読む息子に、父さんは感激していた。ぼくとしては照れくさいものではあったけれど、同時になにか申し訳ない気もしていた。


 ぼくは聖書を読みふけることと同じくらい、父さんの仕事を手伝うことを大切にしていた。町から町へ物資を運び、人から感謝される。それはとても素晴らしいことだと思っていた。


 ぼくは聖職者になりたいのではなく、商人になりたいのだ。それは変わらぬぼくの想いだった。


 とはいえ、無学を恥じる父さんは、ぼくのためにできる限りのことをしてくれた。


 商売相手が手間賃をはずんでくれた時のお金をためておき、時々ぼくに本を買ってくれた。今、ぼくの手元に聖書関連の本があるのは、すべて父さんから買ってもらったものだ。


 初めて辞書を買ってくれた時には、ぼくは涙を流さんばかりに喜んだ。使い古されたものではあったけれど、ぼくはずっと大事にその辞書を使っている。


 ぼくは父さんの息子でいることに、とても感謝していた。

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