勇者の苦悩
それから長い間。ロルクスは目を覚まさなかった。
ドランザは彼を担ぎ、馬車に乗せ、出発の城塞都市ガルブレイスに直行した。
途中、いくつかの町で食料を仕入れたりもしたが、彼らは止まることなく先へと急いだ。
集落の再建が始まっていたとしても、原因不明の眠りについたロルクスを安静にして置ける場所など存在していなかった。
ロルクスは、その間、まるで時が止まったかのように動かず、そして、何も食べることもしなかった。
彼は不思議な力で守られ、移動の数か月の間、その命を保っていた。
ロルクスが目を覚ましたのはガルブレイスにたどり着く直前であった。夜中のことで気づいたのはサリスだけだった。
「ロルクス!!」
「やあ、サリス。ぼくは長い間眠っていたのかい」
「うん。そうなの。魔王と戦ってからずっと」
「きっと力を使いすぎたんだろうな」
「なに!? ロルクスがどうしたって!?」
眠りかけていたレナーリアが目を覚ます。
「ロルクスが!?」
外で寝ていたドランザが、馬車の幌を開けて顔を出す。
「みんな無事みたいで良かった」
ロルクスが薄く笑う。数週間食事もとらず眠っていたにもかかわらず、彼は魔王と対峙したときとほぼ同じ姿だった。
「おい! 何言ってんだよ! 心配してたのは俺らのほうだっての!」
ドランザはその目に涙を浮かべていた。
「私は、ロルクスが死ぬわけないって思ってたけどね」
レナーリアもまた、声を潤ませていた。
しかし、彼らの会話を、サリスだけは、どこか冷めた気持ちで見つめていた。
「もしかして、町に戻っているのかい?」
「……」
サリスは黙っている。
「サリス?」
「え、ああ、もう少しでロルクスたち三人が出会った都市に着くところよ」
「まったくよお!! お前が倒れてたんで、急いでここまで来たんだぜ。もっと早く目を覚ましてくれてたら、途中の道でゆっくりしたもんだけどよ」
ドランザは泣きながら笑っていた。
「ハハハ、悪かったよ」
ロルクスがすまなそうに言う。
「そうそう! ずっと馬車に乗りっぱなして疲れちゃった」
レナーリアも続いた。
「町に着いたら盛大にお祝いしようじゃないか」
ロルクスの穏やかな笑顔が、張り詰めていた空気をやわらげた。
サリスはその顔を見ることができてうれしかった。もう二度と、見ることができないかもしれないと、彼女はずっと、彼のことを見てきたのだ。
「サリスちゃんには感謝しときなさいよ。あなたの居場所を知らせたのも、あなたが目が覚めるまでずっと見ていたのも、全部この子なんだからね」
レナーリアが言う。
「レナーリアさん!」
サリスは居心地が悪そうに声を張る。
「いいじゃない、本当のことなんだから」
「私はロルクスのことがただただ心配で……」
「お前が目を覚まさないうえに飯も食わねえから、最初のほう、サリスが無理やり口に押し込もうとしてたんだぜ」
ドランザがさらに追い打ちをかける。
「ドランザさん! やめてください!」
「サリス」
顔を赤くしたサリスにロルクスが声をかけた。
「はい……」
「心配かけてすまなかった。ぼくはもう大丈夫だ」
ロルクスが言ったことで、馬車の中が雰囲気が和らぎ四人は笑いあった。
そんな状況のなか、サリスただ一人は、不安に支配されていた。
◆ ◆ ◆ ◆
サリスの心配をよそに、ロルクスは以前のような朗らかさを取り戻し、終始和やかな雰囲気でガルブレイスに戻った。
人々は総出で彼らを歓迎し、挨拶もそこそこに、盛大な宴が開かれた。ロルクス一行が魔王軍の拠点を壊滅させていたことで、一定の平和が保たれていた都市では、酒や食料がある程度確保できるようになっていた。
皆が夜通しで酒を飲むなか、サリスもまた、その宴に加わった。
酒は初めてではない。
戯れでベラーナから酒を少しだけ飲ませてもらったことがある。酒に弱いつもりはなかったものの、その日はいささか飲みすぎた。
サリスは酔いを覚ますために祝宴の輪を離れ、民家の軒先に座って涼んでいた。
「随分と飲んでいるみたいだね」
「わ! ロルクス! 領主さんの相手はいいのお!?」
自分でも陽気になっていると思いながらも、サリスは答えた。
「そっちはドランザが相手をしているからね」
「そっかあ! ドランザさん、そういうの上手そうですもんね」
「うん。ぼくはどちらかというと、少人数で飲んだりすることのほうが好きなんだ」
「私もです」
「でも、旅の途中で村の人に酒をふるまわれたときは、ずっと断っていたじゃないか」
「私も子供じゃありません。酔うってことがどういうことか知っています。私はみんなよりも若いから、旅のなかで自分を失うことなんてあっちゃいけないって思って、だからお酒は飲まなかったんです」
するとロルクスは笑った。
「もう! どうして笑うんですか?」
サリスが言うと、ロルクスが手を彼女の頭に置いた。
「ずっと気を張っていたんだね。ありがとう。君のおかげで、ぼくたちは旅を続けることができた」
「子ども扱いしないでくださいよ」
「ハハ、ごめんごめん」
ロルクスはサリスの頭から手を離す。
「私なんて、お役に立てたことないですよ。だってロルクスさんは強すぎますから」
酔った勢いで、サリスは常日頃から思っていて、口に出せなかったこと言った。
「うん。強いんだ。自分でもびっくりするくらいにね」
「きっとそうなるまでにはすごくたくさん鍛えたんでしょうねえ。私は運動が得意でないのですごいことだと思います」
「なにも、してないよ」
「え?」
「なにもしてない」
「またまたあ! そんなわけないでしょ!」
するとロルクスが神妙な顔になる。
サリスは彼の触れてはいけない部分に触れた気がして怖くなった。
「本当なんだ。ぼくは農村で生まれた普通の人間なんだ。親もすごい人ではなかったし、何の血筋もない。それが、村を魔物に襲われて、お告げがあったとかいうよくわからない理由で逃がされて、気づけはここにいる。自分から動いたことなんかない。この力だって、いつの間にか身についていたし、自分で鍛えたこともないんだ」
「それは、ロルクスが、選ばれし者だから……」
「選ばれし者ねえ……いったい誰なんだい? ぼくを選んだのは」
「……神様?」
「ぼくはねえ、会ったこともない人に自分の生き方を決定されるのは嫌なんだ。確かに、人が死ぬのは嫌だ。力があるのなら、困っている人を救うために使いたいと思ってる。でも、もしぼくに力を与えたやつがいるなら、なんで自分でやらない。ぼくはずっと疑問に思っているんだ。倒す力があるのに、わざと魔王を放っておいたのだとしたら、ぼくたち人間は、その神様とやらの遊びに付き合わされているだけじゃないのか……」
ロルクスは、話している間、ずっと無表情だった。
普段はあまり喋らず、笑顔でドランザとレナーリアの喧嘩を聞いている彼が、これだけのことを話すことに驚き、そして、今まで考えたこともない内容に、サリスはただ、呆然とすることしかできなかった。
「ごめんなさい」
「どうして?」
「私が余計なことを言ったから」
「こちらこそ悪かったね。ただ、ずっと思っていたことだから」
「これまで旅をしてる時、つらかった? 悩んでいたんでしょう?」
「つらい? とんでもない。ぼくには君たちがいたから。ドランザもレナーリアも、そして、サリス。みんながいたからぼくは自分を保っていられたんだ。でも……」
「でも?」
「もうすぐ、旅が終わってしまう。ぼくはそれが怖いんだ。目的がなくなって一人になってしまったら、ぼくはどうすればいいんだろう」
ふと、ロルクスが小さくなったように見えた。ロルクスは今にも泣きそうに身を縮こまらせていた。
サリスは思わず、ロルクスを抱きしめた。
理由があったわけではない。ただ、そうしなければならないと思ったのだ。
「ロルクス、あなたなら大丈夫よ」
「ありがとう。ほんとは人にこんなことを言うべきではないってわかってる。でも、今日だけは……」
ロルクスの眼には涙があふれていた。そんな彼をサリスは見たことがなかった。
彼のために私はできるだけのことをしよう。
サリスは心に誓い、ロルクスをさらに強く抱きしめた。誰もいない軒先で、冷たい風が二人のほほを撫でた。
サリスはまるで、この世界に、自分とロルクスしかいないのではないかと思った。




