旅立ちの時
サリスが気づくと、彼女の体の表面に、温かい透明な膜のようなものが張られていた。
「起きた? 安心して。魔物はもういないから」
彼女に話しかけたのは女性だった。ローブ状のゆったりとした服。それは修道服のようであった。女性は仰向けに寝かされたサリスに両手をかざしている。
サリスがゆっくりと体を起こすと膜は消え、女性は立ち上がった。
鼻をこすった手の甲を見てみると、乾いた血の跡が残った。
体に重くのしかかる疲労感が消えていることに驚き、サリスは優しげに微笑んむ女性を見上げた。
「あなたに神の加護を与えました。少し楽になったはずです」
「ありがとうございます……」
状況が把握できないまま、ひとまず礼を言った。
「この辺の魔物はすべて凍っているよ。生き残りは居ないようだ」
女性の後ろから声がした。そこには、銀の鎧を着た青年が居る。傍らには体格の良い半裸の男性が寒そうに体をさすっている。
「あなたたちは?」
サリスは尋ねる。まだ頭は冴えていない。
「ぼくたちは魔物たちと戦うために旅をしている者だよ。魔物の気配を追ってここまで来たのだけれど君に先を越されてしまったみたいだ」
鎧の青年が言った。
「おい! ここマジで寒すぎるだろ! どういうことなんだよ!」
半裸の男性が言う。
「だから、常日頃から防寒用の服を持っておくべきだと言っているのです」
「でもよお、この格好じゃねえと力が上手く伝わらねえんだって」
女性は半裸の彼を無視をして、サリスを見る。
「あなたはひどく心を消耗しています。もう少し休みますか?」
「いえ、大丈夫です。それより……」
サリスが言いかけると、女性は、
「怪我をした方々は私が治療しました。大きな外傷までは消すことはできないけれど、本人の回復力を向上させることはできる。危機的な状況の人たちは居ないから安心して」
と言った。
「よかった……」
「ここに居た魔物を凍らせたのは君かい?」
鎧の青年が聞く。
「はい……たぶん私です。気がついたらこうなっていました」
サリスは申し訳なさそうにうつむく。実際、魔法を使っている間のことはあまり思い出せなかった。意識が途切れるまで魔力を過剰消費した結果だった。
「なるほど! 君が魔法使いというわけか! 話には聞いていたけど初めて会ったよ」
青年が目を輝かせている。
「おれは魔法ってのはよくわかんねえけど、こんなこともできんのかよ」
一方半裸の男性は寒そうに体を震わせていた。
「私は書物で読んだだけですが、これほどの力があるという話は知りません。人を超えた驚くべき力です」
女性が答える。
「あんたら……!!」
そこに、ふらふらとした足取りでベラーナが現れた。
「おばあちゃん!?」
声をかけるサリスを無視して、ベラーナは青年の前に立ち、その顔を伺うように見上げた。
「あんたが勇者かい?」
「ええと、なんかそう呼ばれてるみたいですけど、自分では名乗ったことはないですね」
と青年は無表情に答えた。
「ははあ、なるほど。あたしはベラーナ。この子はサリスだ。あたしはあんたらのような人たちを待っていたんだよ」
「ベラーナさん。その子の魔法はあなたが教えたんですか?」
女性が聞く。
「教えたといってもはじめだけで、ここまで強い魔法が使えるようになったのはこの子の努力だけれどね」
「まあまあ、とりあえず自己紹介でもしようじゃないか。ぼくはロルクス。こっちが……」
「私はレナーリア」
「おれはドランザ」
ロルクスに続き、二人が答えた。
レナーリアは穏やかな微笑を浮かべ、ドランザは相変わらず寒そうに体をさすっていた。
「ぼくたちは魔物の群れを追ってここまで来た。急いで追いかけたつもりだけれど、そこの魔法使いさんに先を越されてしまってね。驚くべき力だ」
ロルクスは微笑にも近い、読み取りにくい表情でサリスをみた。
何と答えたらよいのかもわからず、サリスは黙って彼の視線を受け止めた。
「どうかこの子をあんたらの旅に加えてもらえんかね」
「おばあちゃん!? 何を言ってるの!?」
「サリス。いつか私の言ったことを覚えているかい? あんたはその力を人に役立てなくちゃならない。その時が来たということさ」
「でも……」
サリスは三人の方を見る。
「いいですよ」
「ロルクス!?」
レナーリアが叫ぶ。
「おい、いいのかよ。まだ子供だぜ?」
ドランザが眉をしかめながら言う。
「だって君たちも見ただろう? この力はとてつもないものだ。彼女が来てくれるなら、魔物たちの侵攻をより早く止めることができるだろう」
「でもロルクス、この子には……」
「レナーリアの言いたいことも分かる。ぼくだって適当に答えているわけじゃない。旅は気楽でもないし、死んでしまうことだってあるからね。彼女が自分から行くと言わない限りは連れて行く気はないよ」
「私は……」
◆ ◆ ◆ ◆
結局、サリスはロルクスたちについていくことを決めた。
理由はたくさんある。ベラーナからの言葉、そして、自身の中にも人の役に立ちたいと願う心があった。だが、善意からくる心ともうひとつ、彼女には魔法を極めたいという、心の底から湧き上がる純粋な願いが含まれていた。
研究は行き詰りつつあった。強力な魔法を使うのには村はあまりにも狭すぎたのだ。研究室では常々、実践で魔法を使うことができない不満を感じていた。今回のように魔物という倒すべき存在があるのなら、自分の力を存分に発揮できるかもしれない。
サリスにあったのは、子どもらしい力への執着と研究者としての冷徹な思考であった。
もちろん、ロルクスたちに同行するということがどういうことかわかっている。自分の死と魔法研究を天秤にかけ、それでも魔法を選ぶ抗いがたい欲求が彼女にあった。
サリスが旅立ちを決めた時、両親は何も言わなかった。彼女の圧倒的なまでの力を見た後では、親らしい言葉が無意味であるように思えたからだ。
ベラーナはサリスの出発のために村中に声をかけて準備を進めた。
ロルクス一行が魔王討伐のため利用していた馬車が作られたのはこの時である。村一番の大工が作り、村長が秘蔵した名馬が与えられたのは、当然ベラーナの口添えがあってのことだった。
それは、ベラーナの最後の命の輝きのようでもあった。
出発の日、見送りに来たのは一人の老婆のみであった。ベラーナはその身には大きすぎる杖を持っていた。
「これを持っていきな」
ベラーナがサリスに杖を渡す。
「これは?」
「魔法を使うものが代々伝えられる神樹で作られた杖だよ。あたしにゃ使いこなすことができなかったけどね。魔法を使う際に力を通せば、威力をさらに高めることができるはずさ」
「ありがとう。大切にするよ」
サリスは泣きそうになっていた。
「泣くんじゃないよ。それはすべてが終わってからさ」
「うん……」
「あの男」
「ロルクスって人のこと?」
「あれはおそらく歴史に名を遺すよ。あたしはいろんな男を見てきたが、ありゃ段違いだね。あの男についていけば安心さ。でも……」
「でも?」
「注意しな。力のある男についていくってのは、いつだって苦労するもんさ」
「よくわかんない」
「分かんなくていいんだよ。あたしの勘でしかないからね。それより、自分の命を大切にするんだよ。どうしても苦しい状況になったら、逃げていいんだからね。あたしそうやって今まで生きてこれた。自分の命以上に大切なもんはない。それを一番身に染みてるんだから」
「うん。ありがとう。全部終わったら、また帰ってくるよ」
するとベラーナは笑った。
「あんたは優しい子だね。良いんだよ。あたしのことなんて。ただ、忘れないでいてくれたらそれでいいのさ。あんたはあたしの自慢の弟子だよ。そう思わせてくれるかい?」
「あたりまえじゃない」
そして、四人となったロルクス一行は旅立った。
サリスは、この時を最後に、ベラーナには二度と会うことはできなかった。




