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補修人、相良修司は蚊帳の外  作者: 久慈望
第七話 凍結
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魔王軍襲来

 その日もサリスは、離れにこもり、次の魔法について考えを巡らしていた。


 彼女の周りには、彼女が書き記した紙の束であふれかえっていた。


 国家の中心地ならばまだしも、村などの集落で紙は大変貴重である。


 村の領主でさえおいそれと手に入れることが難しいものであったが、ベラーナの不思議な伝手で彼女には潤沢なインクと紙、そして本が与えられていた。


 逆に言えば、それ以上のことは何も求めず、サリスは研究に没頭するあまり、食事もとらないことがあるほどであった。


 彼女の魔術体系は今や一冊の書物では収まり切れないほどのものとなっており、うず高く積まれた書類がそれを示していた。


 サリスは、思いついたことを紙に書き、息詰まると、離れから続く森の広場へと向かう。


 そこで実際に魔法を使ってみて、その反応を再び文字として記録する。


 この繰り返しを数年間続けていた。


 紙は一つとしてきれいなものはなく、繰り返し読むことで端が破れ、色も褪せていた。


 研究により、火や水や風、各属性の魔法のつながりが明確になり、おぼろげながら彼女は魔素、そして異界というものの存在をおぼろげに認識しはじめていた。つまり王都成立後の魔術師たちが長年研究を続けてたどり着いた成果を、彼女はたった一人で成し遂げようとしていたわけだ。


 サリスは日夜思索にふける。


 どうすればより威力の高い魔法を使うことができるのか。


 魔法の源にいかに近づくのか。


 考え疲れると軽い食事を取り、あるいは寝床に潜り込んだ。


 離れで生活するようになると、彼女は家に帰らなくなった。


 両親はたまにサリスの様子を見に来るが、紙に囲まれる彼女を見て、心配と困惑の表情を浮かべて帰るのが常であった。


 幸いなことに両親は彼女に対する理解があった。


 村からの援助も手厚く、娘に完全に会えないわけではない。それに、サリスには兄がおり跡継ぎの心配もなかったことも大きかった。つまり無理に彼女の生活を壊す必要はなかったわけだ。


 一方で、ベラーナの体調は思わしくなかった。


 老齢ながらありとあらゆる手を尽くし、魔法研究の場を作り上げた彼女であったが、サリスの研究が軌道に乗ると、またひどく老け込んでしまった。


 今では数週間に一度、離れにやってくるのみだ。


「今日もやっておるかね」


「あ、おばあちゃん。ちょっと待ってね。座れないでしょ。今片付けるから」


 紙の束に囲まれたサリスは、顔を上げて立ち上がり、積まれた本の間をすり抜けながらベラーナの元へと向かおうとする。


 ベラーナは以前のはつらつさが消え、どこか小さくなったようにも見える。成長期のサリスがその身長を伸ばしたため、二人の大きさはもはや逆転していた。


「いいよ。研究の最中だろ? あたしのことなんてお構いなく」


「そうはいかないよ。長く立っていたら辛いでしょ?」


 サリスは言いながら本を片付け、ベラーナが座るだけの小さな空間を作った。


「すまないねえ。最近また足腰が効かなくなってきてね。年は取りたくないもんだよ」


「無理はしないでね」


「あたしはねえ。嬉しかったんだよ。あんたのためなら、残りの人生すべてをかけても良いって思ったんだ。教えてもらった魔法がまともに使えなかったこと、旅芸人として国々を巡ったこと。その全部が、今のためにあると思ってるよ」


「どうしたの? 今日は特に元気がないね」


 サリスは心配そうにベラーナの様子を伺う。


「この年になるとさ、終わりの日のことを考えるのさ。あんたはあたしの期待を裏切らなかった。あたしはこれでいつ死んでも良いって思ってるよ」


「もう、そんなこと言って。まだお迎えは早いでしょ。私だって、全然魔法のことわかってないんだから」


「自分でそう思っているだけさ。あんたの力はあたしの想像が及びつかないところまで行ってるよ。才能はなかったが、それはわかるよ」


「おばあちゃん、いつもそういうけどさあ。私にはあまりわかんないんだよね。比べる人もいないし、でも、そう言ってくれるのは嬉しいよ」


「そうさ、自信を持ちな。本当に必要になったとき、あんたの力は役に立つさ。いつか――」


 その時、ズズズ、と地鳴りが響いた。動物とは違う、何者かの雄たけびも響いていた。


「なに!?」


 サリスが本を押しのけ、外に出ようとする。


「サリス!」


 ベラーナが思いもよらぬ大声で彼女を引き留める。


「おばあちゃん?」


「どうやら来るべき時が来たようだよ。やっぱりあたしの勘は当たったようだ」


「どういうこと?」


「行きな。扉を開ければわかることさ」


 ベラーナはかつての力強さをその眼に宿していた。


 サリスは無言でうなずき、扉を開く。


 村の表情が一変していた。


 濃密な魔素を感じ、彼女は息が詰まった。


 地響きの原因は村に流れ込む魔物の群れであった。


 巨大な魔物が家屋をなぎ倒しながら村に侵入し、人々が逃げ惑っている。


 村の男たちは武器というには心もとない銛を手に、魔物に立ち向かおうとしている。


 魔物の咆哮と人々の叫び声が聞こえる。親とはぐれ、泣いている子ども。家族を探して大声で名を呼ぶ大人。すべてを諦め立ち尽くしている老人たち。


 サリスはその光景を目の当たりにし、茫然としたまま歩を進める。


 こん棒を持ったゴブリンから襲われ血を流す者。巨大なトロルがなぎ倒した家屋に押しつぶされそうになっている者。村の平和は魔物により一瞬で瓦解していた。


 こんなこと、あって良いはずがない。


 湧き上がる感情を抑えきれず、怒りと恐ろしさで体の震えが止まらなかった。


 サリスは無意識に呪文を唱え始めた。


 彼女の周囲を冷気が包む。


 サリスが最も得意とする氷魔法が周囲に展開される。


 魔物が彼女に気づき、声を上げる。


 サリスは逃げることなく、魔物に近づく。


 ゴブリンが二体、彼女に向かって襲いかかった。


「凍れ」


 サリスがつぶやくと、ゴブリンが空中で静止し、完全に凍結する。


 そして、その場に落下し、バラバラに砕けた。


 魔力の消耗など一切顧みない、全力の一撃であった。


 たった一度の発動にもかかわらず、全身を倦怠感が襲った。魔力消耗という概念がまだ発見されていない時代。実戦を経験したことのない彼女には、効率的な魔法の使い方などわかるはずもなかった。


 襲いかかる疲労感にしかし、サリスは焦らなかった。


 ゆっくりと歩を進めながら、呪文を呟き続ける。


 彼女に気づいた魔物たちが、彼女に襲いかかる。しかしそれらは彼女の前に到達する前に音もなく凍結され、生命を停止した。それは氷による一方的な殺戮であった。


 頭が痛い。


 苦しい。


 でも止めてしまったら、みんなを助けることができない。


 サリスの鼻から血が流れる。目は見開かれ、赤く充血していた。


 やがて、魔物たちが気づく。


 この村で、最も警戒しなければならない存在を。


 魔物は声を上げることもなく一カ所に集まってくる。すべてはこの村最大の障害であるサリスを排除するためだ。


 魔素による意思の疎通と連携。それが魔王が与えたもう一つの武器であった。


 魔物の群れを前にして、サリスは怯えた表情一つも見せなかった。


「グオオオオオオオオオオオオ!!!」


 巨体を震わせトロルが吠える。咆哮を合図にゴブリンやオークがサリスに向かって突進する。逃げ場などない状況で、しかしサリスは、直立したまま動かず詠唱を続けていた。


「凍れ、そして、死せよ」


 サリスの周囲に生物が存続できない、絶対的な空白が生まれ、その輪が拡大する。その領域に取り込まれた魔物はすべて、一瞬で凍り付き、生命を停止した。


 海辺の温暖な地に雪が降る。


「あ……」


 サリスはその場に崩れ落ちる。限界を超えた魔力使用により、彼女の意識は途切れ、まるで死んだように地面に倒れた。


 だが、彼女の元へ駆け寄ろうとする者は誰もいなかった。


 人々は誰が村を救ったのか理解している。理解してなおサリスの力に怯え、近づくことはおろか声をかけることすらできなかった。それは、彼女の両親でさえも同じことだった。

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