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補修人、相良修司は蚊帳の外  作者: 久慈望
第七話 凍結
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幼い魔法の研究者

 それからしばらくして、サリスの魔法の修行が始まった。


 どのように話が通されたのかは知らないが、サリスは両親から家の手伝いをするように言われなくなり、彼女の代わりに手伝いの人間が来ることになった。


 サリスが首を傾げながらベラーナの家に向かうと、そこは完全に様変わりしていた。


 家が明らかに大きくなっている。


 それまで小屋でしかなかった彼女の住居が、二階建てになっており、脇にはそれこそサリスの住む家ほどの大きさの離れが作られていた。


 サリスが口をあんぐりと上げてその大きな屋敷を見上げていると、


「どうだい? いい家だろう?」


 ベラーナがいつの間にかサリスの隣に立っていた。


「えっと、どういうこと?」


 サリスがベラーナを見ると、これにもまた驚いた。


 彼女の姿は完全に見違えていた。別人のように顔つきが変わり、いつも眠そうに干しラミを噛んでいた老婆は、化粧でもしたのかキリリと鋭い目で彼女を見据え、さらに、服装も派手になっていた。


「今日からあんたはここで魔法の研究をするんだ。ここはあたしの家でもあるが、あんたのためのものでもある。離れはあんたのために作らせた」


「ちょっと、ちょっと、待ってよ。これ全部おばあちゃんが作らせたの? もしかして、うちにお手伝いが来たのも……」


「そう、あたしだよ。あんたにゃこれから魔法に専念してもらわないとならないからね」


「だからって、どこからそんなお金……」


「金? 金なんて必要ないさ。あたしが村長に頼んで作らせたのさ。いやあ、貸しってのは作っとくもんだね。離れは特別製にしてあるし、なんなら、ここからいける森の開けた場所に訓練用の敷地も囲ってある。火だって風だって使いたい放題さ」


「もうついていけないよ……」


 サリスは自分が軽い気持ちで使った魔法により状況が一変したことに戸惑っていた。村に住んでいる穏やかなおばあちゃんとしか思っていなかったベラーナが、まさかこんな力を持っているとは、思ってもみなかった。


「カッカッカ!! 魔法を研究するには、あの家は少し狭すぎるからね。場所を用意したからには、あんたにゃ本気でやってもらうよ」


 豪快に笑うベラーナは、肌がみずみずしく潤っており、正に別人となっていた。


 そこで急に、サリスは不安になった。


 自分のためにこんな大掛かりな準備がされて、果たしてその期待に応えることができるのだろうか?


「私が頑張っても魔法が上手くならなかったら?」


 サリスはうつむきながら言った。この言葉すら、言うのに勇気が必要だった。


 するとベラーナが近づき、二ッと笑顔を見せた。皺だらけで歯も少ないはずなのに、その笑顔はとてもまぶしく見えた。


「安心しな。あたしは魔法の才能はなかったけどね。人を見る目だけはあるんだ。それで、この場所だって作らせることができた。そのあたしが、あんたに才能があるって言ってんだ。信じてみなよ」


「でも……」


 サリスはなおも食い下がる。


 するとベラーナは彼女の肩に手を置いて、


「気になってるのは金かい? だったら気にするんじゃない。全部あたしの貸しで、ほとんど無償で作らせたんだ。人生は博打さ。あたしはだいたいのことに勝ってきた。だからこの賭けも勝つのさ。だからあんたはものになる」


「ほんとに?」


 サリスはすがるようにベラーナを見た。


「ああ、当然さ。あたしはこれまで自分の思い通りの人生を送ってきたが、ただ一つ、魔法のことだけが気にかかっていた。自分にできないことがあるなんて認めたくない。しかし現実は変わらない。それで、ひねて隠居決め込んでたんだけどね。そこにあんたが現れた。あたしの夢をあんたに託させちゃくれないかい?」


 ベラーナの顔は生気に満ち溢れていた。その表情を見ると、サリスは自分にも何かができる気がして、少しずつ、元気が湧いてきた。


「うん……わかった。やってみる」


 サリスがそう言うと、ベラーナは大声で笑った。


「あんたからその言葉が聞けて嬉しいよ。さっきも言ったが、あたしには魔法の才能がないからね。あんたは自分が思うように魔法のことを知るんだ。そのための手伝いならどんなことでもしてやるからさ」


「ありがとう」


「感謝の言葉なら引っ込めて、その分魔法に打ち込みな。あたしの目が間違ってなけりゃ、あんたは歴史に残る魔法使いになれるよ」


「……それはわからないけど」


 すると急に、ベラーナは真剣な表情になった。


「もしかしたら、あたしは、あんたを自分のために利用しているのかもしれない。才能があるとかいろいろなことを言ったが、結局は、あたしができなかったことをあんたにやらせようとしているだけなのかもね。それでも、やってくれるかい?」


「私は……」


 サリスは呪文を唱える。


 周囲に冷気が立ち込め、地面に霜が降りる。氷の結晶が周囲に舞った。


「魔法がもっと使えるようになりたい。これは本当だよ。おばあちゃんが望むようにならないかもしれないけど、私にだって、やりたいことはある」


 ベラーナはニヤリと笑った。


「心配はいらなかったみたいだね……それより」


「なあに?」


「暖かい服を用意した方が良いかもしれないね。あんたが上達する前に、あたしが寒さでやられてちまうよ」


 サリスは、


「そうだね」


 と言って笑った。


◆    ◆    ◆    ◆


 はじめの数か月、サリスは魔法を使わなかった。


 ベラーナから指示されたのは、文字を覚えることだった。


 村で生活するには文字は必要なく、教える人間もいなかったため、彼女はそれまで文字というものを見たことすらなかった。


 サリスは与えられた机に積み上げられた本の山を見て、


「なにこれ?」


 と呟く。


「なに言ってんだい。本だよ本。あんたにゃこれを読めるようになってもらわにゃならない」


「本?」


「……サリス。よく聞きな。世の中にはね。文字ってもんがあって、それを使いこなしたやつが上に行く。王様だの行政官だの魔法使いだの、国の上の方に居るやつらみんな文字が読めるんだ。今はまだ黒い染みにしか見えないだろうが、本に書かれた文字がわかればあんたの魔法はさらに強くなる」


「へえ、文字を読むだけで?」


「もちろん文字が読めるだけじゃ意味がない。文字の価値ってのは、過去の出来事を知ることができることのほかに、自分の考えたことや技術を記録することができるんだ。文字を読んで書くことができれば、魔法の研究がさらに進むだろうよ」


「ふーん。よくわかんないけど面白そう」


「村じゃ読み書きできるやつがいない。あたしは運よく文字が読めるし、町で本だって仕入れることができるからね」


「おばあちゃんてさ」


「なんだい?」


「どうしてそんなにいろいろなことを知ってるの?」


「さあてね。あたしは若い頃、いろんな場所を旅した。そこで文字を覚えたのさ。懐かしいねえ。あたしのためになら、男ってのは金だろうが知識だろうがなんでも差し出したもんさ。特にあたしに文字を教えてくれた男とは、一番長く続いたかもしれないね。あたしがあそこで意地はってなけりゃ……」


「あの……おばあちゃん?」


「ん? ああ、すまなかった。ついつい昔のことを思い出しちゃってね。さあ、これで文字の大切さはわかっただろう? まずはそこから始めようじゃないか」


「うん、わかった」


 はじめは苦労したものの、サリスの上達は早く、すぐに文字を覚え、そして、読み書きを覚えるまでは一年とかからなかった。


 机に向かうこと、覚えることに関しての才能が彼女にはあった。


 とはいえ、魔法を使える環境があるにもかかわらず、使うことを禁じられているという状況は彼女に相当な苦痛を与えた。異常なまでの習得速度は、そのことにも要因があったのかもしれない。


 なにはともあれ、ベラーナからの許可を受け、彼女はついに魔法の使用を開始した。


 魔法の研究とは単純なものだ。すくなくとも、彼女にとっては。


 魔法を使い、呪文を組み合わせ、それを何度も反復する。


 気が遠くなるような作業だが、彼女には魔法に対する執着ともいえる情熱があり、ベラーナのいうように、天から与えられた才能があった。サリスはベラーナに見守られながら、各属性の魔法を発展させ、自らの頭のなかで体系を作り上げていった。


 進むべき方向に迷った時、彼女はベラーナに相談する。


 すでにベラーナの及びつかないところまで研究は進んでいるが、それでも、彼女は長年の経験から、止まっているところがどこか知ること、そして切り分けて考えることを教え、サリスの心の支えとなっていた。


 サリスの生活は魔法によって占められ、もはや村の子どもたちとの接点もなくなった。


 話し相手と言えばベラーナだけだ。


 それでも彼女は研究をやめたいと思うことはなかった。彼女は魔法に心を囚われ、より深く研究にのめり込んでいた。当時の彼女は、魔法のことさえ考えることができれば、それで十分だったのだ。


 サリスは満たされていた。


 その時が来るまでは……

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