魔術が魔法であった頃
サリスが生まれたのは温暖な気候の海辺の村だった。漁業が盛んで交易により村も豊かであり、彼女は何の不自由もなく成長した。
サリスは両親の手伝いをし、漁に出る父のために網を繕い、あとは村の子供たちと海で遊ぶ生活を送っていた。彼女は手先が器用で、仕事を終えるのが人より早かったためか、一人になることが多かった。
村の子どもは親の手伝いで海に出ているか、家から出てこない。
そんな時、彼女は村の奥の魔女の元へと向かう。
「おばあちゃん、来たよ」
ガタつく戸を押し開いてサリスが言った。魔女が住んでいるとは思えない、みすぼらしい小屋だった。
「まあ、よく来なすったね。干しラミでも食べるかい?」
ラミというのは村の近くの森で取れる果物のことだ。老婆は家事をするとき以外はたいてい干しラミを噛んで過ごしていた。
「いいよ。それより今日は何を教えてくれるの?」
「サリスは魔法が好きだねえ。覚えたって、何の役にも立たないのに」
「楽しいからいいの!」
その老婆は魔術が体系化される以前、当然魔術師も存在しない時代に、魔素を操作する技術を身に着けていた。当時魔法と呼ばれるものは、人から人に伝えられる秘術であった。
「とはいってもねえ。あたしが教えられるものは全部教えてしまったよ」
「えー」
サリスは不満気に口をとがらせる。
実際、国家間での小競り合いが起こるものの、当時は一定の平和が保たれており、魔法の技術は世代を経るごとに消失へと向かっていた。その老婆が教えられる魔法というものも、火や水、風などの基本的なものだけで、威力も大したことがなければ、それ以上発展させることもなかった。
秘術は口伝で次の世代に伝えられ、資料のようなものもない。そもそも魔法と言えば生活の不便さを多少改善する程度のもので、一般に普及するような技術でもなかったのだ。
しかし、サリスの魔法に対する執着はすさまじいものだった。老婆が戯れで教えた火の魔法をその日のうちに覚えてしまい、すぐさま囲炉裏の火を大きくし、あわや火事になるところであった。
水、風と次々と学び、老婆の前で使ってみせる日々が続き、もはや、教えることなどなくなってしまっていた。
サリスは家族にこの魔法を見せようとしたが、老婆からは厳しくとがめられた。魔法とは人から人へと細々と伝えられるものであり、やたらと人に見せびらかすものではないと釘を刺されたからだ。
魔法は使いたい。しかし人に見せることはできない。
サリスは時間があれば老婆の元へと通い、魔法の精度見てもらったり、助言をもらったりしていた。彼女は魔法を使うことが好きだったのだ。
もともとなんでも器用にこなしてしまうサリスにとって、思い通りにならない魔法の力は彼女にやりがいというものを与えた。
「じゃあ、これはどう?」
サリスは険しい顔をしながら、探るようにぶつぶつと呟く。それは彼女が失敗を繰り返しながら見つけた。彼女独自の呪文だった。
サリスの両手の上に白い塊が生成される。白いもやを吐くそれは、氷であった。
「サリス、この魔法は?」
老婆の声は震えていた。
「私が考えたの。すごいでしょう? 水と風を組み合わせると、こんなのができるの。冷たくてきれいなんだよ」
老婆は眠そうにしていた眼を見開き、サリスの元ににじり寄る。
「どうしたの?」
後ろに後ずさるサリス。
「どうやったんだい? そんな呪文なんて教えていなかっただろうに」
「うーんとね。おばあちゃんからいろいろな魔法を教えてもらっているうちに、一つ一つの魔法がつながってるんじゃないかって思うようになったの。それで、浜辺でいろいろ試してみたんだ、あ、もちろん一人でね。だから人には見られてない。とにかく試しているうちに、新しい魔法ができたってわけ」
氷の塊に触れ、その冷たさに驚くように老婆が身を引く。
「サリス、あんたは大したもんだよ。あたしは母親から魔法を教えてもらったんだが、新しいものなんて考えもつかなかった。それがこんなに簡単に……」
「まだ完全に分かったわけじゃないけどね。でも、この冷たいのとってもきれいじゃない? 手から離れると水になっちゃうんだけれど、それもまた面白いのよね」
氷を眺めながら語るサリスは、まだ幼さが残る顔立ちに満面の笑みを浮かべていた。
「サリス」
老婆が真剣な表情で呼びかける。
「なあに?」
「あんたに教えることはなにもない。これは本当だよ。あんたはあたしよりはるかに魔法が使えるようになってしまった」
サリスの顔から笑顔が消える。それまで維持していた氷が地面に落ちて割れた。
「そうなんだ……」
「サリス、お聞き。あんたはこれから自分の力で魔法を知っていかなくちゃならない」
「でも、誰も教えてくれないんでしょう?」
「少なくともこの村にはいない。でもね。その力は天からの授かりものだよ。あたしは魔法に向いてなかった。でも、あんたは違う。もしかすると、選ばれし者かもしれない」
「私が?」
「ああそうさ。あんたは与えられた力を育て、人のために役立てなくちゃならない。それが力を持ったものの宿命だよ」
「うーん。よくわからない」
「今はまだいいさ。驚いたね。今までもやのように曇ってた頭が、晴れ渡るようだよ。あんたはこれからもうちに来な。あたしが魔法をみてあげるから。あんたが考えたやり方で、これからも魔法を作って見せておくれ」
「まあ、それならできるかな。私は魔法のこと考えるの好きだし」
「いいねえ、まるで若返ったみたいだよ。ちゃんとした場所も作った方が良いだろうね。あとで、大工の爺さんに頼んでおくよ。教えることはできないかもしれないが、見てやることはできるからね」
「……またここに来てもいいの?」
「当然さ、さあこれから忙しくなるよ。今日はお帰り、次に来た時には場所を整えておくからね」
そうして老婆は立ち上がり、サリスをせかすようにした。
老婆の名はベラーナ。
サリスの苗字は彼女の名に由来する。
ベラーナは歴史に名を残すことこそなかったが、後に勇者とともに世界を救うことになるサリスに大きな影響を与えた存在となった。




