少女の想いを背負う二人
メリルは薄暗く狭い部屋の中心に、一人で立っていた。
そこは実験室と呼ばれ、窓もなく、天井と床、壁が魔力により加工された金属により塗り固められていた。
その部屋はユウカの指示によりしつらえられたものだ。
メリルは処置により、最初の数回こそ苦しみのたうち回って気を失っていたが、次第に周囲を破壊する程に暴れまわり、急遽この部屋が作られることとなった。
今でこそ、清掃されているが、処置が終わった後は、メリルの血反吐により惨憺たるありさまとなっている。修繕はされているものの、実験室は、ところどころへこみ、いびつな形をしており、角などの隅には取り切れなかった黒ずんだ血の跡が残されていた。
頑丈な扉が重々しく開く。
「心の準備はできた?」
ユウカは優しげな笑顔を浮かべている。
「ええ……ほんとうに、これで最後なの?」
不安げなメリルは震えていた。
「そうよ。あたしは嘘はつかないから。ただ……」
「ただ?」
「今回はいつもよりも痛いかもね」
「いつもより?」
メリルの顔に絶望が浮かぶ。
これまでも死んでしまいたいと思えるような痛みに苦しんでいた。それ以上の痛みとはいったいどれほどのものだろうか?
「いつもより。でも、これで終わりだし、あなたは、はれて領地の外に出ることができる。あなたはそれを望んでいるのでしょう?」
「ええ……だけど……」
「今更後戻りはできないわ。魔王復活のために、ガルファスは戦に向かった。あなたの力が戻れば、人から魔王の地を取り戻すために戦うと言っていたわ」
「ガルファスが? どうして?」
「これはガルファスが望んでいることでもあるの。そのためにあなたを育て、敵の力を測るために闘いに出た。だからあなたも覚悟を決めなさい」
「私は、魔王の力を手に入れなくてはならないのね」
「そうよ。だって、あなたは魔王として生まれたのだもの。力を取り戻すためには痛みが必要なのよ」
「わかった。お願い」
ユウカは笑顔を浮かべ、メリルの体に触れる。
「痛みが消えたころには、あなたは本当の魔王の力を手に入れることができるはず。頑張ってね」
メリルの体に想像を絶する痛みが広がる。
「があああああああああああ!!!」
隔離された部屋にメリルの絶叫が響き渡ったとき、ユウカの姿はすでにそこから消えていた。
◆ ◆ ◆ ◆
両軍が激突する。
トーマ軍の聖職者たちが防御壁を展開し、魔術師たちが極大魔法をダラガントに向かって放つ。
さすがの巨獣も動きを止め、態勢を整えようと足を踏みしめる。
聖職者の加護を受けた騎士たちが、魔物たちの集団に飛び込んでいく。
敵勢力は、空に鳥型の魔物、地上を獣型の魔物を展開し、そこに、オーガのような武器を持つ巨大な人型、ゴブリンが雑兵として配置されている。
騎士たちがゴブリンと刃を交えた時、その力に驚きを隠せなかった。
明らかにこれまで戦ったことのある魔物とは違う。
特殊個体でないのは間違いないが、その動きには知性が宿り、不意を突いた剣捌きと騎士の鎧の隙間を狙う攻撃に習熟していた。
オーガもまた知性こそ感じないものの、ゴブリンたちの動きに対応し、攻撃をあわせてくるなど普段では考えられない行動で、騎士たちを困惑させた。
戦場に一時混乱が広がるが、彼らも一級の戦士である。
魔術師の情報伝達回路により、すぐに立て直し、状況の変化に対応していた。
一方、トーマとガルファスは違っていた。
両軍の先頭に躍り出た二人は、互いに誘うように戦線を離れ、その馬と魔獣で並走し戦場から遠く離れていく。
しばらく走ったところで、彼らは止まり、向き合った。
「いいのか、離れてしまって」
ガルファスが言う。
「ほう、人語を解するか。長年魔物と相対してきたが初めてだ。部隊のことなら心配ない。私の教え子と信頼のおける仲間たちだ。私の指示がなくとも負けるはずがなかろうよ」
「それは私も同じ考えだ」
頭を潰せば相手の軍は容易く潰せる。
互いの思惑は一致していた。
ガルファスは乗ってきた銀狼、トーマは愛馬を逃がし、剣を抜いて向かい合う。
「私はこの剣に誓って貴様を倒す」
ガルファスが言う。
「ほう、そちらも由来がある剣か」
トーマが剣を掲げる。
「ふん。貴様もか」
「ああ、かつて私とともに戦ったスララギという魔術師に強化してもらった。この鎧も、彼女の力で守られている」
「なるほど、互いに背負うものがあるようだな」
「ああ、ただ私の場合は出来れば使ってほしくないと言われていたがな」
トーマは苦笑いを浮かべた。
「私の誘いに乗ってもらい感謝する」
ガルファスが言う。彼はトーマと言葉を交わすことで、相手に対する敬意を感じていた。このような気持ちが自分の身に生まれるなど、考えてもみなかったことだった。
「こちらこそ。人語を解する魔物、しかも姿かたちまで似ているとはな。出来れば話し合いで解決したいところだが、そうもいかないようだな」
「私には使命がある」
ガルファスが厳しい表情で言い放つ。
「こっちも話し合いで済ませようって気はないがな。私は今とても心が躍っている。この年になって全力が出せる機会などなかなかない」
「では行かせてもらうぞ」
「よろしく頼む」
緩やかな構えから、ガルファスが動く、一瞬で間合いを詰め、黒く禍々しい魔素を纏った剣を切り上げる。
トーマはその動きを予想していたとでもいうように、一歩後ろに下がり、何の予備動作もなくガルファスの側面に向かって剣を滑らせる。
正にそれは、滑らせるという言葉に相応しい動きであった。
剣先が吸い込まれるようにガルファスの横腹に迫る。
だが、人を超えた身体能力を持つガルファスは切り上げた態勢のまま体をひねり、剣先を躱す。
即座に態勢を整えたガルファスは、トーマに向かって連撃を繰り出す。
トーマは動揺も見せず、その一撃一撃を丁寧に捌いていく。
息の詰まるような剣戟、しかしその中でもトーマは表情を崩さなかった。
ガルファスが後方に飛ぶ。その表情には焦りの色が見えた。
トーマは表情を動かさぬまま、悠然とガルファスに向かっていく。構えも取らず、剣を下にだらりと下げたままだ。
ガルファスは動かない。
いや、動けない。
相手の太刀筋が読めず、動きも予測できなかった。はるか昔、かつての人間との戦いの記憶をさらってみても、このような相手に出会ったことなどなかった。
ユウカの力で目を覚まし、領地の魔物相手に研鑽を続けていた彼である。
自分よりも力がある者、自分よりも早いもの、そのどれにも圧勝し、大多数の魔物を相手に訓練をしたこともある。
だが、この相手はそのどれとも違った。
自分よりも力があるとも、早いとも思えない。
にもかかわらず、相手に勝てるイメージが全く湧かなかった。
トーマが接近する。
ガルファスは構える。
まずは相手の動きを見極める。心にわだかまる不安を払拭する必要があった。魔物の長として十二分の力を手に入れた自分が人間ごときに劣っているはずがないからだ。
トーマが立ち止まる。
ゆらりと剣先が動く。
それを認識するより早く、トーマの剣が下から上へと伸びてくる。
首が落ちる――
確かにその映像が、ガルファスの頭に浮かんだ。
だが、間一髪のところで、剣で防いだ。
一瞬でも遅れていたら、頭が体から離れていたことだろう。
次の剣が来る。
ガルファスには安心する余裕はなかった。
トーマは棒立ちで、力を蓄える様子も見せないまま、予測もできぬ刃の軌跡をガルファスに収束させる。
ガルファスはそれを防ぐことで精一杯だった。
横に態勢をそらし、後ろにのけぞり、身をかがめ、ギリギリのところで剣をはじき、あるいは躱していく。ガルファスに備わる魔物としての身体能力と、無尽蔵の体力があるからこその動き。しかしそれでも彼はトーマの剣の圧力に追い詰められていた。
二度目の跳躍。
ガルファスは再び、後方に飛び、トーマから距離をとった。
「なんという力だ……お前、ほんとうに人間なのか……」
ガルファスが思わず口にする。
「それは私にもわからん。ただ、この力により、私は王都を魔物の脅威から守ってきた」
トーマは息一つ上がってはいなかった。
「やはり私の考えは正しかった。最も恐れるべきはやはり貴様だ」
「私もそう思っている。お前はドラゴンを別にすれば、今まで戦ってきた誰よりも強い」
ガルファスが剣を両手で強く握りしめ、構える。
「力を出し惜しんでいる場合ではなさそうだ」
刃から黒い霧がしみだし、形をとり始める。蛇のように刃を取り巻き、紫に発光する。
霧がガルファスの周囲にも湧き上がる。
「これは我が主から賜った力だ。私の最大の攻撃であり、是非貴様に受けてもらいたい」
それまで直立であったトーマがついに構えを取り、剣を両手で握りしめる。
「受けて立とう。だが、こちらも全力だ」
トーマの剣が淡い光を放つ。
「――術式開始」
それは、かつてスララギが自身の持つすべての魔術知識を統合し、研究の果てに作り上げた魔術兵器だった。彼女がもしもの時のためにトーマに贈った最上の一品。
この世に二つとない奇跡の剣だ。
刃に込められた魔術が渦を巻き、輝きを増していく。
「私は卑怯かもしれない。畢生の大魔術師の力を味方につけているのだから。だが、これも王都を守るためだ」
「余裕だな。だが負けるわけにはいかん」
ガルファスの剣、向かい合うトーマの剣の輝きが増し、二人が互いに走り出す。
二つの強大なエネルギーがぶつかり合い、周囲に炸裂した。




