魔王の教育係
生まれたばかりのメリルに、ガルファスは自分の身を全て捧げた。
広間に産み落とされ、言葉も話せず体も満足に動かせないメリルを、ガルファスは甲斐甲斐しく世話をした。
それが彼が知性を得て初めての仕事だった。
ガルファスには力が与えられていた。
ユウカが言っていた通り、彼には魔物に知性を与える力を得ていた。それはあくまで会話が成立する程度のことでしかなかったが、メリルの世話をする程度の仕事は出来るようになった。
彼は魔王城での生活を成り立たせるために、魔物に知性を与え、下働きとして集めた。壊れ汚れた城を修繕し、清掃するもの、食事を作る者、ガルファスを手伝いメリルの身の回りの世話をするもの。
すべてガルファスが役割を決めた。知性を与えられた魔物は言葉を解し、彼の言うことを聞くようになった。しかし、適切な動きをするためには細かな指示まで出さねばならず、城内の体制を整えるために長い時間がかかることになる。
ある程度準備が進むと、メリルを中心とした城内でのささやかな生活が始まった。
ガルファスははじめ、城の中に必要な人員と役割分担を整えるために奔走していたが、メリルはなかなか言葉を話さなかった。
言葉を理解していることはわかる。
ガルファスが話しかければ頷いたり、食事の内容により好き嫌いを身振りで表現することはした。
だが、自分からは話さない。
メリルは、手先の器用な魔物の作った真新しいベッドに身を横たえ、時々わずかな食事をとる。魔王というにはあまりに心もとない、はかない様子に、ガルファスは心を痛めた。
しかし、このお方は魔王なのだ。
そう思うと、忠誠の気持ちが沸き、彼はより一層仕事に精を出した。城の体制がある程度整ってくると、メリルはようやく身を起こすようになった。
この間約十年。長命種の彼らにしても気の長い話であった。
メリルはすでに言葉を理解しており、必死にガルファスのように声を出す方法を真似しようとしていた。
はじめこそ、ああ、であったり、うう、というような言葉にならないものであったが、数カ月もすると、自分の言葉を操ることができるようになった。
「ガルファス」
「はい、なんでしょうか、メリル様」
「私、外に出てみたい」
この時のガルファスの喜びはいかばかりのものだったであろうか。
臣下であるという手前、感情を表には出さなかったが、本当は喜びの声を上げ、周囲の魔物と分かち合いたいほどであった。
その日、はじめてガルファスはメリルを連れて、城の外に出た。
魔素に包まれた魔王の領地は淀み、混沌を極めていたが、それでもメリルを感動させるには十分だった。
「これが、私の国?」
「はい、その通りでございます。私の言葉を覚えていらっしゃるのですね。この者たちはすべて、あなた様の臣下です。今はまだ、自分が何者かもわかっていない者も多いですが、いつか、あなたのためにこそ存在していると理解することでしょう」
「ガルファスの言うことは、わからない」
「申し訳ございません。少し難しかったようですね。安心なされてください。時間が経てばわかるようになりますよ」
それは、知性を自覚したためだろうか、領域に満ちる魔素を認識したからだろうか、メリルは少しずつ知性と力を高めていった。
彼女の隣にはいつもガルファスが居た。
ガルファスははメリルにあらゆることを教えた。自分の知る限りの世の成り立ち、魔王の偉大さ、そして、魔王の敵であり、支配すべきとされている人間のこと。
言葉を話すまで長い時間がかかったように、メリルが知識を得て、それを使いこなせるようになるまで再び数年の時が過ぎたが、ガルファスにとっては苦にならなかった。
ガルファスの仕事はメリルの教育に変わった。
彼はメリルに魔王としての自覚を持たせ、そして、戦うことも教えた。もしもこの先、メリルが魔王のような力を得て、人間と戦う時に必ず必要だと考えたからだ。
朝はメリルに言葉を教え、午後になれば互いに剣を持って向き合った。
メリルは魔王として生まれただけあって、体の使い方を心得ていた。かつての戦場で戦ったガルファスには及ばないものの、みるみる力をつけていく彼女の姿を、彼は誇らしく思った。
時には、魔王城の外に出て、知性を持たぬ魔物とも触れ合った。メリルは野生動物を扱うように、自分の何十倍もある魔獣を手なずけ、可愛がったりもした。
ガルファスは、メリルの動き一つ一つを、この目に刻み付けようと思った。時間はかかるが年を追うごとに彼女の動きは洗練され、王たる風格を得ようとしている。彼にはそれがたまらなく嬉しかった。
ただ、成長が遅いことは少し気にかかっていた。しかし、悩むことなどなかった。時間はいくらでもある。焦る必要などないのだ。
ある時、メリルが彼に聞いた。
「私はどうやって生まれたの?」
「はて、どうしてそのような疑問を?」
ガルファスは内心驚いていた。彼女の出自についてこれまで語ったことはなく、また、語る必要がないとも思っていた。魔王は魔王であり、そのことに疑問を持つ必要がないからだ。
「だって外の魔物たちは皆、私とは違う形をしているでしょう? 魔物は大きいのと小さいのがいるけど、私と似た形をしているのはガルファスくらいじゃない。もしかして、あなたが私を産んだの?」
魔物はつがいになって子を産み、魔素とともに育てることで体を変化させていく。植物や鉱石などが魔素の影響を受けて変化する場合もあるが、基本的には野生動物と同じように繁殖する場合がほとんどであった。
もちろん、魔素により寿命も強化されているためか、子を産むことはまれで、繁殖に積極的というわけではない。
メリルは独自の思考から、子どもには親がいるものと理解したらしい。
「それは……」
ガルファスは答えに窮した。
メリルは彼の言葉を待っていたが、
「ガルファスにもわからないことがあるんだ」
と落胆したようにつぶやいた。
そこに――
「私が答えてあげましょうか?」
城の地面をたたく足音が響いた。
そのような音を立てる者は、魔物のなかに居なかった。
「誰?」
メリルは謎の人物に向かって尋ねる。
「ユウカ様!?」
ガルファスが膝をつく。
その行動は初めて会った時から彼の体に染みついていた。
「ユウカ……?」
メリルが首を傾げる。
ユウカと呼ばれた存在は、こちらに近づいてくる。
「よく育ったわね。もう言葉も話せるみたいだし」
「あなたは誰? 見たことのない姿をしている。それに、私に似てる」
メリルがつぶやく。
「私はねえ。あなたのお母さんよ。私があなたをここで産んだの」
茫然とするメリルは、相手の言葉を図りかねていた。
その日初めての“処置”が行われた。
ユウカは、
「あなたが早く正式な魔王となるために必要なことなのよ」
と言い、不安気に身をすくませるメリルの体に触れた。
変化は劇的だった。
メリルは突然苦しみだし、その場に崩れ落ちた。その苦しみようは痛ましいもので、ガルファスはすぐに駆け寄った。
「メリル様!? どうなされたのですか?」
「その痛みが、あなたが力を手に入れるために必要なことなのよ。すぐに終わるから我慢しなさい」
表情も変えずにユウカが言う。
「グガガガガガ」
声にならぬ叫び声をあげるメリルは、恐ろしい力で近くに寄り添うガルファスの腕を掴んだ。
あまりの力にガルファスの皮膚が割け、血が流れた。
「どうしてこのようなことを!?」
ガルファスがユウカを見上げ、絞り出すように言う。
だがそれでも彼女の表情は変わらなかった。
「同じことを言わせないでよ。その子に力を与えたの。でもその様子を見ると、まだうまくいかないようね」
メリルのうめきが止み、周囲に魔素が満ちていないことを確かめると、ユウカは城を去って行った。
苦しみ疲れ、床で気を失ったメリルを、ガルファスは優しくベッドに運ぶことしかできなかった。
その後も、ユウカは数十年おきに現れた。メリルは、彼女が来るたびに、その激烈な痛みを恐れながらも、拒絶することはしなかった。
彼女もまた、ユウカの底知れない力を恐れていたからだ。
とはいえ、ユウカの存在を別にすれば、二人の生活は平穏で、悪くないものであった。
ガルファスはメリルを連れて、領地のあらゆる場所を見に行った。彼女は魔物たちと戯れ、野山を駆け巡ることで、自らの不明瞭な出自や、ユウカのことを忘れようとしていた。
ある時、ガルファスはメリルの不審な動きに気づいた。
それまで、隠れて何かをするような娘ではなかったが、ついに成長したのかと、ガルファスは寂しく思っていた。
その理由はすぐに分かった。
「ねえ、ガルファス」
「はい、何でございましょうか」
成長したメリルはひとりで出歩くことも増えていた。
縫製の技術を身に着けた魔物が作ったドレスを着て、領地内を走り回るのが常で、いくら華麗な装飾の服を作っても、いつも泥で汚れていた。
一方のガルファスにはようやく自由な時間が生まれ、魔王軍に所属する魔物の養成に取り掛かり始めていた。彼の力では知性を与えるのにも時間がかかるため、ある程度の戦力を持つ一つの部隊を整えるだけで、十数年もの時間がかかっていた。
「えっと……」
話しづらそうに下を向くメリルを、ガルファスは微笑ましく思った。
彼女は何かを恥ずかしがっているようだった。
さしずめ城の何かを壊してしまったのだろう。メリルは後ろ手でなにかを隠しているようでおそらくそこに、壊した何かを握っているに違いない。
最近ではそのようなことがなかったため、ガルファスは懐かしく昔を思い出していた。
「ガルファスの、その、腰の、さ、それ、ボロボロだよね」
メリルは言いにくそうに指をさす。どうやら剣のことを言っているらしい。
「ああ、これですか、私が目覚める前から使っているものです。普段は訓練用のものを使っていますので、飾りのようになっていますが……確かにとても古びていますね」
「あの! これ!」
メリルが背中に隠していたのは、一振りの剣だった。
「これは?」
「ドゥーギンに行って作らせたの。私は魔力を外に出すのが苦手だから、とっても苦労したけど、ちゃんと強化されているはずよ」
ドゥーギンとは軍の武器制作を担当する二足歩行の魔物だった。背中にトゲのある大きな体を持っていたが、穏やかな性格でまじめに仕事に取り組む職人だった。ガルファスの力により、簡単な会話くらいはできる魔物のうちの一人だった。
「これを……私に?」
するとメリルは照れるように笑った。
「うん……ガルファスなら喜んでくれるだろうなって、ドゥーギンに作ってもらったの。本当はもっと早くできるはずだったんだけどね、思ったより時間がかかっちゃった」
「ありがたき幸せ」
ガルファスはメリルの前に膝をついた。心からの感謝を示したかった。
「わわ! やめてよ! ほかの魔物も見てるでしょ」
「いえ、私は改めて、あなたに命を捧げることを誓います」
その時のガルファスは、この上ない幸せを感じていた。




