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世界が壊れる音がする  作者: 久慈望
第五話 英雄
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森の中にいた男

 その男は、河原の近くで石を積み上げ、簡易的なかまどをつくり、木を燃やしていた。


 積み上げた石の上には妙にきれいな作りの鍋が置いてあり、その周りには見たことのない器具が並べられている。


 私がそれらの器具をじっと見ているのに気づき、男は、


「これかい? キャンプ用品ってやつだよ。あ、キャンプって言葉は伝わらないか。外で寝泊まりすることで、そのための道具なんだ」


「へえ……」


 と私は言いながら、さらに近づいていく。怖いという気持ちは消えていた。ただ、男と、男の持つ謎の器具群に対する好奇心だけが、私を動かしていた。


「たとえばこれ」


 私は男のもとにたどり着き、彼の手にあるものを覗き込む。まったく警戒感がないことこのうえないが、その時の私はというのは好奇心の塊で、男の言うこと一つ一つを逃さまいとしていた。


 男が手に持っていたのは、手のひらサイズの容器のようなものの上に爪がついたものだった。金属なのだろうか。容器はくすんだ緑で、爪が銀色だった。


「今日は着火剤で火起こしをやってしまったから、しばらくは使わないんだけど……」


 と男は、その容器を近くの平らな石の上に置き、両手でどこかをいじると、火が出た。


「わああ!」


 私は思わず驚きの声を上げた。


「すごいだろう。シングルバーナーっていうらしいんだけど、はじめて用意してみたんだ。向こうで見て気になっていたんだよね」


「向こうってのは?」


 私は聞いた。この後も、男の話す言葉にはどこか聞きなれないものが多かった。私は男を貴族だと決めてかかり、王都には普通にあるものだろうとあたりを付けていた。後で分かったことだが男の持っていたもののほとんどが、王都、いや、どこにも存在しないものだった。


「こっちの話だよ。ところで、今カレーを作ってるんだけれど、食べてみるかい? ぼくは辛いの苦手だから抑えめにしてあるよ」


「カレーねえ。聞いたこともねえ」


「野菜や肉を煮たものだよ。ぼくは昔から好きだったんだけど、長いこと食べてなくてね。久しぶりに作ってみようって思ったんだ」


「ふうん。うまいのか?」


「どうかな。少し辛いかもしれないが、さっき味見した感じ悪くはなかった」


「からいっつうと塩味みたいな感じか」


「塩とは違うんだなあ。方向性が違うというか。一度食べてみたらわかるよ」


 男は鍋をあける。もくもくと煙が上がり、不思議なにおいが、私の鼻を刺激した。これまで嗅いだことのない香りで、私は思わず顔をゆがませた。


「なんだこれ?」


 鍋の中を見ると、煮物であることはわかるが、どろどろとして茶色だった。野菜と肉がたくさん入っていることだけはわかる。


「あんまり考えたことはなかったけど、初めてカレー見る人って、確かに驚きそうだね。見た目がおいしそうってわけでもないし。どう? 食べてみる気はある?」


「ほんとにうまいのか?」


 私は大げさに顔をしかめた。実際のところ、はじめての見た目と強い香りで、とても味が良さそうだとは思えなかった。


「見た目に騙されちゃいけない。それに、何事にも挑戦するって気持ちが、人を成長させるってもんだよ」


 結果的に、私はその言葉にまんまと乗せられてしまった。


 仮にも騎士になろうという男が、何を恐れることがあろうか。毒だろうとなんだろうと食らってみせるのが男ではないか。


 などとどうでも良いことで意気込んで、男に挑みかかるように、


「じゃ、じゃあ食べてやるよ。晩飯前だからちょっとだけな」


 と言ってやった。


「うん。ちょっとだけね」


 男は微笑んだ。近くに置いた器を手に取り、そこにカレーを注いだ。金属でできたらしい器は鍛冶屋の息子の私ですら見たことのないほど滑らかで美しく、鈍い光を放っていた。


 私は男から皿を受け取り、なかのカレーとやらをにらみつける。少しの間で鼻をつく匂いにもなれてきたのか、大きめの肉が入っているのを見ると、おいしそうにも見えてきた。


「本当は米をお勧めしたいんだけど、まずはパンにつけて食べてみて」


 と男は、小ぶりのパンを私に手渡した。見た目には普通のパンだったが、鮮やかな色をしていて、これまで触れたことのないような柔らかさをしていた。


 私がパンの軽さと柔らかさに驚いていると、男は、


「怖くなってきた?」


 と言う。


「食べてやるよ!」


 私は怒りながら、手に持ったカレーの入った皿のなかにパンを突っ込み、一口かじった。


 とてつもない衝撃が舌を襲って、私は動きを止めた。


 後に王都に出て香辛料の存在を知ることとになるが、この時受けた衝撃には及ばない。様々な香りと味が混ざり合い、私の舌を刺激した。


 その味を美味と感じるまでにはしばらくの時間が必要だった。


 だが、気づけば私はカレーの虜になってしまい、口に運ぶ手が止まらなかった。


 パンを食べきってしまうと、添えられた匙でカレーをかきこむ。


 程よい辛さが口の中を満たした。


「水はどう?」


 一気に食べ終えた私に男は水の入った容器を差し出した。私は荒れ地で水を失った遭難者のように一気に飲み干し、そして大きく息を吐いた。


「口に合ったようで良かったよ」


 男は笑顔で私を見ていた。


「あんた何してんだ? 村のやつじゃねえよなあ」


 少年らしい無邪気さで私は聞いた。カレーは美味しかったこともあり、私はすっかり男に心を許してしまっていた。持っている器具、来ている服、男を構成するあらゆるものが気になって仕方なかった。


「ぼくはただキャンプをしているだけさ。でも、もうひとつだけ目的がある」


 いわくありげな言い方に、私の興味はさらに高まる。


「なんだよ目的って」


「いや、それを言ってしまうと目的自体が消えてなくなってしまう。正直なところ、君に会ってしまったことだって、良くないことだと思っているんだ。少しだけ、再現にズレが生じてしまうかもしれない……とはいえこうなってしまったのは仕方のないことだけどね」


 男はまた、はぐらかすような言い方をした。


「全くわかんねえよ」


 私はそれが不満でたまらなかった。


「すまない。でも、ぼくから言えることはあまりないんだ。君は良いのかな。夕食の時間だったりするんじゃないか」


「そうだった!」


 私は日が傾き始めたことに気づいて、男に背を向けてきた道を戻ろうとした。だが少し歩いて立ち度もまり、もう一度男の方を見た。


「カレー? おいしかったよ。ありがとな!」


 男は肩手を挙げて返事をした。


「また来てもいいか?」


 私は聞いた。


 言わなければ男が煙のように消えてしまうような気がしていた。


「ぼくに拒む権利はないな。来たかったら来ると言い。なるようになるだけさ」


 私は嬉しくなって、


「次もうまいもん食べさせてくれよ! じゃあな!」


 と大声で言って、来た道を戻った。


 川に沿って移動し、目印となる石も忘れていなかった私は、難なく森の外に出て、素振りをしていた空き地に戻る。


 私は来た道を振り返り、本当に現実のことだったのだろうかと思う。


 だが、口の中にわずかに残るカレーの味は本物だった。


 私は、沈もうとする夕日に気づき、家路を急いだ。


「トーマ! 何をやってたの!」


 家に帰ると、当然母親から怒られた。


「ごめん。剣の修行に夢中になってた」


 などと言い訳をする。


「一人前に修行、なんて言っちゃって。剣に打ち込むのはいいですけれどね。あんまり根を詰めると体を悪くするし、それに、周りの人からもいろいろ言われるんですからね」


「へえ、なんて言われるのさ」


「あそこの家の子は剣ばっかり振ってる変わり者だって。恥ずかしくて仕方ないですよ」


「おれが騎士になるのは本当のことだし」


「まあ! またそんなことを言って! 冒険者ならまだしも……私は冒険者も許さないですけどね。騎士なんてなれるわけがないでしょう」


「試験に通りさえすればなれるのさ。父さんが教えてくれたんだ」


「あの人も余計なことを言って……とにかく、剣を振るのはほどほどにしなさいよ」


 母は呆れ顔だった。私は手のかからない子供であったが、一度自分で決めたことは絶対に曲げないという面倒な部分があった。


「考えとくよ。それより、晩飯は少なくてもいいよ」


「まさかどっかで食べてきたの? 予定通り作ってるんだから、しっかり食べてもらうからね」


「わーったよ」


 これ以上母親を刺激したくなかった私は、素直にうなずいた。


 食卓にはすでに父が座っており、食事を始めていた。


「トーマ。先に食べてるぞ」


「ああ」


 私と父親との会話はいつも最低限だった。仲が悪かったわけではない。ただ、互いに見ている場所が違っているだけだった。父は自分の仕事である鍛冶屋のことしか頭になく、その道に進もうとしていた兄と違う目的を持つ私と接点の持ち方がわからなかったのだろうと、今となっては思う。


「剣の練習をしていたのか?」


 父が関心があるようなないような仏頂面で聞く。私と話すときの父はいつもこの表情だった。これはあくまで私の記憶でしかなく、もしかすると、もともとそういう人だったのかもしれない。


「そうだよ」


「そうか……母さんにはあまり心配をかけるな」


「わかってるよ」


 それから会話はなくなった。母は私の分の料理を配膳し、いろいろと修練所のことを聞いた。剣の腕などいかに役に立たないかを語り、そして、いつものように、まあ、あなたの自由にしたらいいですけどね、と締めくくる。私の母は、考えの読めない私をどう扱ってよいのかわからないようだった。


 会話の中で、話す機会はいくらでもあった。村から少し離れたところにいる謎の男。その男の話をすれば、すぐに村中に広がり、警戒されるはずだった。しかし私は、カレーという料理をふるまってくれた男のことを、両親に話す気にはなれなかった。

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