力を得た代償
だが、不安定な心と力の過剰使用はシャルの体に負荷を与えた。
村中の人間すべてを調整した後、シャルは異常なまでの倦怠感に襲われ、長い間行動することができなくなった。心配したターニャが彼の傍らに付き添う生活が続いていたが、何日たっても彼の体調は改善しなかった。
シャルは布団のなかで悔しさを噛みしめる。
計画の第一段階である村の掌握を終え、次に隣の集落、その隣の集落、やがて王都全土を彼の望みのままに変えるつもりだった。
だがそれは所詮、追い詰められた彼の夢物語に過ぎなかった。
シャルは他人の感情を調整するとき、自らの精神力を使って強制的に数値を動かす。それは方向性を与えることも同じだけの力を使う。
つまり彼は力を使えば使うほど、精神がすり減り、生活のための気力を失ってしまうということだった。
力の行使のために精神力を使う。
それはさながら魔術師のようであるが、体系的な訓練も自主的な修練も行っていない彼にとって、連日精神が削られていくことは苦痛でしかなかった。
人と人との争いが消え、皆がみな他人を尊重する。
その場所は彼にとっての楽園ともいえる場所となったが、彼は一日数時間村のなかを動き回ることのほかは寝床から出ることもできず、無為な時間を過ごすほかなかった。
ある時、衰弱したまま布団から出られないシャルにターニャが言った。
「かわいそうなシャル。私になにか出来ることはある?」
言われたシャルは、ターニャの助けを得て、何とか体を起こした。
「ぼくは、やらなければならないことがある。早くここから出て、ぼくの力を、さらに強くしなければならないんだ」
力を振り絞ろうとして、逆に疲弊していくシャルをターニャは優しく抱きしめた。
「無理をしないで」
「ありがとう。ターニャ。でもこれは、ぼくがやらなくてはならないんだ」
シャルはこんな状況にあっても、頭には常にエレアの姿があった。
早く彼女に会いに行きたい。そのためには力の使い方を知り、より強力にしなければならない。なのに体が動いてくれれない。自分にはどうすることもできない。
シャルは涙を流した。
エレアに会えない悲しみと、自分の無力さに涙があふれた。
ターニャはさらに強くシャルを抱きしめた。
「あなたの苦しみは、私にはどうすることもできないみたい……」
シャルの涙が、まるで自身のもののように感じられ、強い悲しみを感じているようだった。
「そうだ」
ターニャはシャルから身を離し、嬉しそうに笑った。
「私ひとりでは駄目かもしれないけれど、もっと多くの人がいたら、少しは気がまぎれるかも。シャルもそう思わない?」
「ターニャ?」
「大丈夫、きっとみんな協力してくれるから」
ターニャはシャルの言葉も聞かず、急いで部屋を出て行った。
彼が寝ている部屋に村中の女性たちが殺到したのは、数日後のことだった。
◆ ◆ ◆ ◆
シャルはその光景を見て、うろたえることも、笑うこともしなかった。
ターニャが彼のために村中の女性に声をかけ、彼の苦しみを和らげるために集まってきてくれたのだ。それは微笑ましくも健気な行動であり、シャルはターニャを責めることはできなかった。
しかし問題は残った。
本来であれば一人用の客間出会った場所に、入れ代わり立ち代わり女性がやってきて、彼の世話を焼こうとする。
これでは気の休まる暇もない。
シャルはターニャに正直に言った。
「ターニャ。君のしてくれることはありがたいけれど、さすがにこの部屋は狭すぎるよ。皆に帰ってもらうよう言ってくれないか?」
するとターニャはしばらく考え、
「そうね」
と言って、集まった女性たちを帰らせた。
これで安心できると思ったのもつかの間、その翌日には村の男たちがシャルの部屋になだれ込み、手際よく彼を担架に載せ運び出した。
「ターニャ!? これはどういうことなんだ!?」
担架の傍を歩くターニャに言う。
「どういうことって、もっと広い場所に移動するのよ」
シャルが運び込まれたのは、村で最も広い、村長の屋敷だった。
「これは……?」
大きなベッドに寝かされたシャルは、笑顔で彼を眺めているターニャに声をかける。
「ここが新しい部屋よ」
シャルは、笑顔のまま当たり前のように語るターニャに、はじめて恐怖を覚えた。
確かに、これまで違和感がなかったわけではない。
村中すべてに愛という方向性を与えたにもかかわらず、シャルを世話しているのは、いつもターニャ一人だった。
シャルは確かに、平等に愛を与えた。
皆が他人を愛し、それ以上にシャルを愛する。
シャルはそればかりに集中していたため気づかなかったが、よくよく考えてみれば、村人全員が彼を愛すということになれば、たった一人の愛する人間のために取り合いが起こるはずである。
しかしそうはならなかった。
今回のことだってそうだ。
何故、ターニャがすべてを決めている?
女性を集め、村長までを退去させてシャルの住居としている。
こんなことは、愛という方向性だけで実行できるはずがない。
では、一体どうやって、この状況が作られたのか。
女性たちに囲まれながら生活を続けるシャルにとって、その疑問は水の中に一滴だけ落とされた染料のようにじわじわと広がっていった。
しかし、彼にはどうしてよいかわからない。
少なくとも、ターニャをはじめとした女性たちは、彼の手から離れて暴走している。
方向性づけは完了しているため、彼に害を加えることはないのだが、実際には、彼は不安のなかに置かれている。
すぐにでも直接的な感情操作を行うべきか。
いや、そんなこと不可能だ。
ただでさえ力の行使を続けたせいで精神が削られている。
この上無理に力を使ってしまえばどうなってしまうかわからない。
不安ばかりが膨れ上がるなか、シャルは具体的な行動を起こせていなかった。
女性たちは常にシャルの周りにいる。
食事の時間には、一人が彼を座らせて、一人が器を持ち、一人が匙で彼の口に食事を運ぶ。
用を足すときも彼一人で動くことは許されず、必ず数人が後ろをついて回る。
そして眠るときは、彼のベッドの周りに数人の女性が床を埋め尽くすように布団を敷いて寝る。
シャルはこの状況におびえた。
その中心にはいつもターニャが居た。
ターニャが女性たちの役割を分担を決め、指示を出している。それにシャルは気づいていた。しかしだからと言って、彼女をとがめてどうなるのだろう?
しばらくすると、夜中、ターニャはシャルの布団で寝るようになった。
シャルもまた、エレアに心を捧げているとはいえ、よからぬ気を起こす年齢ではあった。しかし、彼にとってはそれどころではなかった。
村を完全に支配したつもりが、彼のあずかり知らぬなにかが勝手に動いている。
彼は出来るだけターニャの体に触れないように、ベッドの端で寝た。
すでに村を掌握しているのはシャルではなかった。ターニャこそが彼のために、村全体を操作していた。
シャルの言葉は一切必要ない。
ただ眠り、起きて、食事を食べさせてもらい、時には散歩もする。
シャルが体力を戻すために村を歩くと、十数人の女性たちが彼に付き従って歩く。
もちろん、隣でシャルの介助をするのはターニャだ。
シャルの体力は少しずつ回復していくのに反して、周りの状況は、ますます不可解なものへと変わっていった。
シャルは精神の衰弱と状況の変化の驚きにより、どうすればよいのかを見失っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
そんなある日の夜。
隣で寝ていたターニャが体を起こす布ずれの音を聞き、シャルは浅い眠りから覚醒した。
「シャル。まだ起きてる?」
「う……うん?」
ぼんやりとした頭で返事をする。
「シャル。あなたをずっと見てきた私にはわかる。あなたには好きな人がいるのね」
シャルの目は驚愕に見開かれる。
これまでターニャには一切エレアのことなど言ったことはなかった。
「なんのことだい?」
「いるのよね。あなたがいくら否定したって、事実は変わらない」
「おかしなことを言うね。今日はどうしたんだい?」
「わたしね。わかったことがあるの。聞いてくれる?」
ターニャは、手探りでランプを付ける。ぼんやりとした光が、一点ばかりを見る彼女の顔を浮かび上がらせる。その表情に、シャルの顔は青ざめていた。
「う、うん……」
拒否などできるわけがなかった。
「あなたに最初に出会ったときのことを覚えている?」
「……森で倒れたところを助けてくれたんだってね。感謝しているよ」
「ううん。感謝なんていいのよ。それよりあの時、シャルは私の体に触れたでしょう?」
「そう、だったかな……」
「あの時私に強い想いみたいなものが流れ込んできたの。ふふ、こんなこと言ったってわからないよね。でも本当なんだ。あなたは強い孤独を感じていて、救いを求めていた。だから私は、あの時、シャルにすべてを捧げるって決めたの。ねえ、受け取ってくれる?」
シャルは、そこで気づく。
そう、彼は絶望の淵に立たされ、もっとも強い願いを持っていた時にターニャに接触した。
彼女はすでに、強烈な方向付けが行われていたのだ。その後いくつもの操作を受けても、最初の方向性だけは変わらなかった。
シャルの孤独を癒す。
そして、彼にすべてを捧げるという方向性だった。
体を起こしたターニャはゆっくりとシャルに近づく。
その姿はいつにもまして薄着であった。
ランプの淡い光に照らし出され、彼女の体の稜線があらわになる。
「大丈夫、安心して。全部私に任せてくれていいから……」
シャルは、衰弱した体を全精力を振り絞り、壁に向かって後ずさる。
「ターニャ! やめてくれ! あれは気の迷いだったんだ! ぼくは! ぼくには! 心を捧げた人がいるんだ!」
「でも、その人には捨てられてしまったのでしょう? シャルは誰のものでもない。ほかにどんな女の子が居たって、私が一番あなたを愛することができる」
ターニャがさらにシャルに近づく。
「違う……!! こんなもの、ぼくが求めた愛なんかではない!!」
シャルは頭を抱え込み、その場にうずくまった。
「シャル……」
「やめてくれ!!」
シャルは腕を振り上げ、ターニャをはねのけた。そしてすぐに、自分のやったことが信じられなくなって、彼女を見た。
「すまない、ターニャ」
シャルの動きが固まる。ターニャの顔には悲しげな表情が浮かんでいた。自分が唯一信奉していた神のような存在からの拒絶。
それは彼女を絶望させるには十分だった。
ターニャに、エレアの姿が重なった。
「うわあああああああああああ!!!」
シャルの力が暴走する。
彼の力と連動するように、村が大きく揺れた。
窓の外から強い光が差し込む。
光は村を包み込み、そして、村に住むあらゆる人間が生命活動を停止した。




