絶望の淵に
その知らせは突然シャルのもとへとやってきた。
長男ラスロの結婚相手に、エレアが選ばれたというのだ。
その知らせを聞いた時、シャルは絶望した。
いてもたってもいられなくなり、彼は父のもとへ駆け出した。
ドアをノックもせず部屋になだれ込み、父に詰め寄った。
「父上、一体どういうおつもりなのですか?」
「なんのことだ?」
「エレアのことです!」
するとクリードラント家当主、ザントの表情が険しくなった。
感情の数値が変化し、怒りと悲しみが増加する。
「その話ならもう決めたことだ」
冷酷な口調が、シャルの心を切り裂いた。
「何故なのです! ラスロの結婚相手は王都の貴族の娘から選ぶと以前から仰っていたじゃありませんか! その言葉を信じていたのに……!!」
ザントの悲しみの数値がさらに上がる。
「お前の言いたいことは分かっている。エレアの結婚相手は自分だと思っていたというのだろう? 確かにお前は三男で、エレアは丁度良い相手だ。本人さえ望めば、その結婚を止める者は誰もいなかっただろう。お前にはすまないと思っている」
「それだけで済むとお思いですか!?」
そこでザントは立ち上がり、机を強くたたいた。
シャルはあまりの怒りにたじろぐ。
かつてこれほどまでに他者から怒りの矛先を向けられたことはなかったからだ。
「私とて心を痛めている。お前は我がクリードラント家の一族において最も大切な存在だ。私やセリカ、兄弟皆がお前を認め慕っている。私もそのことに異論をはさむつもりはない。だが、お前は長男ではない。お前がたとえどんな望みを言おうとも私はかなえてやりたいと思っている。だが、こと結婚というものにおいては、長男でなければならぬ理由がある。クリードラント家とジャーデン家は長男と長女で結びつき、さらなる繁栄を目指さなくてはならないのだ」
そう言い放つザントの表情は威厳に満ちていた。しかしシャルにはわかっていた。その数値から、父には明らかな動揺が見える。何かを隠しているに違いなかった。
「父上の言葉には納得できないところがあります! それに答えていただきたい!」
「理由はすべて話した。お前に言うことなど何もない」
「ナイルズのことですね?」
ザントの表情が変わる。数値が大きく上下する。それはシャルの言葉が正鵠を射たことに他ならない。
「いや、そんなことは……」
ごまかそうとするザントを、シャルは見逃さなかった。
「父上! 本当のことを話してください! でなければ、私は一生父上のことを恨みます!」
この言葉は、シャルにとっての最後の切り札であった。家族の中で最も愛した存在からたたきつけられる言葉に、当主のザントですら耐えられるものではなかった。それほどに、シャルは人の心をとらえ、離さずにおけない力を持っていた。
ザントは諦めたようにうなだれ、椅子に腰を落とした。
「お前の言うとおりだ。原因はすべてナイルズにある」
ザントの声は震えていた。
ナイルズとは、ジャーデン家の次期当主に当たる長男で、クリードラント家の次男、オルデンと同い年だった。
眉目秀麗で、幼いころから社交界に華を添えるという理由だけで王都の貴族に招待されることもあったほどだ。彼は勉学にも秀で試験前でもなければ机に向かう必要もないほどに頭が良かった。時間をかけて必死に知識を蓄え優秀な成績を出すラスロとは対照的だった。
領地に居た頃は真面目なばかりの父に似ず、人と触れ合うことが好きで、領民の言葉にも耳を傾けることから将来を有望視されていた青年だった。
しかし、ナイルズは王都での寮生活を経て変わってしまった。
王都で生活することとなったナイルズは、待ち受けていた貴族たちに取り囲まれるように、連日社交界に駆り出された。彼の成績は急落し、寮に帰ることも少なくなった。
次第に養成学校での評価も下がり始め、学長からも寮長からも厳しい扱いを受けるようになった。
そこからは、坂道を転がるようにして堕落の道を進んだ。
ナイルズは学校へ通うことも、寮に戻ることもなくなった。社交界での彼の需要は依然として高く、貴族の館に入り浸るようになったほか、級友に金を借りては夜の街で金を使い果たした。
そんな生活の矢先、彼は突然、王都から姿を消した。
「ナイルズは先日出奔した。酒場で出会った女と駆け落ちしたそうだが、本当のところはわからない。とにかく、ジャーデン家から長男が消えた。これがどういうことかわかるだろう? ナイルズに弟はおらず、親戚には家を継ぐに足る男はおらん。後はすべて女ばかりだ。はじめはどうにかしてナイルズを連れ戻す予定だったそうだが、見つかることはなかった。お前も知っているとおり、あの家の当主タストンと私は旧知の仲だ。本来であれば我が家の長男と釣り合うものではないが、嫡子の絶えた家は滅びの道を進むのみ。そこで私の家がジャーデン家を守る形となった」
語り終えたザントの顔は沈んでいる。
すべてを知った後でも、シャルは自分を抑えることができなかった。
そんなこと、納得できるわけがなかった。
「エレアは! エレアは何と言っているのです!?」
ザントは悲しげな表情をシャルに向ける。
「はじめは断ったようだが、家の存続にかかわる話ということで、納得したようだ」
「そんな……!!」
シャルは父の部屋を飛び出た。エレアのところへ行って何ができるかもわからない。しかし、彼女から直接話を聞くまでは、信じることなどできようはずもなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
シャルは馬に乗って、大急ぎでエレアのもとへと向かった。
父から与えられた、ほかの兄弟が持つどの馬よりも美しい栗毛の馬だった。
シャルはフランダルに挨拶をすることもなく、馬で直接庭へと向かった。貴族としての礼など、考えている余裕はなかった。
エレアはシャルの考えた通り、ジャーデン家の広大な庭に居た。
屋敷はどこか寂れて、庭の手入れも行き届いておらず、不穏な空気が漂っていた。
父から言われたことが、現実のものとしてシャルの体を脅かそうとしていた。
エレアは身をかがめ、物憂げに庭の花々を眺めていた。シャルの姿に気づくと、彼女は立ち上がり、一瞬表情を輝かせたが、すぐに悲しげなものへと変わった。
悲しみの数値は上限まで高まっており、今にも破裂せんばかりだった。シャルは彼女のそんな感情を見たくなかった。見ないようにするために、彼女にすべてを捧げると決めたはずだった。
「シャル……」
今にも消えかかりそうな声でエレアが言う。
「話は父から聞きました。ほんとうにエレアはラスロと一緒になるつもりなんですか?」
シャルは矢継ぎ早にエレアに詰め寄った。
エレアは、痛みにうち震えるように、シャルから目をそらした。
「何故だ! どうして何も言ってくれないんだ!!」
「シャル……これは仕方のないことなのよ……」
「仕方ない!? 仕方ないなんてことはない! これまで言ってこなかったけれど、ぼくは心から君を愛しているんだ!! 君も同じ気持ちのはずだ!!」
エレアの心がラスロにではなく、シャルに傾いていることは、彼が一番よく知っていた。エレアは一度自分の決めたことを曲げることなどありえない。だからこそ、シャルはエレアを愛していたのだ。
「ええ、私も同じ気持ちよ。そんなこと、決まっているじゃない。でもこれは、お父様が決めたことなの。ジャーデン家に生まれた以上、お父様の言葉に逆らうわけにはいかないわ。それに、私にこの話をするときのお父様は、悲しい顔をなさってた。ほんとうはこんなことしたくはなかったはずなの。お父様だって心を痛めている」
「心を痛めているからなんだって言うんだ。ぼくらが離ればなれになる事実は変わらないじゃないか!! そうだ! 一緒に逃げよう。ぼくたち二人だけでどこか遠くに行くんだ。家のことあんて関係ないじゃないか。二人が愛し合っているなら、それで十分じゃないか」
「シャル……そんなこと言わないで」
その時、シャルはエレアを諭すような表情と、感情のパラメーターを見て悟った。エレアはもうすべてをあきらめている。シャルが何を言おうとも、彼女は自分を犠牲にしてでも、家の存続のために尽くすつもりだ。
シャルはなおも言いつのろうとしたが、エレアの顔を見ていると、それもできなかった。これ以上いくら言葉を重ねても、彼女の覚悟の前では何の意味もないということを理解していたからだ。
シャルは踵を返し、走り出した。彼の背に向かって、
「シャル!!」
と呼ぶエレアの言葉が響いた。




