襲撃
シャルは、領地に帰った後、彼はすぐにエレアのもとに出向き、二人で出かける約束を取り付けた。
面接は高評価だと確信できたし、寮に入るにはまだしばらく時間があった。彼はその前に、エレアとの思い出を作っておきたかった。
積み上げてきた信頼のおかげで、エレアの母親は快く了承してくれ、エレア本人も笑顔で受けた。
シャルは有頂天になって、その日から眠れない日々を過ごしたが、彼の心には、ひとつだけ引っかかることがあった。
もちろんそれは、王都でのあの出来事だ。
シャルは確かに王都のごろつきに肩を掴まれ、路地の奥まで連れていかれた。路地の薄暗い光景やすえた匂い、そして囲まれたときの恐ろしさが今でも鮮明に焼きついていた。
あんな目にあったのに、なぜ体に傷ひとつついていないんだ? 上手く逃げおおせたとして、どうして何も覚えていないんだ?
わからない。
あの大男が僕の顔を殴ろうとして……だめだ、思い出せない。やはり幻覚だったのだろうか……勉強でどんなに疲れても、そのようなものを見たことがなかったのに……
そんなことをぐるぐると考え続けていた。
シャルはエレアへの思いと王都で見た光景のなかで引き裂かれる思いだった。
とはいえ、旅行の前日ともなると楽しみの方が勝った。
シャルは心地よい疲労のなかでようやくやってきた幸せな時間を待ち望みながら眠りについた。
今は忘れよう。幻覚だろうがそうでなかろうが、僕は生きて、エレアと話すことができる。それで十分じゃないか。
心配なんかする必要はない。今はただ、エレアとの旅行を楽しむことだけを考えればいいんだ。
その夜、シャルは夢を見た。
悪い夢だった。
真っ暗で何もない場所に彼は立っている。
少し離れたところにエレアがいた。暗闇には何もなく、彼女だけがぼんやりと光っている。
シャルはエレアに駆け寄る。
その異常な光景から、シャルは自分が夢を見ていると思った。
シャルはエレアに近づくにつれ、彼女が不安そうな顔をしていることに気づく。彼がエレアの前に立ってもその表情は変わらなかった。
ふと、自分の手を見てみると、ナイフが握られている。
どういうことだ?
シャルは不思議に思う。
手放そうとしても、体が自由に動かせない。
すると、体が勝手に動いた。
シャルはナイフを手に持ったまま、エレアに近づく、エレアは不安げな表情を崩さない。
シャルはナイフを振り上げる。
止めようと思った。
どうして自分がエレアを傷つけなければならないのか。
彼は怖くなって叫ぶ。
――と、そこで、彼は目を覚ました。
恐ろしい夢だ。
シャルはびっしょりと汗をかいていた。
夢で良かったと心から思った。
あまりにも不吉な内容に、彼は不安になったが、それでも、約束を破るわけにはいかない。
シャルは手早く準備をして、クリードランド家の御者とともに、馬車でエレアのもとへ向かった。
夢の光景がなかなか頭から離れなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
二人の旅先は、領地から離れた町だった。
エレアは歴史に興味を持っており、歴史的建造物のある町、トレストを旅の目的地に選んだ。
本来のシャルであれば、ともに王都に行こうと言い出しただろう。二人で王都を歩くという夢は、それほど彼にとって重要だった。
だが、その場所は、エレアがかねてより観光を望んでおり、シャルにもよく話をしていた。
なんでも、歴史ある教会があるらしい。シャルはそんなものにまったく興味がなかったが、エレアが言うのであれば仕方がない。それに、王都からしばらく離れていたいという気持ちもあった。
場所などはどうでもいい。この旅が終われば、しばらくエレアと旅行ができなくなるのだ。彼女とともに過ごせるのであれば、たとえ地獄だってかまわない。シャルはそう思っていた。
シャルはいつもより饒舌にエレアに話しかけ、エレアも笑顔で聞いていた。さすがのエレアもパラメーターが変動している。これからの旅を本当に楽しみにしているのだろう。シャルにはそれが嬉しかった。
馬車には二人で乗っていたが、今回の旅は二人きりというわけではない。御者がいるのはもちろん、二人の母であるセリカとユニファが後方から同じ町に向かっている。
シャルはそれでも、この二人きりの時間を、とても大切に思っていた。
「僕はあまり詳しくないのですが、エレアが見たいという教会にはいったい何があるというのですか?」
「そうね。教会自体に何かあるというわけではないのだけれど、聖者と呼ばれるアレキオス様が生まれ、長く過ごした場所として有名ね」
「名前だけは知っていますが、詳しくは知らないですね」
「本人の清貧さ、高潔さはもちろんだけれど、王都を作り上げた初代ファルス王と親交が深く、現在の教会組織を作り上げた偉大なお人よ。私たちが学ぶ歴史では、王都のすべてはファルス王が作り上げたと教えられるし、事実その通りなのだけれど、このアレキオス様も私たちの現在に大きな影響を与えているの」
「なるほど。幼い頃に聖書は読まされましたが……記憶が曖昧です」
「私は幼いころからアレキオス様の伝記を何度も読んでいるの。もともとは貧しい家の出で、生まれた町も栄えていなかったようだけれど、王都成立以降に、その町の教会が改築されて、聖者が生まれた土地として、記念碑が建てられているの」
「さすがエレア。ファルス王の話はそりゃあ僕も読まされましたし、家庭教師からも教わりましたけれど、教会の歴史なんて少し触れられるだけでしたよ」
「私が心配しているのは、行き先を私が決めてしまってよかったのかってことよ。シャルは退屈じゃないの?」
「そんなことあるもんですか! 僕はエレアが行きたいという場所なら、どんなところだってお供しますよ」
「ふふ、ありがとう。でも残念ね。あと少しで王都に行ってしまうのでしょう? 私はお友だちが少ないから話し相手がいなくなってしまう」
「僕も心苦しく思っています。ですが、三年なんてすぐですよ。僕が一回り大きくなって帰ってくるのを楽しみにしていてください」
「そうね。私もあなたに負けないような、立派な淑女になっておかなくちゃ」
「エレアは、その、もう立派な淑女ですよ」
「まあ、持ち上げちゃって」
「本当のことです」
その時、馬車が急に止まった。
何事かと思い、シャルが窓の外を見ようとすると、
「止まれ、変な真似をするんじゃねえ」
と野太い声が響き渡った。
馬車の扉が勢いよく開かれる。
そこには――
「へえ、どこかのご令嬢さんかい? こりゃいいや、楽しめそうだ」
王都でシャルを路地裏に連れ込んだ少年、グストフだった。
どうしてこんなところに?
シャルが考える間もなく、彼は馬車のは外に放り出され、王都で彼を殴りかかろうとした大柄の少年、ランダに体を拘束された。
グストフは嫌がるエレアの手をつかみ、馬車に押し込もうとしている。
「やめなさい! こんなことをしてはいけないわ!」
「エレア!!」
シャルが叫ぶ。御者はすでに数人の少年たちに羽交い絞めにされ、ロープを巻かれていた。
どの少年も見覚えがある。間違いなく、シャルが王都で出会った者たちだった。
御者は目隠しをされ、ひどく殴られぐったりとしていた。
「どうしてこんなことをするんだ!!」
シャルは再び叫ぶ。
「おお、元気なこって、しかし、あんたどこかで会ったことがある気がするな……まあいいや。あんたら二人、この辺の領主の子供かなんかだろう? いい金になりそうだ」
「こんなことをしてただで済むと思うなよ。もうすぐこちらに僕らの家族が向かっているんだ!!」
シャルはなおも叫ぶが、ランダから口元を恐ろしい力でつかまれる。
「黙れ」
シャルは体の痛みにおびえ、それで黙ってしまった。
「シャルの言う通りです。私たちが持っているお金ならば差し上げます。今ならまだ間に合います。お願いだから私たちを離して!」
気丈にふるまうエレアのパラメーターは、痛ましく震えていた。怯える心を必死に抑えている彼女に、シャルは尊敬の念を覚えざるを得なかった。
「お嬢様にしちゃ威勢がいいねえ。あれかい? 王都の貴族令嬢よりも芯がしっかりしてるってわけかい。いいねえ、ますますあんたが欲しくなった」
グストフの言葉に怒りが沸き上がる。恐れではなく、シャルの体は怒りで震えた。シャルはその勢いでランダの手にかみついた。
「いてえ!」
シャルは地面に放り出される。
「シャル!!」
エレアが叫ぶ。
シャルはランダから距離を取り、ごろつきどもと向き合う。
「エレアに触れるな」
「シャル!! あなただけでも逃げて!!」
「おうおう、ここにきてまだ自分が無事で済むと思っていらっしゃる。泣けてくるねえ」
グストフが薄笑いを浮かべている。
「エレアを傷つける奴は、僕が許さない」
「へえ……どうするってんだい?」
少年たちがにやにやしながらシャルを取り囲み、じわじわと近づいてくる。
「シャル! ダメ!!」
「あんたは静かにしてな!」
「きゃ!!」
グストフに腕を強くつかまれ、エレアが悲鳴を上げる。そんな声をシャルは聞いたことがなかった。
「やれ!」
グストフが言うと同時に、少年たちがシャルに襲い掛かった。
グストフはシャルの方を見ようともせず、エレアを再び馬車に押し込んだ。
エレアはシャルの名を呼び続けていた。
その時のシャルは、怒りに我を忘れ、逃げることなど考えもしなかった。彼はエレアを救いたかった。救わなくてはならなかった。だとえそれが無理だとしても、彼は立ち向かわなければならなかった。
エレアを助ける。ただそのことだけを考えていた。
「ごあ!?」
苦しむ声が上がる。だがそれは、シャルのものではなかった。
シャルに近づいたランダが、その掌で自分の首を絞めていた。
取り囲んでいた少年たちに動揺が広がる。
ランダは、自分の首から手を離すと、右腕で自分の顔を殴りつける。
「おい、ランダ! 何やってんだよ!」
少年たちはおびえた表情を見せた。
そこに、シャルが近づく。
「パラメーターにはこんな使い方もあったんだね。知らなかったよ」
隠されたもう一つの力が発現した瞬間だった。
シャルはこれまで人の持つ感情を数値の変動としてとらえていた。そして今、彼がやっているのは相手の体に触れることでパラメーターの数値を弄り、感情を支配することだった。
感情を支配されたものは思考に空白が生まれる。
その空白にシャルが方向性を与えると――
人は彼の意のままに動く。
シャルは近くの一人の少年の体に手を触れる。すると相手は白目になって、自分から盛大に転び、頭を打ち付けた。
「うわあああああ!!」
理解不能な状況に、一人の少年が叫ぶ。しかし気づくのが遅すぎた。シャルに触れられると彼はもう一人の仲間に殴り掛かり、壮絶な殴り合いを始めた。
「おい、騒がしいぞ」
馬車の扉から顔をのぞかせたグストフに、シャルはこぶしを見舞った。
こぶしが触れた瞬間にまるで電池が切れたようにグストフは地面に崩れ落ちた。
「エレア! 無事ですか!?」
何事もなかったようにシャルはエレアを気遣う言葉をかけた。
エレアは服の一部を破かれ、泣きそうになっていた。
「シャル……どうして?」
「僕の力で何とかなりました。苦戦しましたが、運が良かった」
「シャル!!」
エレアがシャルに抱き着く。
その時、シャルは、エレアのパラメーターが大きく変動し、彼に対する大きな感情が生まれているのを見た。
シャルはこのことに、とても満足していた。




