深窓の令嬢
「エレア!!」
シャルは庭園に佇むエレアに向かって声をかけながら駆け寄った。
エレアは優雅な動きで振り向く。
それはシャルに毎回新しい感動を与えた。
彼はいつも思う。
もしも天使というものが存在するとするならば、きっと彼女のような姿をしているのだろう。
華美な服を着ているのではない。落ち着いた色のドレスは、彼女を取り巻く白い花々と見事ごとに調和し、彼女のために周囲のすべてが存在するかのような印象を彼に与えた。
エレアの美しさは、単にその整った顔であるとか、スタイルの良さではなかった。
彼女の纏った雰囲気そのものであり、彼女が存在するだけで、周囲のあらゆるものが落ち着き、平穏になり調和しはじめる。
散乱した色彩が彼女を中心としてまとまり、本来の魅力を発揮するかのようだった。
そして、シャルにとっては何より、エレアの美しいパラメーターに目を引かれていた。
「シャル、いらっしゃい」
「うん、今日も来たよ」
「私のところに来たって面白いことなんてないでしょうに」
「そんなことないよ」
シャルは言葉に詰まる。
彼女の頭上に表示される帯は、どのような状況にあっても決して振り切れることはない。
それは完全といっても良かった。
怒りも不快も彼女には存在せず、かといって、喜びは抑えられ、すべては完璧な形で調整されていた。
似た形は、シャルの母でも見たことはある。
シャルの母は長年培ってきた経験と自制心により、自己を完全に制御下に置いていた。
だが、エレアは違う。彼女は考えずとも、自分の心をわざわざ制御せずとも、自己を手中に収め、安定させることを可能としていたのだ。
それは未だかつてシャルが出会ったことのない、驚異的な才能の持ち主だった。
シャルはエレアと会うたびに、そのあまりにも完璧で洗練されたパラメーターに心を奪われる。彼女の精神を侵すことなど、誰にもできるはずがないと断言することができた。
「あなたのお父様はどうしていらっしゃる?」
「うちの父ですか? 元気にやっていますよ。領主としての仕事は現地の者に任せていますし、馬に乗ったり、狩りばかりやっています。王都にたまに行くことはりますが、普段は酒ばかり飲んでいるようです。それで、母から小言を言われることもありますが、それくらいですね。優雅なものです」
エレアはクスリと笑った。
その笑顔に、シャルは救われる。父の話はいつもエレアを喜ばせるとても良い話題だった。
だが、シャルはその理由をはかりかねていた。怠惰な父の話を聞いて、一体何が楽しいのだろう?
パラメーターが変動しにくく、数値の動きが読めない彼女のことを把握することはできなかった。
「なにもないということは、良いことですよ。また、お会いしたいわ」
「そこなんですよ。あれだけ遊んでいるのなら、こちらにも顔を見せたらいいものを。今度言っておきますね」
「いえ、いいのよ。領主という者は、周りの者を引き連れて、遊びに行くのもまた一つの仕事なのですから」
すると、エレアの数値にブレが生じる。エレアにはめずらしい動きで、シャルは心配する。
「どうかなさったのですか?」
すかさずシャルは声をかける。ほかの人間には、このようなことはしない。人の心をあまり読みすぎてしまえば、相手に警戒心を与えることになるからだ。
しかし、エレアに関しては例外だった。
彼はエレアのわずかな感情の動きにも敏感で、声をかけずにはいられなかった。たとえ、彼女に疑念を与えることになろうとも、やめることはできなかった。
「あら、顔に出ていた? シャルに嘘はつけないわね」
「いえ、僕の勘違いかもしれませんが、気になったもので」
エレアは薄く笑顔を作り、シャルを安心させようとする。
シャルにはそれが我慢ならなかった。彼はエレアに頼ってほしかった。どんな些細なことでも、自分に相談してほしかった。
「ただね。あなたのお父様がうらやましくなったの。こんなこと、思ってはいけないことだけれど」
「どういうことですか?」
シャルはすがるように聞く。
こんな時、エレアの気持ちがくみ取れない自分の無力さを呪う。普段はどんなことでも先読みできる彼だからこそ、それを強く感じた。
「私のお父様はね。この領主という仕事に、とても苦労されているの」
「そうなんですか? 確かに、よくこちらにお邪魔していますが、お会いできたことはほとんどないですし、お忙しいとは思っていましたが」
「私のような子供が口を出すことではないけれど、王都は怖いところよ。私のお父様は真面目すぎるがあまりに王都の貴族の方々のお願いをなんでも聞いて、いつも振り回されている」
「頼りにされているということでしょう」
「そうではないわ。私自身も、あなたも、貴族という立場ではあるけれど、地方の領主と王都の貴族では、そもそも立場が違っているの。私たちは、領民と触れ合う機会も作ることができる。けれど、王都の貴族はそうではないの。こちらの生活がどんなものかもわかっていなし、地方領主のことを自分たちの小間使いか何かだと思っている」
エレアの強い言葉にシャルは驚く。しかしパラメータには変化がない。エレアは淡々と、自分の父のことについて語っていた。
それは、感情的なものではなく、繰り返し考えた結果出した結論を言っているに過ぎないからだ。
「あなたのお父様は、うまくやられているわ。王都でお酒を飲んでいるのも、信頼のおける貴族の方と関係性を作り、余計なお願いを受けないようにしているはず。お屋敷に戻って遊んでいるように見えても、領民と話す機会を作っているのだと思うわ」
「そうなんですかねえ。僕にはそのようには見えませんでしたが、だらしない父ですよ。もちろん尊敬はしていますが、あなたが言うような人物ではない気がします」
シャルが言うと、エレアは表情をほころばせた。
「フフ、そうね。私の考えすぎかもしれないわね。ごめんなさい。最近、本ばかり読みすぎて、何でもかんでも難しく考えるようになってしまっているの。あなたが来てくれてよかったわ。今日は庭の手入れをするのだけれど、手伝ってくださる?」
パラメータがようやく動き出し、シャルは安心した。
「ええ、喜んで!」
「お礼はできないけれど」
「必要ないですよ。あなたとお話しできることが、僕にとって一番うれしいのです」
「あら、そんなこと言って、冗談よ。後で一緒にお菓子を食べましょう。お父様が王都から買ってきたおいしいお菓子があるの。後は紅茶もね」
「ありがとうございます!」
シャルは幸せに満ち溢れていたが、後年、この日のことを思い出すことになる。
エレアは若年ながら自らの家のことを推察できるほどに早熟であり、聡明であった。
二人の見ているものは明らかに違っており、エレアはシャルのことを可愛らしい弟のように見てはいたが、それ以上のものに考えてはいなかった。
であればこそ、シャルはエレアに惹かれたのかもしれない。
シャルは手に入らないものを欲しがる子どもでしかなかった。
数値に現れないエレアの心情など理解しようとせず、ただ、自らの望むものはいつか絶対に手に入るという確信だけを頼りに、彼女の幻影を追いかけていた。
そんなシャルの思い上がりは、一つの事件を引き起こすことになる。




