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補修人、相良修司は蚊帳の外  作者: 久慈望
第四話 洗脳
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感情パラメーター

 シャルが自分の力を認識したのは十二歳の時だった。


 彼は地方領主クリードラント家の三男として生まれた。優秀な兄二人の姿に隠れるようにして、彼はのびのびと成長した。


 長男ラスロは勉学に、次男オルデンは武芸に優れていたが、三男の彼は特筆すべき特性を持ってはいなかった。にもかかわらず、彼は兄弟の誰よりも大切にされていた。


 シャルは両親だけでなく、兄弟からも好かれ、さらには使用人からも愛されていた。


 何の不自由もない平穏な生活を送るなかで、彼はついに自分の力に気づく。


 自分は他人と違ったものが見えているのではないだろうか?


 それが、十二歳の誕生日のことだった。


 シャルはほかの兄弟と明らかに扱いが違う。その証拠に他の兄弟が求めるものを、彼だけが与えられるのだ。


 ラスロが欲しがる本であったり、オルデンが欲しがる練習用の剣が、三男の彼だけには無条件に与えられるのだ。さらには、兄二人が必死になって良い成績を上げてようやく手に入れた自分用の馬まで彼は何の苦労もなく与えられることとなった。


 さらにおかしなことに、どの兄弟も、シャルに不平を言わないのだ。


 自分がもしも、兄だったら、絶対にそんなこと許さない。十二歳になり、物の分別がつくようになったシャルは、他人を自分を置き換えて考えることができるようになっていた。


 実際、兄二人はよく喧嘩をしていた。


 ラスロに買い与えられた馬具がうらやましくてオルデンが言いがかりをつけたり、逆に勉学に関してオルデンに甘くしすぎているとラスロが母親に文句を言うことがあった。


 だが、そんな争いはシャルとほかの兄弟の間で一切起こらない。


 シャルはいつでも欲しいものが買い与えられ、勉学に関しても怒られたことなどなかった。


 兄たちや両親だけではない。彼を教える家庭教師や剣術教師までもが、彼に対して厳しい言葉を使ったことがなかった。


 何故、自分はこんなにも特別扱いされるのだろう?


 疑問を持ったシャルは、以来、周囲を観察し、自分と他人の違いを考えるようになった。


 しばらくして、彼は一つの答えにたどり着いた。


 誰も、人の「感情」を見ることができないのではないか。


 シャルが物心ついたときから見えていたもの。


 それが“パラメーター”であった。


 感情は数字と帯によって表される。


 シャルの目には、相手の頭の周囲に、感情を表す数値と、それに対応する色付きの帯が複数本表示されていた。彼は物心ついたときには数値と帯と認識し、その仕組みと意味を理解していた。


 感情は複数の数値の総合だ。


 怒りは赤、喜びは黄、悲しみは青、安らぎは緑、それらが帯として表示される。短ければ短いほど感情が動いていないことがわかり、長ければ長いほど感情が高まっていることがわかる。


 シャルはそれを“パラメーター”と呼んだ。


 理由はわからない。


 色とりどりの帯を見た時に、その言葉がふと頭に浮かんだ、という以上の理由を持たなかった。


 パラメーターはあらゆる人間に存在し、シャルはそれを見ながら対話するのであった。


 シャルの力は、例えばこのように発揮される。


 ある日のこと、新人のメイドが廊下で掃除をしているところをシャルが通りかかった。


 新人の名前はルアン。


 厳しい表情で必死に床を磨いており、見るからに疲れ果てている。


 シャルは彼女の数値を見て、感情を把握する。


 青が高く、安らぎが低い、喜びもなければ怒りもない。不安に押しつぶされている様子がすぐにわかる。


「ルアンだっけ? 仕事にはもう慣れた?」


 ルアンはびくっと体をはねさせて、掃除の手を止める。彼女は明らかに怯えていた。


「シャル様!! えっと、はい! まだうまくできてはいませんが、勉強させていただいています!」


「ここはエマが厳しいから大変なんだよね。怒られてもあんまり気にすることはないよ」


 エマの名前を出したことで、数値が変動する。エマはクリードランド家の屋敷のメイド長だ。


「いえ、そんな、メイド長は私のためを思ってくれているので、私が仕事ができてないだけなんです」


「いや、そうでもないよ。前に病気で休んだメイドの代わりに来た人がいたんだけどね。その人が言ってたのは、他のところ比べても厳しいんだってさ」


 そこで、ルアンの緑が大きく伸びる。


 自分が叱られるのは、能力が無いからではなく、エマが厳しすぎるだけなのだ。そんな彼女の声が、帯と数値を通して、彼女から漏れ出てくるようだった。


「ルアン! なに手を止めているの!」


 そこにエマが現れる。


 彼女はいつも厳しくメイドたちを叱る。


 エマの職業意識の高さの表れであったが、それが新人を怯えさせ心の余裕を奪っていた。


 クリードラント家の人々は、彼女に全幅の信頼を置き、新人教育を一任していた。事実、エマが屋敷のほとんどを取り仕切っており、彼女の言うことが、すなわち同家の決まりと言ってよかった。


 しかし、そのあまりの厳しさに新人メイドは耐えられず、すぐに辞めてしまうことも多かった。


 しかしその分、エマの言葉に耐えたものは、長く働き続けるわけだが……


「申し訳ございません!」


「僕が話しかけたんだよ。だから許してあげて」


 シャルはエマをなだめようとする。


「しかしシャル様、この娘は放っておくとすぐに手を抜くんです。甘くするわけにはまいりません」


 エマの怒りの帯が伸びている。だがそこに、シャルには悲しみがあることを知っている。


 彼女も本当は怒ってばかりいたくないのだ。


 だがそれは、仕事に対する真面目さから、強く自分を律している。


「まあまあ、そんな怖い顔をしないで」


 シャルは優しく声をかける。彼女もまた、労いの言葉を求めていたのだった。


「申し訳ありません。ですが……」


 パラメーターが変動する。シャルはそこですかさず、


「でも、そうやってエマが厳しく言ってくれているから、家の使用人はとても優秀だって、お父様も言っていたよ」


 と言ってやる。嘘ではない。父が言っていたことを伝える。


 すると大きく数値が変動する。


「そんな、ご主人が!? 私などは……」


 パラメーターが揺れている。


 仕事を肯定されること。それこそが彼女に生きがいを与えていた。


「うん。だから僕はもう邪魔しないから、ルアンもエマも仕事に戻っていいよ」


「そうですか? ルアン、掃除残しがないようにね。ではシャル様、わたしも見回りがありますので」


「うん」


 エマが下がった後、掃除を始めたルアンに、


「エマも案外優しいところがあるんだよ。でもそれを表に出すことがなくてね。もしもきつかったら、僕に行ってくれたら何とかするよ」


 ルアンは目を輝かせた。


 数値が変動し、喜びが高まる。きっと、働き始めて誰からも優しい言葉をかけられなかったのだろう。はじめはそんなものだが、その期間が一番つらいことをシャルは知っている。


「ありがとうございます! がんばります!」


「がんばってね!」


 シャルはその場から去っていく。ルアンに背を向ける前に、彼は頭の帯を見た。先ほどよりもバランスが取れ調和が保たれていた。


 彼はこうした日頃の積み重ねで、屋敷中の人間から愛されていた。ただ、彼はこれが当たり前のことだと思っていたのだ。


 兄弟たちや両親が喧嘩しているのを見て、ずっと疑問だったことに、彼はようやく答えを見つけ、自分に備わった力を認識した。


 彼にとって人の数値を見ながら行動することは当たり前のことで、それにより、かれは愛を得て、現状に満足していた。


 シャルは常に愛を求めていた。それがあれば他になにもいらないとさえ思っていた。


 それから数年は、何事もなく過ぎていった。


 シャルは屋敷で最も愛される存在であり続け、家庭教師や、剣術の師からも特別扱いされ続けた。


 彼は完全に満たされた存在であった。

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