魔術師、トカゲ、元魔王
意識が浮上する。
わたしはベッドに寝かされている。
目を開けて、それだけを理解した。
体が痛い。
処置よりはましだけれど、体を動かすことはできない。
窓から日差しが漏れている。
長い間、眠っていたのかもしれない。
「目を覚ましたか」
声がする。スララギの声だ。
「どうしてわたしは生きているの?」
首を動かせなくて、天井を見たまま言う。
長い沈黙。
わたしはスララギの言葉を待っている。
「私は結局、君を殺すことができなかった」
「どうして? わたしの身体が特殊だから?」
「いや、どのような強い固定化がなされていても、魔素であるのなら拘束も分解も可能だ。外傷を与えられたのならなおさらだ。しかし、それでも、私は君を殺せなかった」
「わたしはあなたの大切な人を殺したのよ」
「分かっている。私は今でも迷っている。だが、あの人が、私の行動をためらわせている。敵意のないものに手を下してよいものだろうかとね」
「わたしにはその気持ちはわからない。憎んでいるのなら殺せばいいのよ」
「今の君は、むやみに人を殺したりはしない。話を聞く限り、生まれ変わったことで、君の行動原理は変化している。私は魔物を殺すことに躊躇はしないが、意志を持つ相手をむやみに殺せない」
「難儀なものね」
「ああ、しかしそれが、人というものだ」
「人間ってやっぱりわからない」
「そうだろうな」
そして、スララギは背を向ける。
「目を覚ましたのなら、私がここにいる必要もないな」
そして部屋を出ていく。
扉を開けると、ガサガサと床をこする音がした。
たぶんゴアルガスだろう。
「ああ、そうだった。行っていいぞ」
スララギが扉を閉めると同時に、ベッドにゴアルガスが登ってきた。
「メリル様!! ご無事っすか!?」
「あんまり無事じゃないかも」
頭のすぐ近くからゴアルガスの声がする。
少しうるさい。
「あいつ!! なんてことをしてくれたんだ!! おれがもし元の身体だったら、やってやったんすけどね!!」
「ゴアルガス」
わたしは名前を呼ぶ。
「少し休ませて」
「でもメリル様!! こんなところからは早く逃げ出した方が良いっすよ!! 今は生かされてますけど、これからどんな目にあわされるか」
「うん。でも、たぶんしばらくは何もされないと思う」
「どうしてわかるんすか!?」
「なんとなくね。だからいまは寝させて」
まぶたが重くなってくる。意識が遠のいていく。
「メリル様……」
「もし何か起きたら、ゴアルガスだけでも逃げていいよ」
「そんなことできませんって」
ゴアルガスの大声を聞きながら、わたしは再び深い眠りへと落ちていった。
◆ ◆ ◆ ◆
目が開く。
まどろみとともに、体の魔素の流れを確かめる。
氷の刃に貫かれた体は再生していて、不具合は発生していない。
体を起こして隣を見ると、トカゲが寝息を立てていた。
色々なことがあって疲れたのだろう。
わたしはゴアルガスの頭をなでて、起こさないように慎重にベッドを降りた。
さて、これからどうしたものだろう。
スララギはわたしを殺すつもりはないらしい。殺すつもりなら、わたしが寝ている間にどうにでもできたはずだ。
わたしは部屋を出る。
するとそこには……
「そろそろだと思っていたよ」
スララギが皿を持って立っていた。彼女の周りには紙がいくつも浮遊していた。
「わ! びっくりした」
「朝食だよ。君も食べるかい?」
そう言って、スララギがわたしに皿を差し出す。
そこには焼いたパンの上に干し肉が載せられていた。
「うん……」
適当に答える。
「さあ座って」
スララギに言われた通り、椅子に座る。
ぼんやりとした頭のまま待っていると、スララギは浮遊させた紙の束を机に積み、空いた場所に皿と水の入ったコップが置いて向かいの椅子に座った。
「どうぞ、味付けに自信はないが、物は確かなはずだ」
ゴアルガスが居たらまた何か言うだろうな、と考えながら口に運ぶ。
「おいしい」
わたしの食べたことのない味だ。舌をつく刺激を新鮮に味わう。
スララギはそれを眺めている。
「どうしたの?」
わたしは聞く。
「いや、人ならざるものも私と同じように食べるのだなと思って」
「うーん。外側は生き物に見えるけど、実際はそうじゃないからよくわかんないな。でも味はわかる」
「それは良かった」
「メリル様! 何考えてんすか! こんなとこさっさと出ていきましょうよ!!」
大声とともにドタバタとゴアルガスが現れる。
「ゴアルガス、起きたんだ。おはよう」
「おはようございます。なんて言ってる場合じゃないでしょうよ!! この人間はメリル様を殺そうとした女っすよ! こんなところにいる必要はないじゃないっすか!」
「君にはこれをあげよう」
スララギが小皿を浮かし、ゴアルガスの前に置く。そこには野菜や果物が入っていた。
「なんのつもりだ!」
と言いつつ、ゴアルガスの目は小皿に注がれている。
「トカゲの種類には詳しくないんだが、野菜は食べるのかな? 虫の方が良かったりするんだろうか」
ゴアルガスはしばらくじっとしていたが、
「だめだ! 我慢ならねえ!」
とがつがつと食べ始めた。
どうやらよほどお腹が減っていたらしい。
「君には言わなければならないことがある」
スララギはわたしを見ていた。何かを掴むように指を動かす。するとそこには、鏡が現れた。
「鏡?」
表面がわたしの顔を映し出している。
わたしは生まれ変わって初めて自分の顔を見た。かつて魔王城で見たものと変わりなくて、正直がっかりした。
角も生えてなかったし。
「あっ」
よく見ると、首のところに違和感がある。
首を一周するように、紋様が刻まれている。
「すまないね。私も人間として、君という存在をそのままにしておくわけにはいかなかった。その紋様が刻まれている限り、君は人に手を出すことができない。仮に私を殺しても効果は消えないからそのつもりで」
「手を出すとどうなるの?」
「とても苦しむことになるだろうね。それは死よりも辛い痛みかもしれない」
「おい人間! 今なんの話してんだ! メリル様に何かしようとしてんじゃないだろうな!」
下の方から声がする。どうやら食事を終えたらしい。
「ゴアルガス。ちょっと静かにしてて」
わたしが言うと、いやそうな顔をして黙った。
「でもあなたの力でわたしを止められるものなの? わたしが本気を出したら意味がなさそうなものだけれど」
「体が変化するってことか。あれは実際、君の制御下にあるのか? 自由自在に出せるのなら、初めからあの姿になっているのだと思うが」
するどい。まったくその通りだ。
「……正直自分でも上手く扱えない。わたしは、あの姿になるのが怖いの。何もかもわからなくなってしまう」
「そうだろうな。魔素の動きが歪で、意志の存在も感じられなかった。感情を暴走させて、無理やり力を引き出すような感じだ。本人の意志というよりは、他人の介入を感じるね」
わたしの頭に“お母さま”の顔が浮かんだ。
「出来たら、もうあの姿にはなりたくない。自分じゃなくなるし、終わった後体も痛くなる」
「ふむ……」
そこで、スララギは黙った。
わたしも言うとことがないので黙っていると、
「では、提案なんだが、しばらく私の弟子になってみるか?」
ととんでもないことを言う。
「なに言ってんだよ! なるわけねえだろ!」
「ゴアルガス」
「メリル様……」
「どういうことなの?」
わたしはスララギを見据えた。
「私は人間だから魔物のことはよくわからない。考え方や文化も知らない。だが、魔素の流れについては誰よりも通じている自負がある。力の使い方や制御の仕方もな」
「あなたがわたしに魔素の使い方を教えてくれるってこと? 人間が? わたしに?」
「そうだ。力さえ制御できるのなら、姿の変化も抑えられるはずだ」
「どうしてわたしにそこまでするの?」
「特に理由はないさ。ただ、ここで生活するのなら、あの姿になられると困るからな」
沈黙が訪れる。
わたしはいろいろなことを考える。
「弟子ってのはよくわからないし、なる気もないけど、教えてくれるのならあんたの言うことに従う」
カカカ、という音がするのでゴアルガスの方を見てみると、絶望的な顔をしていた。




