二人の因縁
森の奥には二階建ての家が建っていた。
建物の前は広く切り開かれていて、ここに長く住んでいることを感じさせた。
これが人の住む家というやつか。小さいな。
などと感心していると、ゴアルガスが前に出てやたらときょろきょろしている。
「どうしたの?」
わたしは聞く。
「いやだから罠がないかどうかを確かめてるんすよ」
「でもそこ、人間が通ったよ」
「分かんないでしょうよ。魔術師なら浮いたり何とでもできるはずです」
「気にし過ぎだってば」
ゴアルガスの横を通り過ぎ、魔術師に追いつこうとする。
「ちょっと!! メリル様!!」
はじめは小さいと思っていた家は、近づいてみるとまあまあ大きかった。
「客が来るというのも久しぶりだな。もてなしできないが、許してほしい」
魔術師はそう言うと、扉を開けてわたしを家に招いた。
なかは魔術による明かりがついている。
物が整然と並べられていて、とてもきっちりしているのだけれど、どこか淀んでいるようにも感じられた。
「普段であればもっと散らかっているのだけどね。ここ最近は部屋ばかり綺麗になっていく。この年になって気づいたのだが、私は気が落ち着かなくなると、掃除ばかりしてしまうらしい」
ひとりごとのように言って、部屋の奥へと歩いていく。
「ああ、そこの椅子に座っていてくれ、何か飲み物を出そう」
魔術師に言われて、わたしは椅子に座る。
後ろからついてきたゴアルガスは、わたしの隣の椅子に上り、机の上に頭だけ出している。
それにしても不思議なものだ。
わたしは人間というものが、群れて住むものだと聞いていた。魔術師は自分から進んで一人で住んでいるのだろうか。
だとしたら変わり者なのかもしれない。
「メリル様、あいつ、飲み物とか言ってましたよね」
ゴアルガスが言う。
「うん。言ってたよ。人間の飲み物って、どんな味がするんだろう」
「気をつけてくださいよ。毒が入っているかもしれませんから。飲んだ後じゃ遅いですよ」
わたしは呆れ顔でゴアルガスを見る。
「まーたそんなこと言って。そんなの気にしてたら楽しくないでしょ。毒だのなんだのが、わたしに効くわけないじゃない」
「でも相手は、相当な実力者っすよ。メリル様もわかるでしょう。魔物に特化した毒なんてものを作り出しているかもしれません」
「もう、心配性だなあ」
なんてことを話していると、魔術師が戻ってきた。手にはカップと小皿持っている。
「何か特別なものを出そうかと思ったけど、しばらく客が来てなくてね。いつもわたしの飲んでいるものにしたよ。すまないね」
良い匂いが漂い。わたしの期待が高まる。
カップが置かれ、わたしはそれを覗き込んだ。薄い赤い液体で、とても良い香りがしていた。
「これはなに?」
「紅茶だよ。口に合うと良いけどね」
隣で、クククと音がする。
ゴアルガスが魔術師を威嚇しているようだ。
「やめて」
わたしが言うと恨めしそうにこちらを見る。
もう面倒なので、カップを持って口に含んだ。
「わ!」
熱いけれどとてもおいしい。
「気に入ってくれたようだね」
魔術師は微笑んでいる。
「おいしい」
わたしは思ったことを口にする。城には美味しい飲み物を作る、なんていう気の利いた魔物はいなかったのだ。
「君にはこれをあげよう」
魔術師は手元に置いていた小皿をゴアルガスの前に置く。水が入っているようだ。トカゲは威嚇こそしていないものの、口を開けて怖い顔をしていた。
「ゴアルガス」
わたしが言うと、トカゲはしぶしぶ水を飲み始める。実際、長く歩いていたから、水は欲しかったはずなのだ。
「さて、落ち着いたところで、君のことを聞いても良いかな?」
魔術師はわたしを見ていた。
「良いよ。わたしもあなたのことが聞いてみたい。わたしは人間というものに興味があるの」
「なるほど。では私から。君は何者なんだ。まさか人ではないだろう。君のうちにある魔素は人が許容しえる者ではない。では魔物か。これもまた違う。わたしの知り得る限り、人語を解することはできても、話すことのできる魔物など存在しない。だとすれば、君は一体何なんだ?」
わたしは魔術師が話し終わるのを待っていた。
わたしが何なのか。それはわたしが一番知りたかった。
人間でもなければ魔物とも違う。
魔王と呼ばれていたこともあったけれど、一度死んで生き返った今、引き連れている魔物がトカゲ一匹なんていう状況じゃ、魔王なんて言えるはずもない。
ゴアルガスは不安そうにわたしと魔術師を交互に見ている。
「わたしは自分のことがよくわからない。でも、ちょっと前までは周りから魔王と呼ばれていた」
「ほう」
魔術師は動じない。ただ驚いた仕草をして見せただけだった。
これはわたしの言ったことを信じていないのか、それとも魔王という存在を知らないだけなのだろうか。
わたしは続ける。
「わたしは魔王城と呼ばれる場所で生まれ、そして一度も領地から出ることもなく成長した。それが、ついこの間初めて領地の外に出た。わたしを王と呼んでくれた臣下を助けるためにね。でも間に合わなかった。到着したときには、すでに人間に殺されていた。わたしは怒って、その人間を殺そうとした。でも負けて、わたしはそこで一度死んだ」
「なるほど、それで?」
魔術師は平然と続きを促す。
表情にはわずかな変化もなかった。
「わたしは死を受け入れた。けれど、今こうしてここにいる。理由はわからないけれど、生き返ってしまったみたい。わたしは自分のことがよくわからない。人間でもないし、かといって魔物とも言えない。魔王であるわたしは死んで、何者でもなくなってしまった」
「どうしてここに?」
「……そうね。しばらく時間が欲しかったからかな。今のところ人間を殺したいとも思えないし、魔物を引き連れたいとも思えない。それで、ここにたどり着いたの。ここには人間も魔物もいないと思ったから」
言い切って、わたしは紅茶を飲んだ。
魔術師はどんな反応をするのだろう?
恐れ、ここから逃げ出すのか、それとも、話を信じず笑うのか。
けれど……
「確かに誰とも会いたくないのであれば、ここはまさにうってつけの場所だ。私はそのためにこの館を作った。研究には魔物も他人も邪魔なのでな」
わたしの予想は完全に外れた。
魔術師はわたしの言ったことをすべて理解し、信じている。そのうえで、平然としているのだ。
「ま、そういうことね。あなたのことも聞いていい?」
俄然、興味がわいてきた。魔術師は一体何を思い、ここに住み、そしてわたしと話しているのだろう。
「どうぞ。なんなりと」
「人というのは群れるものだと聞いていたけれど、あなたはどうして一人で生きているの?」
「他人と生活してるとね、制約が多いんだよ。あれをやれこれをやれ、それだけだったらまあ、やってやらなくもないんだが、派手な服を着るなとか、くだらん決まりごとが多すぎる。魔術師と言えば黒いローブなんて、一体誰が決めたんだ。その点では紋章術師の方がずっと文化的だ。まあ理由は他にもいろいろあるんだが、とにかく誰にも邪魔されない場所が欲しくてこの館を作った。昔の記述に残る、魔女の館を参考にしてね。結界はついでだよ。別に魔物が居たって良いんだが、一人の生活を邪魔されたくなかったからね」
「ふうん。でもそんなこと言う割には、黒い服を着ているみたいだけど?」
「ああ、それはね、喪に服していたんだ」
「もに?」
「死者を弔っていたんだよ。ついこの間、大切な人を亡くしてね。以来ずっと黒い服を着ている。人にはそういう文化があるんだ。長らく会っていなかったけれど、その人は私の心の支えだった」
「わたしと一緒ってことね。わたしも臣下のことを大切思ってた」
「普段はそんなこと気にも留めなかったし、服なんてどうでもいいだろうと思っていたが、いざ自分がその立場になると、着てしまうものだね。私もまた、人の子というわけだ」
「いつもはどんな服を着ているの?」
「赤い服さ。あの人と一緒に仕事をしていた時は若かったから、周りに反発して無理に赤い服を着ていてね。あの人からは反抗の仕方が子どもだと笑われたものだ」
魔術師は懐かしそうに笑う。
「その人間はどうして死んだの?」
わたしがその質問をしたとき、魔術師の表情が切り替わる。
「ついこの前、王都に向かって魔物の群れが押し寄せてきてね。あの人は戦いの先頭に立っていた。同じ戦場に立っていた者たちによれば、群れの首領とされる魔物に戦いを挑み、一対一に持ち込んだ。その後どうなったかを知る者はいない。ただ、魔素の増大と消失が観測された時、魔物たちが統制を失ったことから、相打ちになったと考えられている」
魔術師の身体から魔素が立ち上った。
ローブの下に組み込まれた魔術式が起動しているのがわかる。
「メリル様! こいつです!! ガルファス先生と戦った人間の鎧に刻まれた魔術式と同じものを感じます!!」
ああ、そうか。
わたしはゴアルガスの言葉で理解した。
「ガルファスを殺した人間が、あなたの大切な人ってことね」
わたしは淡々と言う。
落ち着いているのは自分でも不思議だった。
「恐らくそうだろう。そして、自分の命と引き換えにして、お前を殺した」
魔術師の表情が、硬く、冷たくなっていく。
「メリル様!! 逃げてください!!」
ゴアルガスが、跳ねるようにして、魔術師に飛びかかる。
魔術師は微動だにせず片手を上げる。
するとゴアルガスは空中で固定化され、椅子に縛り付けられた。口も閉じられているようで、バタバタと動いている。
「驚いた。奇妙な偶然もあるものね」
「ああ、私も驚いている。お前のような存在が本当にいたとはな。あの人が魔物ごときにやられるとはどうしても信じられなかった」
「あの人間は強かった。わたしは我を忘れていたけれど、それだけは覚えている。でも、死んだんだ」
「死体も残されてはいなかった。戦場で共に戦った騎士のなかには、今もどこかで生きているという者もいる。だが、私にはわかる。あの人は戦場で死んだのだ」
「名前を聞いてもいい? その死んだ人間の」
「トーマ」
「トーマね。ガルファスを、そしてわたしを殺した人間」
「私はお前をどうしても許すことができない」
「だったらどうする?」
「……場所を変えよう」
「いいわ。付き合ってあげる」
魔術師が立ち、扉へと向かう。
わたしは固まったままのゴアルガスに、
「行ってくるね」
と言って、魔術師の後についていった。




