顕現
わたしは森の中に居た。
はっきりとした意識があり、嗅いだことのないにおいが鼻を突き、風も肌に感じている。
どうやらわたしはほんとうに、生き返ったらしい。
魔素の不安定さも感じない。
「ゴアルガス……」
突然わたしを悲しみが襲い、わたしを生かしてくれた魔物の名前を呼ぶ。視界が歪み水が溢れる。
溢れる水が、頬を伝おうとしたとき、
「呼びました?」
と声がした。
軽薄で、調子の良い声。
これは間違いなくあいつの声に違いない。
「どこ?」
わたしは立ち上がりあたりを見回した。
だが、ゴアルガスの姿はどこにも見えない。
「こっち、こっちっすよ」
下の方から声がした。
そこには――
角の生えた大きめのトカゲが居た。その姿や角も含めて、どこかガルファスの面影があった。
「なんか、そんなに見られる恥ずかしいっすね。今まで本体を見られるってことしてこなかったもんで」
トカゲが口をパクパク開けている。
口から声が出ているというよりは、頭に直接響いてきているようだ。
「生きてたんだ」
「いや、消える予定だったんすけどね。必死に近くの生き物に飛びついてみたら、こうなってました」
「なんか……損した」
「え? 何がですか? いやしかし、外の世界ってのは良いもんっすね。こう、実際に地面を踏みしめるってのは楽しいや」
大きめのトカゲがバタバタと動き回っている。
わたしはため息をついた。
「一緒に行く?」
「当然っすよ。生き残れたからにはどこまでもお供しますよ」
「ん?」
一度目に目覚めた時と感覚が違うことにようやく気付く。
「服はこっちで用意しましたよ。魔素を固める際に作りました。我らが魔王様がいつまでも裸のまんまじゃいけないでしょう。おかげでおれの魔素はすっからかんっすよ」
わたしは改めて自分の体を見た。
確かに、ドレスの名残がある簡素な黒い服を着ていた。肌が出ている部分は増えたけれど、これはこれで動きやすそうだ。
「まあ、悪くはないかな」
「そりゃそうでしょう。おれは情報収集のために人の住む町を見てきたんすよね。人間の服ってのはいろいろとあるもんで、それを参考に作りました。もちろん完全な真似じゃありません。見栄えが良くて動きやすいってのを目指しました」
「……それはいいけど、なーんか納得いかないのよね」
「何でですか?」
ゴアルガスはけろりとして言う。
生きているのは良いのだけど、さっきの気持ちを返して欲しい。
別に良いんだけど。
「それで、これからどうします?」
トカゲがこちらを見上げて、止まったまま手足を上げたり下げたりしている。動きたくして仕方ないみたいだ。その姿はちょっと面白い。
「とりあえず歩く」
わたしは歩きはじめた。
足の関節がかみ合い、地面を踏みしめている。当たり前に動かしていたことが、こんなにも新鮮なものかと感動していた。
「歩いた後は?」
ガサガサと音を立てながら、後ろをついてくるゴアルガスが聞く。
「分かんない。まだなにをしたいとか、どこかに行きたいとかはないかな」
「なるほど、無計画ってことっすね」
「言い方! でもそういうこと」
「……まあ、生きたいと思ってくれただけで十分っすよ。それより、気づいてますか?」
「ん? どういうこと?」
すると周囲がガサガサとなり、草むらからゴブリンが顔を出した。
「なんだ、ゴブリンじゃない」
だが様子がおかしい。領地にもゴブリンたちは居たが、わたしに対してこんな顔をしたことがなかった。彼らは牙をむいたままこちらを威嚇している。
「メリル様、ここは外っすよ。領地の魔素の影響を受けていないやつらなんて知能もなければ、魔王様がどういう存在かもわからない。それにメリル様は外見だけなら、人間の子供っすからね」
「また言い方!」
「本当のことっすから」
「ってことは話し合いもできないってこと?」
「そういうことっすね」
わたしはあっという間にゴブリンたちに囲まれた。
ゴブリンたちはそれぞれ、人から奪ったと思われる武器を持っていて、襲いかかろうとこちらの様子を伺っている。
わたしはため息をつき、そして体の力を抜く。
「どっからでも来なさい」
わたしは直立のままで、ゴブリンたちを待ち受ける。
丁度いい。これで今の体がどんなものかわかる。
「キシャア!!」
一匹のゴブリンが飛びかかってくる。手に持ったこん棒がわたしの体に触れる寸前に躱す。続いて飛びかかってくる二匹目、三匹目の攻撃をその場に立ったまま躱した。
うん、体の反応は悪くない。相手の動きも目で追えている。
後は……
「ギッ!!」
飛びかかってきたゴブリンの胴体に触れる。
手の平から情報が伝わってくる。
構成する魔素、体の構造。
これはゴアルガスが持っていた力だろうか。
わたしは最小限の動きで力をゴブリンに伝える。
念のため、力は抑えた。
「ガアア!!」
ゴブリンは吹き飛び、木に叩きつけられる。
……大丈夫、死んだわけじゃない。
ゴブリンたちが喚き、距離をとる。
そこでわたしは、体のうちにあった魔素を言葉に乗せて放つ。
「見逃してやる! どこへなりとも去れ!」
するとゴブリンたちは衝撃を受けたようにのけぞり、そして森の奥へと消えていった。
木に激突したゴブリンも体を起こし、森の中へ消えていく。
そして、静けさが戻った。
「……ふう」
わたしは大きく息を吐く。
とりあえず、自分の思った通りに体が動かせることが分かった。
でも、心に引っかかることがある。
「殺っちまわないんすか? メリル様の力だったら、あんなの消し飛ばせるでしょ。それとも、わざと手を抜いたんすか?」
わたしを見透かすようにゴアルガスが言う。
「まあね……」
自分でも歯切れが悪いと思う。
「あいつらは領地の外で勝手に生まれた、おれたちとは関係のないやつらっすよ? 知性もなければ魔王様に対する敬意もない。殺したっていいやつらだと思うんすけどね」
「わたしは……魔物を殺したくない」
わたしは自分の手を見る。
この手で、ゴブリンを殺してしまっていたらと思うとぞっとした。
たとえそれが、ゴアルガスの言うとおりだったとしても、わたしの気持ちは変わらなかった。
「なんつうか、メリル様って、面倒な性格してますねえ。魔王様ってのはもっと自分以外は全部潰しても構わないみたいな傲慢さが必要だと思うんすけどね」
「面倒ってなによ」
「まあまあ、それは置いといて」
「わたしは魔王として生まれたのかもしれないけど、今はそうじゃない。生まれ変わったわたしは、そもそも魔物であるかどうかも分からない。別に殺したくなければ殺さなくてもいいでしょ」
「はあ、そういう見方もできますね。じゃあ、人間はどうします?」
「ん?」
ゴアルガスの言っている意味がわからない。
「人間だったら殺せるんですかって意味ですよ。人間つったらおれたち魔物の敵でしょう?」
「それは……そうだけど」
わたしは考えてみる。
確かにガルファスは人間に殺された。
わたしはそのことを恨んでいる。けれど、わたしが恨んでいるのは殺したそいつで、別に人間すべてを恨んでいるわけじゃない。
ずっと城に居て、人間は支配しなければならないと教えられてきたけれど、わたしが直接人に何かされたわけでもないし、恨みなど湧いてくるはずもなかった。
「……わかんない」
「……まあいいっすよ。メリル様はまだ復活したばかりだし、混乱してるんでしょうからね。しかし、困ったっすね」
「なにが困るのよ」
「これからのことっすよ。魔物も殺したくない。かといって人も殺したいわけじゃない。だったらどうするんすか?」
「うーん、とりあえず歩き回ってみる?」
「……」
これは流石にわたしでもわかる。
ゴアルガスは完全に呆れていた。
でも思いつかないのだから仕方がない。わたしは少なくとも、今のところは、誰も殺す気にはなれなかった。
ゴアルガスが大きくため息をつく。
大げさに口を開けて、わかりやすく困った顔をする。
「わかりました。だったらおれが行く先を決めますよ。魔王城まで行ってもいいが、ここからじゃ遠い。今のメリル様に負担もかけられないっすからね」
「どこへ行くの?」
わたしは無邪気に聞く。
改めて考えてみるとトカゲが口をぱくぱく開けながら喋っているのはちょっと面白い。気に食わないやつだったけれど、今の姿は可愛げがある。
「少し移動はしますが、山奥に結界が張られた、人のいない場所があるんすよね。魔物にも人にも接触したくないのなら、丁度良い場所っすよ」
「おおー、やるじゃない」
「結界は弱い魔物を退ける程度のもんですから、おれでもなんとかなります……これでいいですか?」
「いいよー」
「なんでおれが決めてんすか」
「だって、今のところ特に予定はないし、やりたいことが見つかったら自分で決めるよ」
「早いところそうしてもらいたいもんっすね」
不満げな顔をするゴアルガスが面白くて、わたしは思わず笑ってしまった。




