それは愛でした
わりと胸糞でもやもやして救いがないのでそういうのオッケーな人だけどうぞ。
バッシーン!!
実に盛大な音を立てて頬を叩かれた少女が吹っ飛んだ。そのままどさりと崩れ落ちる。
「いやだ、汚れてしまったわ」
少女を叩いたロズヴィータ・ニヒツ公爵令嬢が、今しがたの暴力などなかったかのようにのんびりと扇子を撫でた。少女を叩いた武器である。
「リンリー!」
突然の暴挙に反応できなかったジークハルトが少女――リンリーに慌てて駆け寄った。
「これ、捨てておいてくださる?」
ジークハルトはこの国の王太子であり、ロズヴィータの婚約者でもある。ロズヴィータはまったく気にした様子もなく、傍らの取り巻きに扇子を渡した。すぐに新しい扇子がその横に控えていた令嬢からロズヴィータに渡される。
「リンリー! リンリーしっかりしろ。……ロズヴィータ! なぜこんな酷いことをする!?」
ロズヴィータは首をかしげた。
「殿下に近づくなと何度言ってもきかないのですもの。人の言葉を理解できない獣であるのなら、力で躾けるしかありませんわ」
何かおかしなことを言ったかしら。ロズヴィータは心底そう思っているのか不思議そうな顔だ。
ジークハルトはぞっとした。
たしかに、リンリーとの仲を確認されたときに言った「友人」とは、もう言えなくなっている。いや、言いたくなくなっている。幼いころからの婚約者であるロズヴィータではなく、ジークハルトはリンリーに恋をしていた。
リンリーにそばにいてほしい。そう思う心をジークハルトは止めることができなくなった。
「だが……やりすぎ、だろう!」
声が少し弱くなったのは後ろめたさがあるからだ。本来ならそれはロズヴィータではなく、ジークハルト自身がきちんとリンリーに伝えて弁えさせなければならなかった。
「そうですわね」
ロズヴィータは同意する。いくら言うことを聞かないとはいえ、相手は人間だ。少なくとも人間の姿をしている。
「ではやはり、王族への不敬で裁判にいたしましょう」
この国には裁判制度があり、弁護士もいる。話し合いで解決が一番望ましい。
「リンリーとの距離は、私が認めていることだ」
「では、わたくしへの不敬ですわね」
リンリーは平民、しかも孤児である。後ろ盾など何もない。公爵令嬢への不敬で裁判となれば、たとえ勝ってもリンリーの未来は暗いだろう。王太子のジークハルトが認めていようとも、ロズヴィータとはまた別の話なのだ。
「ロズヴィータ……」
「ジークハルト様、リンリーを守りたいのであれば、彼女をおそばに置くのはお止めください」
「……脅す気か?」
蒼褪め、それでも睨みつけてくるジークハルトに、ロズヴィータは聞き分けのない子を見る目を向けた。
「忠告ですわ。もう何度目かしら。……あら」
取り巻きの令嬢たちを引き連れてその場を去ろうとしたロズヴィータは、リンリーから少し離れたところに落ちている物に気が付いた。
「これは……」
黒ずんだロケットペンダント。ちいさいが中央に宝石がついていた。
ロズヴィータが拾うのと、ようやく顔を上げたリンリーが「あっ」と叫ぶのはほぼ同時だった。
「そ、それっ! わたしのです! 返してくださいっ!」
「……お前の?」
ロケットの蓋を開け、ロズヴィータはかすかに眉を寄せる。
「そうです! 孤児院に預けられたときにわたしが持っていた……両親の形見です!」
「……これがお前のものだという証拠はあるのかしら? 学園は貴重品、特に貴金属の持ち込みは禁止していますが」
王族や高位貴族の通う学園では、盗難の恐れのある物の持ち込みを制限している。婚約指輪や守りの魔法が付与された物はその限りではないが、申請・審査ののち登録をしてようやく許可が下りるのだ。
それほど厳しいものだ、むしろ両親の形見では逆に却下されるだろう。
「し、証拠……?」
リンリーがうろたえた。そこまで大ごとだとは思わなかったらしい。
「ええ。わたくしはお前がこれを身に着けているところを見たことなどないわ」
ねえ、と取り巻きに視線を送る。彼女たちも疑わしげにリンリーを見つつ同意した。
「……私が証言しよう。たしかにそれはリンリーの物だ」
「まあ! ではジークハルト様は、リンリーが服の下に隠していたこのペンダントを身に着けているところをご覧になったのですね? どちらで? どのような状況で?」
「……!」
服の下に隠していた。それを見たというのはつまり、不貞行為があったと認めることに他ならなかった。
「ハル様?」
「……」
うつむき、黙ってしまったジークハルトをリンリーが不安に揺れる瞳で見上げる。可憐そのものだがここでジークハルトを愛称で呼んだのは完全に悪手だった。二人が親密な仲だと言ったも同然だ。ジークハルトは黙るしかない。
「こんな高価な物を娘に残せるなら孤児院に捨てる必要はなかったのではなくて? これがリンリーの物だと証明できない以上、拾ったわたくしが預かります」
「そんな!」
「ロズヴィータ!」
リンリーとジークハルトの声が重なった。
「ご心配なく。本当の持ち主を探すだけですわ」
「返して! 返してよ!!」
ロズヴィータは興味を失ったように手を伸ばして訴えるリンリーを一瞥すると、今度こそ去っていった。
王立魔法学園は魔力の多い、主に王侯貴族のための学園だが、ごくまれに平民で魔力を持つ子供も受け入れている。
リンリーは、まさにそのごくまれな例だ。
生まれてすぐに教会に併設される孤児院の前に捨てられていたという。不幸な境遇。しかし祝福のような魔力に恵まれており、魔法学園に通う前提で育てられた。
シスターの教育が良かったのだろう、やさしく親切、ややひねくれてはいるものの前向きなリンリーと王太子ジークハルトが出会ったのは偶然であった。ナチュラルに平民を見下す貴族への愚痴を校舎裏で叫んでいるところを見られたのである。校舎裏、北側三階は王族と許可された者にしか使えない特別室だった。
三階のジークハルトと地上のリンリーは言葉を交わし、一気に親しくなった。二人ははじめから惹かれあっていた。ジークハルトの側近たちは特定の生徒、平民で、しかも女生徒と必要以上に親しくなるのは互いのためにならないと苦言を呈していたが、それもはじめのうちだけ。それほどに、二人が一緒にいる姿はしっくりきた。
ジークハルトの婚約者、ロズヴィータ・ニヒツ公爵令嬢はそ知らぬふりをしていたが、ある時を境にまるで人が変わったようにリンリー排除に動き出す。リンリーをたしなめるだけではなく、取り巻きの令嬢に命じて学園を退学させようとしてきた。
平民のリンリーと公爵令嬢のロズヴィータはクラスが違う。ロズヴィータは公爵家の力を使ってリンリーを無視させ、教科書を紛失させ、筆記具を捨てさせた。リンリーが貴族であれば裏にニヒツ公爵家がいると察した時点で震えあがって退学を決めていただろう。
しかしリンリーは平民であった。しかもひねくれた、反骨精神にあふれる性格であった。
なにあの女。リンリーはそう思ってしまった。自分の婚約者に近づく女が気に食わないのはわかるけど、やることが陰湿。リンリーは男女の友情肯定派だったし、自覚はまだなかったがジークハルトに惹かれていた。
どうせ卒業したら会えなくなるんだし、今だけ許してくれたっていいじゃない。
こんな甘いことを本気で考えたあたり、リンリーは貴族というものをまったくわかっていなかった。
この場合、ジークハルトが貴族に喧嘩を売ったとリンリーを諭してやればよかった。しかし彼は彼で婚約者がいながら別の女に惹かれている自分に酔っていたし、ロズヴィータのいやがらせは浮気の罪悪感を薄め、正当化する恋のスパイス程度にしかなっていなかった。
ロズヴィータの行動とは、二人の恋の起爆剤にしかならなかったのである。
数日後、リンリーは孤児院のシスターからロケットペンダントがまちがいなくリンリーの物である証明をロズヴィータに提出した。
シスターの事情説明という報告書を読んだロズヴィータはいつも浮かべている淑女の笑みを消し、
「……残念だわ」
取り出したロケットペンダントを床に落とすや踏みつけた。
ぺきっ
黒ずんだペンダントは軽い音を立ててあっけなく壊れた。
「え」
迷いない動作。リンリーもジークハルトも止める間すらなかった。
「自分がこうなりたくなければ二度とジークハルト様にその顔を見せないでちょうだい」
厳しく、暗い、思いつめた声で言った。
「リンリー!」
あまりのことにへなへなと脱力したリンリーをとっさに支え、ジークハルトはロズヴィータを睨みつけた。
「ロズヴィータ! なんということをするんだ!」
「返せと言われたので返したまでですわ」
「形見だぞ! 君には……君には人の心がないのか!?」
「心があるからこそ行ったのです。ジークハルト様、わたくしロズヴィータ・ニヒツが忠心から申し上げます。ご自身と彼女を思うのなら……リンリーを愛してらっしゃるのであれば、二度とお会いにならず、どこか遠くで、彼女の幸福をお祈りください」
「……!」
他ならぬ婚約者に「リンリーを愛している」と言われたジークハルトはカッと頬を染め、それから震える唇を引き締めた。
ちがう、彼女は友人だ。今まで散々使ってきた言い訳、伝家の宝刀はもう使えない。ここで使えばさらなる刃でロズヴィータはリンリーを傷つけるだろう。
「君たちは……なぜロズヴィータに従っていられる? 平民の、後ろ盾のないか弱い女性をいたぶる血も涙もない女を……!」
矛先をロズヴィータの取り巻きに変えて訴える。彼女たちも貴族なのだ。王太子が庇護するリンリーを傷つけるのは、すなわち王太子にたてつくことでもある。家のためを考えるならロズヴィータを止めるべきであろう。
ところが取り巻き令嬢たちは不快をあらわにした。
「わたくしたちはロズヴィータ様を信じております」
「殿下こそ、ロズヴィータ様のおやさしい御心に感謝して、その女を遠ざけるべきですわ」
「無礼を働いたのはその女が先でございます。殿下のお怒りはごもっともですが、そもそもどちらが悪いかというとその女でしょう」
婚約者の目の前で浮気相手を庇うなんて、血も涙もないのはどっちだ。そう言わんばかりである。
これにはジークハルトの側近たちが気まずい顔になった。
彼らは今でこそリンリーを認めているが、当初は諫めていたのである。
側近たちに婚約者はいない。主人であるジークハルトが結婚し、情勢を見て、婚約者を決めるからだ。貴族の婚姻とは政治の一部である。側近となればなおさらだ。同じようにロズヴィータの取り巻き令嬢にも婚約者がいなかった。学園は自由恋愛を楽しむ、最初で最後の機会でもあった。
それを言い訳に、ジークハルトとリンリーの仲を応援した自覚はある。別れが決まっているのなら、せめて今だけも結ばれてほしい。終わりの定められた恋が報われるのを願うのは、そんなに悪いことなのか。
この国の国教では王であっても第二夫人を認めていない。建前上は愛人でもアウトだ。ばれたら本人のサインがなくとも離婚が成立する。婚外子など生まれても何の権利も持たない。たとえその後で結婚しようとも、相続その他が与えられるのは婚姻後に生まれた子だけだ。
それほどに厳しい茨の道だ。あきらめさせようと悪役に徹するロズヴィータに表立った批難がないのは、たしかにそれが慈悲であるからだろう。
「…うぅ………っ」
壊れたペンダントに触れることもできず、リンリーが泣き出した。
もはや声をかけることもなく、ロズヴィータたちが去っていく。
「リンリー……」
忸怩たる思いでロズヴィータの背中を見送ったジークハルトがそっとリンリーの背中を撫でた。
「王宮の職人に頼んでみよう。……大丈夫、きっと直る」
「殿下」
側近が呼び掛けた。あそこまで言われてもなおリンリーを守ろうとするジークハルトを咎めるような、感動を押し殺したような、そんな声だった。
ロケットペンダントの破片を拾い集め、ジークハルトとリンリーは学園を早退した。
この日、リンリーは王宮に泊まった。
リンリーに用意された客室のベッドで、ジークハルトはリンリーの手を取った。
「ロズヴィータとの婚約を破棄する」
「ハル様……! でも、できるのですか?」
「あんな女を国母にできるものかっ。あの女には罰を与えなければならない。それに、私との婚約がなくなれば、君に手を出すことはなくなるだろう」
「そう……でしょうか?」
リンリーはぶるりと肩を震わせる。彼女が育った孤児院は毎年多額の寄付があり、子供たちは飢えることも寒さに凍えることもなかった。
親からの贈り物――たとえそれが形見でも、親とのよすがを持っているリンリーは妬まれいやがらせをされることがあった。けれどいつもシスターがそんな子をきちんと叱り、諭してくれたのだ。
あんな、圧倒的権力を持つ者に悪意でもって攻撃されたことなどなかった。恐怖を隠し気丈にふるまってはいても恐ろしかった。
ロズヴィータは本当に、ジークハルトを愛しているのだろう。彼女が頑なに、自分の手を汚している姿には必死なものが垣間見えた。長年の婚約者なのだ。ジークハルトと生きていくのだと信じていたのだろうし、愛が芽生えるのは当然だった。
それを、ぽっと出の自分が壊そうとしているのだ。リンリーはその罪深さに震えていた。
出会ってしまった。運命だと思った。ジークハルトにふさわしいのは平民の孤児ではなく強固な地盤と血筋をもつ公爵令嬢だとわかっている。それでも。
ああ、この人だわ。出会った瞬間の感動は今もリンリーの中で響いている。きっと、ジークハルトも。
「大丈夫だ。リンリー、私に任せて」
「ハル様……」
ジークハルトとリンリーは見つめあい、涙ぐみながら体を重ねた。
やっとひとつになれた。
「うれしい。ハル様」
リンリーが言った。私もだ。ジークハルトが応えた。
建国祭はこの国だけではなく、周辺国にとっても大切な祭日だ。
建国王、英雄ジークフリードが悪しき魔女を討伐し、この地に国を築いた記念すべき日である。
双子の兄妹から生まれた魔女は当時の国の王の愛妾として権勢を揮い、あちこちの国に戦争をしかけさせ、世界を支配しようと企んだ。
そこに現れた英雄ジークフリートが愛妾の正体を暴き、魔女が召喚したドラゴンと魔女を倒したのだ。
ジークフリードは荒廃した土地を立て直し、疲弊し傷ついた人々を癒し慰め、人々に請われて初代王となった。周辺国もまたジークフリードと共に魔女と戦った英雄たちが王となったところである。
国教が愛人、第二夫人を認めていないのはこれが由来だ。そうでなくても女で国が亡ぶ話は枚挙に暇がない。禁止にして正解であろう。
世界中が平和を喜び祝うまさに晴れの日。英雄王の国とあって諸外国から来賓も多数訪れている。
そんな中、リンリーを伴ったジークハルトが高らかに宣言した。
「今ここに、王太子ジークハルトがロズヴィータ・ニヒツ公爵令嬢との婚約の破棄を宣言する!!」
堅苦しい式典が終わり、なごやかに友好を深める歓談の場であった。
一斉に注目を浴びたロズヴィータは怯むこともなく、深い、深いため息を吐き出した。
婚約破棄の理由など説明されるまでもない。腰を抱かれたリンリーを見れば誰にだってわかることだ。
「……おかしいとは思わなかったのですか、殿下。ニヒツ公爵家が彼女に手を出さなかったことを」
「何を言う。貴様がリンリーを害したこと、すでに明白だ!」
「わたくしではありません。公爵家です」
公爵家にかかれば孤児の一人闇に葬るなどたやすいことだ。
「リンリーが私の唯一だからであろう」
「婚約者を差し置いて最愛の唯一を選ばれた。正当な理由になりますわ」
ロズヴィータの父、ニヒツ公爵が娘を守るように前に出た。公爵夫人は娘の背を支えている。
「王妃殿下、こちらに見覚えがありますな?」
確信をもって問いかけた公爵が取り出したのは、銀色のロケットペンダントだった。酸化の黒ずみは磨かれ、元の輝きを取り戻している。
遠目にそれを確認した王妃が息を呑んだ。
「ヒィッ」
リンリーはそれが何か一瞬わからなかった。ややあって「あっ」と声を上げる。
「わたしのペンダント……!」
「ええ、そうです。自分の物だとあなたが証明してしまった『形見の品』ですわ」
「壊したんじゃなかったんですね……!」
リンリーは感動の喜びに瞳を輝かせた。
一方の王妃はペンダントを見て、リンリーを見て、短い悲鳴をあげたまま蒼褪めている。
目を極限まで見開いた王妃と、感情を表に出さないよう懸命に耐えているロズヴィータが、リンリーを見た。
リンリーはコルセットをつけないドレスを着ていた。心なしか、下腹部が膨らんでいるようにも見える。
淡いピンク色のドレスはシンプルなシルエットだが、胸下から幾重にも重ねられたレースが華やかさを演出している。古風で慎ましやかな印象を与えていた。
「壊したりなどしませんわ。大切な証拠品ですもの」
「……証拠品?」
様子のおかしい母と、すべてわかったような婚約者にジークハルトは戸惑っていた。交互に視線を彷徨わせる。王妃の隣にいる国王は信じられないといわんばかりにリンリーを凝視していた。
「王妃よ、まさかあの娘は……」
「このタイプのロケットは、昔流行したものです。そう、二十年ほど前でしょうか。中蓋に、仕掛けがあるのですよ」
言って、公爵がロケットを開けた。静まり返った会場にパチンと金属音が響く。
心得た公爵夫人が手鏡をロケットに向けた。
「やめて!!」
王妃が叫んだ。
手鏡から反射した光がロケットに当たり、紋章と文字を映し出す。
「我が娘、ジークリンデ。……生誕の日付もあります」
ジークハルトの顔から一気に血の気が引き、全身が冷えていった。
ロズヴィータが悲しげに告げる。
「ジークハルト様は……双子だったのですね」
それも男女の双子だ。
魔女が双子の兄妹から生まれたことで、男女の双子は忌み子とされ引き離されて育てられる傾向にある。たいていの場合、家から出されるのは母体となる女児だ。
「ジークを名に冠するのは王族のみ。出生を隠し、孤児院に逃がしたのでしょう」
そして手放すしかなかった娘がせめて不自由をしないように、毎年寄付を続けていたのだ。
「まさか逃がした娘が兄と出会い、恋に落ちるとは予想だにしなかったでしょうな。……我々も、ロズヴィータの話を信じられませんでした」
ジークハルトは崩れ落ちそうな体を何とか動かしてロズヴィータに顔を向けた。喉はからからに乾いている。
「ロズ……どう、して……」
「……偶然ですわ」
ロズヴィータは目を伏せた。
「お似合いの二人。まるで一対のつがいのよう。はじめからそうであったように……わたくしも、そう感じましたわ。お二人の間には、わたくしが入る余地などないと……」
けれどしょせん叶わぬ恋だ。ロズヴィータは微笑ましく、しかし一抹の悲しさでもってジークハルトとリンリーを見守っていた。
「お顔は一見して似ていないお二人でしたけど、ふとした瞬間そっくりでしたの。無意識の仕草や角度……。些細な事かもしれません。ですが一度気づくと重なるのですわ」
気づいたときはぞっとした。ロズヴィータが自嘲する。なにを馬鹿な、と自分でも何度も否定した。
「それでもリンリー……いえ、ジークリンデ様は孤児。もしや陛下のご落胤という可能性もありました。異母とはいえきょうだいとなってはお二人に未来は絶対にありません」
ならばせめてきれいに終わらせてあげよう。ロズヴィータが悪役となり、権力に引き裂かれた恋にしようとしたのだ。
「まさか、取り巻きにも」
「いいえ。彼女たちにはここまで伝えておりません。ただ国家の大事であるから、わたくしを信じてほしいとだけ」
たしかに国家の大事である。どんなに信頼していても、他家の令嬢には言えなかっただろう。
リンリーには無理でも、ジークハルトがロズヴィータの思惑を汲み取り、自分でその可能性に気づけていれば良かった。
ロズヴィータはいくつもヒントを残していた。
教室での無視や盗難を主導したこと。リンリーへの暴力を自分でやったこと。これはもしリンリーが王女の身分を取り戻した時、他の者に咎めが行かないようにと考えてのことだった。婚約者で公爵令嬢の自分なら、たいした罪にならないと読んだのだ。
さらにロズヴィータは「リンリーを守りたいなら」と何度も繰り返した。あれは脅迫などではなくそのままの意味であった。離れていれば、誰も気づくことなく終わらせられるだろう。
そしてロケットペンダントだ。もしもジークハルトがリンリーとの結婚を考えたとすれば、両親の形見はリンリーの出自を知る手掛かりとなる。
だから取り上げ、偽物を使い壊して見せた。万が一にもリンリーとジークハルトが気づかぬように。
誰が見てもわかるほど二人がそっくりであれば、誰かが国王と王妃に報告しただろう。手放したとはいえ愛する娘、公表はできずとも感動の再会ができたかもしれなかった。
ロズヴィータだけが気が付いた。ロズヴィータは本当に、ジークハルトをよく見つめていたのだ。
ロズヴィータ・ニヒツ公爵令嬢が守ろうとしたのはリンリーだけではなかった。ジークハルトを、国を、守ろうとした。
「本当ならこの後……密かに王妃殿下、国王陛下にペンダントをお見せして、ジークリンデ王女殿下をお逃がしする予定でした」
何から逃がすのか、言うまでもない。ジークハルト、実の兄、双子の兄からだ。
王妃は狂乱したように頭を振って泣き喚いている。
「嘘よ! そんな――わたくしの娘が悪魔だなんて! わたくしのジークリンデ! うそよ、どうして――ああ、双子の兄と!!」
リンリーは話についていけないのか呆然とし、引き攣った笑みを浮かべた。
「あ、あに? 兄? 双子って、そんな……そんなはず、ないわ。だって、だっ、わたしとハル様は……。ロズヴィータ様が、ロズヴィータ様、が、また、また、わたしを……」
呂律が回らないのか何度も言い直し、助けを求めて周囲を見回す。無意識だろう、腹部に手を乗せていた。しかし誰もがさっと目をそらすか、おぞましいものを見る目でリンリーを遠巻きにしている。
やがて、縋るようにロズヴィータを見た。ジークハルトもロズヴィータを見つめている。寄る辺のない迷子のようなその顔は、皮肉なことにそっくりだった。
「ジークハルト様、なぜ、今日だったのですか?」
建国祭だ。世界を救った英雄の国には多くの来賓が訪れている。主賓として聖教国の教皇も聖騎士を連れてやってきていた。
近親相姦は大罪。特に男女の双子は魔女の復活と結びつくため神への反逆とされている。
「……」
ジークハルトは答えられなかった。
多くの人々の前でロズヴィータの非道を訴え、愛するリンリーを正妃として紹介する。背水の陣を敷くことで後戻りできなくなった。
祝福されると思っていた。この国は王制で、貴族が王を支えている。貴族と平民の違いは魔法が使えるかどうかだ。平民の孤児でも魔力量が多ければ貴族の養子になれる。過去、学園を卒業した平民がそうやって貴族に迎えられた例もあった。
リンリーもあたたかく迎えられるとジークハルトは甘く考えた。王太子の最愛だ、引く手あまただろう。そう考えた時点でどこからも打診が来ていないことを知っておくべきだった。
リンリーの調査に乗り出した公爵家がストップをかけていた。ロズヴィータの予想が当たっていればジークハルトと結婚などさせられない。双子で生まれたことが悪いのではない。たとえ男女の双子だろうと子供の誕生は喜ぶべきことで、子を処分することは禁じられていた。遠ざけることが最善だったのだ。
そして、人を愛することも悪ではなかった。その愛を見守り応援することも、諫めることも。悪などではないのだ。
「運命ですのね」
ロズヴィータが言った。彼女の瞳がたちまち潤み、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
魔女の復活に教皇猊下が血相を変えて近づいてくる。
ガシャガシャと聖騎士が鎧の音を立てて二人を取り囲んだ。
タグに「双子」入れるかどうか迷いました。タグでネタバレってどうなんだと毎回悩みます。
悪役令嬢がヒロインの持ってる「親の形見」壊すのよくあるパターンだけど、冤罪ではなく壊さなきゃいけないものだったらどうなんだろうと考えた結果がこれ。ここまで暗い話になるとは思わなかったんです……。