1ー6 置いてけぼり
「もういいかい!」
オニからの呼びかけで、ボクは慌てた。
「まぁだだよ!」
ちらほらと「もういいよ」の声が聴こえて、ますます焦る。まだ隠れていないのはボクだけらしい。
そこから二回の「もういいかい」に同じ答えを返して、ようやく公園の片隅にある築山のトンネルに身を潜めた。
「もういいかい!」
「もういいよ!」
やっとボクも「もういいよ」が言えてホッとした。ドキドキしながら、オニが来るのを待つ。
かくれんぼのメンバーは、同じ三年二組の五人。他の四人はみんな運動が得意で、ボク一人だけ鈍臭い。
でも、いつも仲良く遊んでいる仲間だ。
「見ぃつけた!」
「うわー! 見つかったー!」
そんなやりとりが聴こえた。ボクのいる位置からはまだ遠い。
すぐに、二人目が見つけられる。それからまもなく三人目も。
残りはとうとうボクだけになった。
日が暮れかけている。ボクは斜めに差し込む光の当たらない陰で息を殺していた。
四人の足音が近づいてくる。
「務夢ー!」
見つかりたくない。見つけてほしい。
ボクは笑い出したいのを堪えて、じいっと膝を抱え込んだ。
だけど。
「務夢、全然おらんがん。どこ隠れとんだろ」
「一人で帰ったんじゃねぇの」
「あいつガリ勉だでな。いっつも『塾がある』とか言って」
「今日は塾ないんじゃなかった?」
「知らんて」
「とろくせぇ、俺んらも帰ろうぜ。もうすぐ鐘鳴るし」
トンネルから出て、みんなに姿を見せれば良かったのかもしれない。
でも、身体が動かなかった。
四人が遠ざかっていく。ガヤガヤとおしゃべりしながら。
しばらく、その場で膝に突っ伏していた。辺りはすっかり静まり返って、そのうちに五時の鐘が鳴った。
置いてけぼりにされた。一人ぼっちだった。
友達じゃなかったんかよ。どうしてちゃんと探してくれないんだよ。
ボクがいなくても、あいつらは楽しそうだった。
ボクなんかいなくても、どうだっていいんだ。
もうじき日が暮れる。こうしていたら、もしかして誰かが心配して探しにきてくれるかもしれない。
でも、誰も来ないかもしれない。
ひどく疲れた。立ち上がる気力もない。
そして、どのくらい経ったかも分からないころ。
「みぃつけた!」
「……え?」
顔を上げると、小さな女の子がボクのことを覗き込んでいた。
「かくれんぼ?」
「う、うん」
「あたしもいれて!」
誰だろう。もう鐘が鳴った後なのに、こんな小さい子が外にいるなんて。
「もう、みんな帰ってまったよ。今、ボクしかおらんし」
「そうなの? じゃあいっしょにあそぼ。ふたりであそぼ」
「えっ、でも……」
手を引かれてトンネルから出る。どういうことか、まだ太陽は沈みきっていなかった。西の空が綺麗に夕焼けしている。
よくよく見ると、女の子はつぎはぎだらけの服を着ていた。髪もボサボサで、頬っぺたには引っ掻いた痕のようなミミズ腫れがある。袖から出た手は、びっくりするほど痩せていた。
「君、どこん家の子? お母さんは?」
「おかあちゃん、これからおしごとだわ。おきゃくさん、さがさなかんって。だもんで、ひとりであそんどんの」
「こんな時間から仕事? 家の人、誰もおらんの?」
「うん、いっつもそうだよ。あさまでおりこうしとったら、おかあちゃんがたべものもってかえってくる」
「えぇ?」
「ほんとは、おうちでかくれんぼしとってって、いわれたんだけどね」
えへへ、と、いたずらっ子が笑う。
この子も置いてけぼりにされたのだろうか。もしかして、ごはんも食べていないのかも。
どうしよう。こんな小さな子、一人で放っておくわけにはいかない。
「ねぇ、あそぼ!」
まぁいいか、と思った。どうせ友達もいなくなったし、暗くなるにはまだ少し時間がありそうだ。
「いいよ、何して遊ぶ?」
すると女の子は、ぱぁっと満面の笑顔になった。
「かくれんぼ!」
こうして、二人だけのかくれんぼが始まった。
「もういいかい」
「まぁだだよ」
「もういいかい」
「もういいよ」
隠れては見つけられ、探しては見つける。もう置き去りにされる心配はない。
後から気付いたけど、女の子は片足を引き摺って歩いていた。
怪我も顔だけではなく、よく見ると細い腕や脚のあちこちにアザがある。
「怪我、どうしたの?」
「これ? こないだねぇ、たべるもんもらおうとしたら、けっとばされたんだわ」
「えぇっ? 誰に?」
「しらんおじさん」
「警察に通報せんと」
「えっ……あたしが、わるいこだで?」
ハッと息を呑む。
「違う違う。小っちゃいのに一人で留守番して、お利口さんだよ」
「そっかなぁ……じゃあなんで、おかあちゃんはあたしをたたくんかしゃん。びっこになったのも、あたしがかってにそとでたせいだって」
咄嗟に、何も言い返せなくなってしまった。こういうの、知っている。児童虐待っていうんだ。
助けなきゃ、と思った。ボクより小さいのに、ごはんをもらえなかったり、夜に一人ぼっちにされたりして可哀そうだ。
だけど、どうしたらいいんだろう。ボクだって、まだ何もできない子供なんだ。
今この子は、目の前でこんなに哀しそうにしているのに。
せめて、とボクは思い付く。
「あのさ、ボク、大きくなったらお医者さんになるんだわ。ボクが君の怪我を治したるよ」
「ほんと?」
「うん。そしたらきっと、ちゃんと歩けるようになるでさ」
「ごはんは?」
「ごはんもあげる。君を助けるって、約束するよ」
「うん!」
女の子は、また笑顔になった。
良かった。ボクにもできることがあった。
「ねぇ、あそぼ! かくれんぼしよ」
不思議なことに、空は夕暮れ色のままだった。それどころか、さっきより赤い光が強くなっている気がした。濃い影が長く長く伸びている。
国語の教科書に載っていた『かげおくり』という遊びを、女の子に教えてあげた。
「すごい! おもしろいね!」
赤い空に白く映ったボクは、大人みたいに背が高かった。
かくれんぼは終わらない。辛いことがあった気がしたけど、何だっただろう。忘れてしまうようなことなんだから、どうでもいいことに決まっている。
ここにいれば、こうして遊んでいれば、少しも寂しくない。
ボクは一人ぼっちじゃない。
この女の子も、一人ぼっちじゃない。
一緒にいれば、二人ぼっちだ。悲しいことも怖いことも、きっと起こらない。
だから、ずっとこのまま……
——おーい!
「……え?」
ボクは辺りを見回した。何も変わったことはない。男の人の声が聴こえたと思ったけど、気のせいだったみたいだ。
「どうしたの?」
「ううん、何でもないよ」
「そっか!」
笑ってみせた。言った通り、何でもないはずだ。
だけど、どうしてだろう。心がざわめいている。
何かを忘れている。何かを思い出さなきゃ。そんな気がしてならない。
「なんかあった?」
女の子は不安そうに見上げてくる。駄目だ、ボクがしっかりしなくちゃ……
——おい、しっかりしろ!
「え? なんで?」
今度は確かに聴こえた。
「誰?」
声の主を探して足を踏み出そうとすると、手を掴まれた。
「どこいくの?」
「いや、声が……」
「まって、いかんといて」
女の子が、くしゃりと顔を歪めた。
「ひとりは、やだよ……」
大きな瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
そうだ、この子を一人ぼっちにするわけにはいかない。
ボクが一緒にいてあげないと。
置いてけぼりにされるのは、すごく辛いんだ。
——聴こえとるだろ?
「うるさい」
——戻ってこい!
「嫌だ!」
ばちん!
何かが弾けたような音と、頬っぺたへの衝撃。
痛みを感じる前に、意識が飛んだ。
「目を覚ませ! 服部少年!」