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3ー3 怪異を呼ぶ歌と味噌カツ

 樹神こだま先生の言葉に、僕は驚いた。


「『あめふり』に都市伝説? ただの童謡ですよね?」

「あぁ。だが、割と有名な話だよ。あの歌にはちょっと哀しい解釈があるんだ。歌詞を思い出してほしい」


 あめあめ ふれふれ 母さんが

 蛇の目でお迎え 嬉しいな

 ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン


 かけましょカバンを 母さんの

 後から こ行こ 鐘が鳴る

 ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン


「一番と二番はいい。母親が傘を持って迎えに来てくれた、楽しい雨の日の情景だ。問題は三番以降」


 あらあら あの子はずぶ濡れだ

 柳の根方で 泣いている

 ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン


「ここから視点が切り替わっているという説がある。三番で泣いてるのは、一番二番で母親と一緒に傘をさして歩いていた子だ。それを別の親子が見かけるという内容だよ。この時点で、その子の母親はいなくなってしまっている。亡くなったと考えてもいいだろう。ずぶ濡れで、もう帰ってこない母親を待っているんだ」


 そもそも、そんな歌詞だということも知らなかった。


「そして、四番と五番」


 母さん 僕のを貸しましょか

 きみきみ この傘 さしたまえ

 ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン


 僕ならいいんだ 母さんの

 大きな蛇の目に 入ってく

 ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン


「死んだ母親を待っていたら、かつての自分たちのような母子が通りがかって、同じ年頃の子供が傘を貸してくれた。楽しげに帰っていく二人を見送りながら、この子はどう思っただろうね」


 決して手に入らないものを、目の前で見せつけられる。こんなに惨めなことがあるだろうか。

 胸に覚えのある感覚に、再び襲われる。それは瘡蓋かさぶたを無理やり剥がされる痛みにも似ていた。


「実際にそんなことがあったかどうかは分からない。だが、雨の日に三番以降を歌うと呪われるという噂がある。子供の霊に取り憑かれて、全身ずぶ濡れの汗をかいて死ぬとか、怨嗟の中で死んだ子供の()()()()()()とか」


 芽衣さんがびくりとする。


「あっ……思い出した。あたし、三番を、歌ってまったかも。小っちゃい声ならバレんだろうって、授業中、本当に誰にも聴こえんぐらいの音量で」

「え? 芽衣、そんなことやっとったの? 全く気付かんかった」

「う、うん……」


 ちょっと、いや、そこそこ変わった子であることは間違いないようだ。


「でもあたし、そんな解釈なんて全然知りませんでした。確かにあれは雨の日だったけど」

「歌は呪文みたいなものだよ。例え発信者が意味を知らずとも、受信者が聴き取った形で効力を発揮する。そうして知らずに妙なものを引き寄せてしまった可能性は否定できない」

「そんな……あたし、どうしたらいいんですか?」


 先生は誠実そのものという笑顔を作る。


「とりあえず今回呼び寄せてしまったものを追い払うだけなら、もっと適任の人を紹介できるよ。服部少年、案内してあげたらいいんじゃないか」

「適任の人って、百花もかさんですか?」

「そう。彼女、よく女性や子供からの相談も受けてるし、あそこ表向きは駄菓子屋だしね」


 確かに百花さんなら霊の一つや二つぐらい、すぐに何とかしてくれそうだ。

 だけど、芽衣さんはまた俯いてしまう。


「あの、ありがとうございます。でも……」

「あっ、もうこんな時間。そろそろ帰らんと、門限ヤバいことない?」

「うん……そうだね、遥南はるな


 時刻は午後六時になろうかというところ。窓の外は、もうすっかり暗い。

 門限の厳しいらしい芽衣さんはもちろん、補習と偽ってここに来ている遥南も、これ以上遅くなるのは良くない。


「お嬢さんたちだけじゃ、夜道は危険だ」


 先生がそう言い出し、四人で連れ立って駅までの道を行くことになった。


 通りには店も多く、宵闇が入り込む隙もない。だけど、その店というのも居酒屋やカラオケ、ラブホテルだったりして、女子中学生が安心して歩ける界隈ではない。


 金山総合駅南口の広場は、今日もストリートダンスやBMX(競技用自転車)のトリックを練習する若者で賑わっている。端の方にある人だかりは路上ライブだ。

 真面目な中学生にとっては未知の空気感だろう。


 大きく開けた駅舎の中へと進み入り、行き交う人を避けながら、名鉄の改札前に到着する。

 別れ際、僕は芽衣さんと連絡先を交換した。


「また都合の良い日、教えて」

「あ、はい……」


 もごもごした返事。

 事務所を出る辺りから、何となく歯切れが悪い気がしていた。もしかして、と僕は思い当たる。


「親に黙って知らん場所にあちこち行くの、不安かな」

「えっと……あの、すいません」

「いや、何となく分かるよ、大丈夫。相談に行くにしろ行かんにしろ、心配なことがあったら連絡してくれていいよ。話くらいなら僕でも聞けるでさ」


 芽衣さんは僕の顔をじぃっと見つめて、唇だけを小さく動かした。


「あ、あの……また、連絡します。ハンカチ、返したいし……」


 最後の方は視線が落ち、語尾もほとんど消えてしまっていた。

 入れ替わるように、遥南が声を上げる。


「お兄ちゃん、今日はありがとね。探偵さんも、ありがとうございました」

「いやいや、できることが少なくて申し訳なかったね」

「じゃあね、気を付けて」


 僕たちは軽く手を振り交わした。

 改札を通った向こうで人波に紛れる二人の、三本線のセーラー襟の後ろ姿を見送る。

 ふと気付けば、先生が意味ありげな表情で僕を見下ろしていた。


「何ですか?」

「いやぁ、青春っていいねぇ」


 口元がニヤついている。僕は思わずむっとした。


「面白がらんといてください。あの子、真剣に悩んどるんですよ」

「悪い悪い、別にからかったわけじゃないんだわ。以前の君を思い出しただけだよ。成長したな、服部少年」


 何もかもを見透かすような目に、ますます苛立ちが募る。

 たぶん、どうあってもこの人には敵わないのだ。


「さて、夕飯は何食う?」


 今日もまた、いつものパターン。僕は無表情のまま言葉を返す。


「ガッツリしたものが食べたいです」




 金山総合駅北口に隣接するショッピングモール内の、味噌カツ専門店。赤い化粧まわしを締めた豚のイラストでお馴染みのチェーン店だ。

 平日のせいか、僕たちはスムーズに四人がけのテーブル席へと案内された。

 ちらほらいる他のお客は全員男性。店内にはスタッフの元気な声が飛び交っている。


 待つこと十数分、僕と先生はわらじみたいなサイズの味噌カツと対面した。

 盛られた千切りキャベツも、その巨大なトンカツを支えきれてはいない。衣全体に染み渡った味噌ダレは、皿の底をも浸している。


「いただきます」


 カツは程よい歯応えで、中がじゅわっと熱かった。味噌ダレは見た目よりもあっさりしており、豚肉の脂の甘さが引き立つ。


「カツを味噌ダレに死ぬほどひたひたにしてから食うとヤバいな」

「米が無限に進みますね」


 二人して語彙力の低下した感想を言い合ってから、黙々と食べる。

 からし、すりごま、七味唐辛子。薬味を加えて味の変化を楽しみつつ、白飯を掻き込む。ごはんがおかわり自由なのが嬉しい。


 食事が終わったころ、僕は今日の話について疑問を口にした。


「先生、今回の場合、怪奇の起こる条件ってどうなんですか。霊感のある毛受めんじょう 芽衣さんと、歌に引き寄せられた霊的な存在はいいとして、『場』は?」

「学校で視えるって話だろ。閉鎖社会は『念』の吹き溜まりになりやすいでな」


 それは分かる。


「でもあの子、今までそんなにはっきり視えたことはなかったって言ってましたよね。学校なんて毎日通っとるのに、いきなり視え方変わったりします?」

「おっ、なかなか鋭いね。多感な時期は精神が揺らぎやすいもんで、霊的な力も安定しない。何かの拍子に思いがけず力が強まるケースは結構あるよ。本人に自覚がなくてもな。あのお嬢さんの場合はどうだろうな。内的要因か、外的要因か、あるいはその両方か」


 先生が座り姿勢を変えた。テーブルの下で脚を組み替えたのだろう。


「彼女ら、S学園中学だろ」

「そうですよ。S学に何かありますか?」

「最寄り駅は車道くるまみちだ。桜通線の」

「そうです。何か心当たりでも?」

「実は、別件が同じ辺りなんだよ。百花さんが調べとるやつ」

「百花さんが?」

「うん。近い場所で連鎖的に怪異が起こることは割とある。『場』が乱れてまうんだろうね。だもんでどっちみち、話だけは百花さんにしとくわ」


 確かに、このところ市内で妙な事件が多いと百花さんが言っていた。

 それにしても、だ。


「仲良いですよね、百花さんと」


 先ほどの意趣返しというほどではないけれど、ずっと薄っすら気になっていたことでもあった。八竈やがま神社の一件では、二人はやけに息が合っていたように思えた。

 しかし。


「まぁ、長い付き合いだでな」

「へっ? つっ、付き合っとったんですか⁈」


 まさか、そんなふうには全然見えなかった。

 先生は一瞬きょとんとした後、盛大に吹き出す。


「ははは! 違う違う、遠い親戚なんだよ、俺たち。ハトコ同士でさ。あれ、言っとらんかったっけ?」

「は? 聞いてないですよ! なんだ、ハトコかぁ」

「うわ、何その『つまらんこと聞いた』みたいな顔」


 言われてみれば、先生と百花さんには似た雰囲気がある。似合いの男女に見えたのも、当たり前のことだったのだ。


「ともあれ、せっかく服部少年がやる気なんだ。我が助手へのアドバイスくらいなら、俺もやぶさかじゃないよ」

「……ありがとうございます」


 やはり気障きざだし、まだるっこしい。でも、何だかんだで手伝ってくれる。

 だから僕も、この時は割と楽観視していた。まさか、この一件があんな顛末を辿るとも知らずに。

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