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1.人の形をした




 紫煙に燻され、零れた酒が染みになり、手垢や皮脂で磨かれた、飴色樫のカウンターテーブル。


 満遍なく臭くて汚い中小探索者ギルド『欲深き(フェイクディア)鹿擬き(・グリーディ)』の中では唯一、長年にわたって丹念に手入れされてきた場所である。


 ひょっとすれば、そこいらのギルド構成員たち以上に愛情持って取り扱われてきたカウンターテーブル。


 それゆえ、今しがた凹み傷が付くほどの乱暴さで大事な天板に荷物を置いた探索者に、小柄で男勝りな受付嬢のゴアが食って掛かるのにも無理は無かった。


「ば、馬ッ鹿野郎ォ!!? てて、てンめェッ!!!! なんつうこ、と、……を」


 ワイワイガヤガヤと品性のないホールは、聞く耳を持たぬ探索者たちで満たされている。だが、そんな彼らは、儲け話とカウンターテーブルに乱暴を働く音にだけは敏感である。


 前者に関してはともかく。迷宮探索者とはそういうものであるのだから、ともかくとして。


 皆、あの側頭部に剃り込みを入れた受付嬢が恐ろしいのだ。なるべく件のカウンターだけは丁重に扱おうと心掛けているのである。


 そんなホールが静まり返るほどに大きな音を立てて何か物が置かれた音、そして不自然に途切れたゴアの怒号に妙な胸騒ぎを覚えた探索者たちは、いったい何事かと音の発生源の方を見た。


 そして彼らは、普段ではとても考えられないような光景を目にしたのであった。


「なっ、なっ、何だよォ……!! ナンか言えよォ……!!!!」


 まるでネコ科動物の威嚇が如く、うなじの髪を逆立てて唸るゴア。小動物であれど、苛烈なまでに勇敢で獰猛ならば、大型獣すら退ける。


 だが、今日の威嚇はいつもと様子が違う。


 狩場に侵入した部外者を追い出す肉食獣の苛烈さというよりかは、我が子を嬲り殺しつつある高次捕食者に対し、怯えながら辛うじて懇願の声を絞り出すような威嚇なのである。


 なんなら、涙目になっているのが見て取れる。


 まあ、それにも無理は無いだろう。


 なんせ、脅威本位で目を向けた者共は、すぐさま自らの行為を後悔することとなったのだから。


 『どういうことか?』、簡単な話だ。


 ゴアの前には、女の形をした“理不尽”が突っ立っていたのだから。


 まず目に入るのは、迷宮猩々の毛皮が如くボサボサに伸ばされた、土気色の長い髪である。否、毛色が土気色なのではない。本来の深淵のような漆黒が迷宮の土によって汚され、茶色の斑を生み出しているのである。


 野獣の(たてがみ)が如きその髪を割るように、ゴツゴツと3つの突起が飛び出している。そのうち2つは、この女の、とても女のものとは思えないような肩である。ミッチリと筋肉が載った関節から伸びる腕もまた、ギッチリと肉の鎧に覆われている。申し訳程度に関節を覆う肘あては、金属製であるにもかかわらず、情けなくボロボロに擦れている。


 残りの1つの突起は、これまた武骨で野蛮げな1本の大剣の柄である――実は筆者、現在はこの女の背面側について述べている所である。したがって、大剣は女のゴツゴツと広い荒野じみた背中に負われているのである。四面獅子竜の骨をあしらった荒々しい鞘に収まり切っていないその業物の刃は、これまでに吸ってきた獲物の血液が如く赤く染まっている。


 忌々しき刃の中ほどまで背中を辿ってみると、女の肉体とは別の意味で無骨な鎧にぶち当たる。まるで、甲冑を無理矢理引き裂いて履いたかのような金属製の鎧が、尻や股間だけでなく、腕と同じぐらい鍛えられているであろう脚部全てを覆っている。


 逆に、上半身前面側へと視点を戻してみよう。


 異様なほどにガッチリと防御を固められた下半身とは打って変わり、上半身は露出が多いと言っても過言ではないほどだ。

 着けられた防具は、大きく膨らんだ鋼の胸当てと、少しばかりそこから覗いているインナー、襟元を覆うボロ布じみたスカーフぐらいのもの。


 総じて筋肉質な肉体に対して大きすぎるのではないかという程の乳房の持ち主であるが、それを性的に捉えることは、すぐ下にあるパーツが許さないのである。


 そう、なんと言っても、腹なのである。剥き出しの腹は、いや、剥き出しの腹筋は、まるで自身こそが下半身の鎧の延長なのだと主張しているかのようだ。6パックなんぞという言葉があるが、ここまで鍛えられた腹筋であれば、それぞれが独立しており、『まとまり』として見るのが難しいほどである。

 これを見れば、まあ、鎧などというものは『甘え』なのだろうと納得せざるを得ない。


 誰が言い出したか、『インゴット』。精錬された金属の塊を腹部にひっ下げたかのような、生物としての違和感すら覚える腹筋にちなんだ、この女の通り名である。


「……」


 『インゴット』の女探索者、アラン・E.C.は、迷宮の土色に塗れた長い前髪を少しだけ払うと、そこから覗かせた刃が如き右目で、ギン、と受付嬢を射貫いた。


 視線を向けられたわけでもないのに、ホールに居た探索者たちは震えあがった。


 この中に一般人が紛れ込んでいたならば、失禁しながら気を失っていたかもしれない。

 さすがにそれほどの根性無しは居なかったようだが、下級の探索者の何名かは、じりじりと出口の方へと避難を始めた。


 脂汗を垂らしながらも勇敢に理不尽を睨み返していたゴアであったが、全身の震えばかりはどうしようもない。カタカタと音を立てていたのが、己が足に触れていた椅子の音であったことに今しがた気付いたところである。


「な、なんだヨォッ! 怖くぁねえぞ、このデカアマァ!! な、なんかッ……! なんかッいッ言ってみろよォォッ!!!!」


 気付きついでに、アランと睨み合ってはや1分が立っていたことに気付いたゴアは、なんとか自分の前からこの高次捕食者を追っ払うべく、キャンキャンと吠えたてた。


 それを受けても無言のままのアラン。ただ、返答の代わりか、その割れガラスのような目つきをさらに鋭く研ぎ、眉根を動かしたのだった。僅かに動いただけの眉毛が、内心で渦巻く残酷な烈火の熾りを示しているかのようだった。


「あ、あ、ああ……」


 今から。


 今から自分は殺されるのだ。


 もはや虚勢を保つことが出来なくなってしまったゴアは、現在進行形で握り締められているかと錯覚しつつある喉に激励を送ろうとして、ただ壊れたかのような声を漏らすばかりである。


 自分を睥睨する暴君にただ一言、来訪の目的を答えさせられればいいだけなのに、それすら叶わない。それどころか、そんなつまらない事のために、自分は殺されてしまうのだ。


 ふと思い出したのは、幼き頃に死別した母の顔。善人とは言えなかったし、いやなことがあると幼い自分にも暴力を振るってきたが、時折見せる柔らかい笑顔と、特製のミルクセーキが好きだったっけ。


 碌な母ではなかったが。

 そして自身も碌な人間ではなかったが。

 いつかは母のように『母』をしたかったっけ……。


 目を見開き、涙を流しつつ、そんなことを考えて来たる時を待つしかないゴア。


 そんな彼女の様子に何を思ったのだろうか。こともあろうに、『インゴット』のアランは、笑ったのだ。


 ニタリ。


「フィヒ、ちょ、ちょっと。待つでござるよ、長殿」


 と、ここで新たな声が現れる。腐敗地獄へと繋がる洞窟から響いてくるが如く低くて陰気な男の声は、毒キノコの毒のようにホールの動きを麻痺させた。


 いつの間にだろう。


 真っ黒な影のような外套に身を包んだ、これまたのっぽな男が、アランの鋼のような肩に手を置いていたのである。顔は完全にフードに覆われているため全く見えないが、袖口から覗く彼の手は、冷ややかな指輪の光沢を加味しても幽鬼のように細くて生気が無かった。


「て、テメエは……ッ、フィアーズ……ッ!」


 『死神』、フィアーズ。この男の名である。


 どこからともなく影のように現れ、いつの間にかいなくなっている。彼の戦闘場面を見たことがある者はほぼ居ないが、数少ない目撃者たちは揃ってこう言うのだ。


 『奴は魂を食らうのだ』、と。


 通り名は無論、そこから連想されたものである。死神のように現れては消え、魂を刈り取る、生気のない男。まさに死神ではないか。


 そんな人間かどうかすら分からないフィアーズだが、実の所、きちんと探索許可を得て活動している探索者である。あまり顔を出さないので知らない者も多いが、意外にも所属はこの『欲深き鹿擬き』である。


 そして、先ほどの彼の言葉から察せられる通り、アランもこのギルドの構成員であり、そして、フィアーズも所属する小規模探索者チームの長をやっているのである。


「……ん」


 フィアーズが何らかの力を使ったのか、ここでようやくアランが声を発した。意外にも少女じみた声である。


 たった1文字。


 たった1文字が発せられただけであるのに、ゴアの身は金縛りから解かれたかの如く、自由になった。怖れによる呪縛が呼吸すら減らしていたので、彼女は逃げるよりも先に、慌てて息をしようとして咳き込んだ。


「だ、大丈夫でござるか? ヒヒ、拙者が作ったもので良ければ、こ、こんなものがござるが……」


「い、要らねえッ!!」


 『死神』が、いつの間にかゴアの手に何かを握らせていた。慌ててそれを振り落としたゴアは、何やらベタベタと濡れた真っ黒い球体がコロコロと棚の下へと逃げていくのを見た。

 得体のしれないものに触れていた我が手をじっと見た彼女は、ぞわりと全身に粟肌を立てた。


「……ん」


 再びアランが声を発する。僅かとはいえ、今度は明確な怒気が込められていた。


「ひっ…………、えっ?」


 素の悲鳴を漏らしつつ、涙に滲む目線を手のひらから正面に戻したゴアは、ふと、アランが左手の人差し指を下に向けていることに気付いた。


 地獄に堕ちろと言う意味なのだろうか。


 ふらりと気が遠くなってくる。

 頭がガクンと揺れる。

 目を半開きにしたまま意識を失いそうになる。


 失われつつあった意識の半ば、ふと半開きの視界の端に何か白いものが映る。あれはなんだ、何かの骨か。もう地獄に着いたのか。


 否、骨にしてはどうも綺麗な四角形をしているようだ。


 そう気付いた時、ゴアの意識は急激に引き戻された。


「……依頼、……行ってきた、よ。」


 ボソボソとそう呟いたアランは、カウンターの上に置かれた重たそうなカバンを開くと、白い依頼書に書かれていたとおりの薬草をゴアの前に並べたのであった。


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