引きこもりの俺が双子の弟の代わりに学校に行ってみた。隣の席に座ったのが元カノだったので、即バレした
『好きです。私と付き合ってくれませんか?』
画面の中で秘めたる想いを口にする美少女に向かって、俺・陸奥一也は舌打ちをした。
俺は今、告白されている。しかしそれは同級生に放課後呼び出されてのものではなく、幼馴染に下校中さり気なく言われたわけでもなく。
この美少女は現実の人間ではなく、作られた存在。俺は今、ギャルゲーをしているのだ。
エンディングまで辿り着けたのは喜ばしいことだが、しかしながら所詮はゲームなので定めれた攻略法通りにプレイしていけば、誰でも美少女に告白して貰える。
例えば俺みたいな引きこもりの男にだって。
俺は現在、17歳。世の中の17歳の大多数は、高校に通っているか既に就職しているかのどちらかだろう。
しかし俺はそのどちらでもない。
俺は約1年前から、余程のことがない限りこの部屋から出なくなっていた。
俺が引きこもりになった原因は、中学時代にある。
当時の俺はそこそこ勉強も出来ていたし、運動だってそれなりだったと自負している。
コミュニケーション能力が低いわけでもなく、そして何より……彼女がいた。
彼女と二人で登下校しているといつも周囲から「やーい、リア充め」と揶揄されるわけだが、その揶揄いすらも心地よく思えて。
俺にはきっと、彼女しかいないのだろう。中学生ながらそう考えてしまうくらい、俺は彼女にベタ惚れだった。
しかし中学卒業を控えたある日、俺たちの交際に突然終止符が打たれる。俺は一方的に別れを告げられたのだ。
俺が何かしたのか? それとも彼女に他に好きな男が出来たのか? フラれた理由は今でもわからずじまいで。
その失恋をズルズルと引きずって、俺は最終的には引きこもるようになったのだった。
ギャルゲーを1つクリアして、次はアクションゲームでもしようかなと思っていたところで、部屋のドアがノックされる。
ドアを開くと、部屋の外には俺と瓜二つの少年が立っていた。
ジャージ姿の俺とは異なり制服を着ている彼は、弟の二郎だ。
二郎が「おはよう」と挨拶してきたので、俺も彼に「おはよう」と返した。
「二郎が俺の部屋を訪ねてくるなんて、珍しいな。いつもはメッセージで済ませるのに」
「たまには顔を合わせたくなっただけさ。……あっ、変な意味じゃないからね。だからそのあからさまに嫌そうな顔やめて」
良かった。てっきり弟が実の兄に変な感情を持っているのかと思ったぜ。マジで鳥肌が立った。
「それで、何の用だ?」
「用っていうか、ちょっと提案なんだけどね。……兄さん、学校に行かないか?」
「断る」
俺は即答した。
外に出ることすら敬遠しているというのに、どうして学校になんて行けようか? 第一俺は受験していないので、どこの高校にも在籍していない。
「まぁ、そう言わずに話だけでも聞いてよ。……ゴホゴホ」
「もしかして二郎、風邪を引いたのか?」
「まぁね。試験前で疲れが溜まったのかもしれないね」
徹夜で勉強した結果、体調を崩してしまったわけか。……うん、その気持ちわかるぞ。俺も徹夜でゲームして、翌日体調を崩すことがあるからな。
「で、話の続きなんだけど……風邪を引いた僕の代わりに、兄さんが学校に行ってくれないかな?」
話を聞くと、なんでも今日の授業ではテスト範囲を総復習するらしい。高得点を取る為には、出席必須の授業みたいだ。
「兄さんに授業を聞いてくれとは言わない。せめてノートを取るくらいは、頼まれてくれないかな?」
「お願い!」と全力で俺に頼み込む二郎。
二郎が毎日勉強を頑張っているのは知っているし、何より俺の弟だ。力になってあげたい。
でも、学校に行かないといけないんだよなぁ。
悩んでいた俺だったが、最終的に根負けして二郎のお願いを聞くことにした。
◇
数年ぶりに制服に身を包み、「いってきます」と俺は家を出る。
窮屈なネクタイも、無駄に重い鞄も、どこか懐かしく思えた。
学校に着くと、多くの生徒が俺に挨拶してくる。二郎のやつ、友達が沢山いるんだな。
無視するわけにもいかないので、俺はぎこちなくも「おはよう」と返す。
二郎の在籍しているクラスは、2年D組。座席は窓際の一番後ろだとか。
事前情報の通り俺は2年D組の窓際一番後ろの席に着いた。
席に着くなり、前の座席の男子生徒が振り返り、俺に話しかけてきた。
「おーっす、二郎」
「おっ、おう。えーと……」
そういえば、「前の席に親友がいる」って二郎が言っていたな。名前は確か……
「高橋!」
「佐藤だよ。親友の名前忘れんなよ」
苦笑しながら、佐藤は訂正する。よくいる苗字だということは覚えていたのだが……惜しくも間違えてしまった。
「昨日体調悪そうだったから心配していたけど、取り敢えず大丈夫そうだな」
「心配してくれてありがとう。この通り、ピンピンしているよ。よく言うだろ、バカは風邪引かないって」
現在俺は二郎ということになっているので、俺は彼の口調を真似しながら佐藤に答えた。
「バカって……学年次席の秀才が、何言ってんだよ?」
……え? 俺の弟は、そんなに頭良かったの?
今まで学校の話なんてしてこなかったから、全然知らなかった。
「ところで石川」
「だから佐藤だよ。お前、わざとやってんだろ?」
そんなことないさ。本当に間違えているんだよ。
などとは勿論言うわけにいかないので、俺は「バレたか」と笑って誤魔化した。
「今日の1時間目って、何だっけ?」
「1時間目は数学だな。宿題はなかった筈だぜ」
数学、か。言われて数学の教科書をパラパラめくってみたけれど、何が書いてあるのかさっぱりわからない。
これはアレだな。下手に理解しようとせず、先生の板書を全て写した方が良さそうだな。
願わくば、「この問題を解け」と指されないことを祈ろう。当然俺に解けるわけがなく、その場合二郎の面子を潰すことになる。
俺が佐藤と会話をしていると、隣の席の生徒が登校してきた。
「おっ、お隣さんがお出ましだぜ。相変わらず綺麗だよな」
そんなに綺麗な女の子なのか。
興味本位で隣を見て、俺は心底驚いた。
「まさか彼女の名前もど忘れしたなんて、そんなことはないよな?」
「……あぁ」
忘れるわけがない。というか彼女のことならば、二郎に教えて貰わなくたって知っている。なんなら、二郎以上に。
俺の隣に座った女子生徒・佐渡美歌は――俺が引きこもる原因となった、元カノだった。
◇
弟の代わりに登校したら、まさか元カノと再会するなんて。そんな偶然、俺のプレイしているギャルゲーでだって起こりはしない。
美歌と別れて1年と少し。当時は幼さの残っていた彼女も、見ないうちに大人の女性へと成長している。
元々容姿も性格も好きだから付き合ったのだ。一層美しくなった現在の美歌に、胸が高鳴らないわけもなかった。
俺が美歌をジーッと見ていると、どうやら彼女もその視線に気付いたようで。キッという鋭い視線で、俺を睨みつけてきた。
「……何ジロジロ見ているんですか?」
……その塩対応、懐かしいな。美歌と初めて出会った時も、同じように「何見てるんですか?」って言われたっけ。
「いや、別に深い意味はないよ。「おはよう」って挨拶しようとしただけで」
「そうですか。……見られるのはあまり好きじゃないんで、やめて貰えると助かります」
俺だって、これ以上凝視するつもりはないさ。
美歌は俺の元カノだ。俺のことを、家族と同じくらい熟知している。
そんな彼女なら、俺が二郎ではないことを見抜くかもしれない。それだけは、なんとしても避けなければならなかった。
隣席が元カノだったという事実には驚きを禁じ得ないけど、それは「授業内容を正確に板書する」という任務には何ら関係ない。
美歌もまさか俺が二郎と入れ替わっているだなんて想像もしていないだろうし、積極的に話しかけるような真似をしなければバレる心配もない。
授業が始まるまでの時間は、俺は佐藤と会話することで終始二郎として振る舞っていた。
俺との会話の最中、突然佐藤が佐渡に話しかける。
「佐渡さん、どうしたんだ?」
佐藤につられるように俺も美歌の方を見ると、彼女は鞄の中を漁っていた。
「ないなぁ」と呟いているので、何かを探しているのは明白だ。表情から察するに、探しているのはとても大切なものなのだろう。
「実はスマホが見当たらなくて。いつも鞄の中に入れている筈なんですが……家に忘れてきてしまったんでしょうか?」
案の定、探していたのは個人情報の塊とも呼べる超重要な代物だった。
現代社会において、スマホがないと生活出来ないと言っても過言ではない。
スマホをなくしたのは美歌自身の責任だし、俺が手伝う道理もない。そう思っていたんだけど……必死でスマホを探す彼女を、段々と見ていられなくなった。
……仕方ない。元恋人のよしみで、少しくらいなら助言をしてやるか。
俺は辛うじて美歌に聞こえるくらいの声で、ボソッと呟いた。
「どうせまたスプリングコートのポケットに入っているんだろ」
付き合っていた頃の話だ。デートの時も、美歌は時折スマホをなくすことがあった。
結論から言えば、その直前にツーショットを撮っていた為、そのままスプリングコートのポケットにしまっていた。今回もそれと同じだと考えたのだ。
あくまで、予想だが。
美歌がスプリングコートのポケットに手を入れると、果たして……スマホはあった。
スプリングコートの中なんて、ちょっと考えれば想像出来るだろうに。
美歌は物をしまう場所を決めている。例えばスマホは鞄の内ポケットとか。
だからたまに別の場所にしまうと、わからなくなるのだ。そういうところは、本当に変わってないのな。
発見したスマホと俺を交互に見ながら、美歌は呟く。
「……コートの中にあるって、よくわかりましたね」
マズい! つい答えてしまったけど、よくよく考えてみたら二郎が美歌の癖を知っているのは不自然だ。
物を決まったところにしまうという癖は、俺・一也だから知っているわけであって。これでは俺が二郎ではなく一也だとバレてしまう。
「一般的にな! 一般論として、間違ってコートに入れている人もいるなーって。いや〜、まさか本当にあるとは思わなくて、驚いたよ」
「アハハハハ」と、俺は笑って誤魔化す。
「そうですか」と答えたものの、美歌は明らかに不審がっていた。
やはり接触を重ねれば、それだけボロが出る可能性が高い。
今日一日、美歌とはこれ以上関わらないようにしよう。俺は強く誓うのだった。
◇
しかしながら、その誓いも早々に破られることになる。1時間目の休み時間、美歌の方から俺に話しかけてきた。
「陸奥くん、少しよろしいですか?」
「えーと……何か用かな?」
「用があるから呼び出しているんです」
「断るという選択肢は……」
「あなたに拒否権はありません」
美歌の目は、さながら獲物を前にした肉食動物のようだった。あっ、この女逃すつもりがないな。
こうなった美歌には何を言っても無駄だ。俺は諦めて彼女の呼び出しに応じることにした。
美歌に連れてこられたのは、空き教室だった。
誰もいない教室で二人きり。そんなシチュエーションでも、不思議とこれっぽっちもドキドキしない。
……いや、ドキドキはしているか。
しかしこれはラブコメ的なそれではない。俺の正体が暴かれるのではないかという、サスペンス的なドキドキだった。
美歌は黒板の前に立って、俺に尋ねる。
「中学の修学旅行、覚えていますか? 私があなたのベッドに忍び込んで、愛を育み合ったあの夜のことを」
「え? 何のこと?」
このタイミングで中学の頃の話を持ち出すとは……間違いない。彼女は俺が二郎ではなく一也だと疑っている。
そしてその疑念は、かなり大きなものなのだろう。
恐らく美歌は、俺が口を滑らすのを狙っている筈だ。
中学の修学旅行で美歌が俺のベッドに忍び込んだ。そんな事実はない。
しかし「そんな事実はない」と答えるということは、中学の修学旅行で美歌は俺のベッドに忍び込んでいないという事実を知っていることになる。
そしてそれは、俺が二郎でないと認めたことにもなるのだ。
だからここは、「何のこと?」とすっとぼけるのが最適解である。
美歌め、ザマァみろ。お前の張ったチンケな罠くらい、俺は簡単にすり抜けてみせる。悪いが二郎の為にも、俺はすり替わっている事実を露呈するわけにはいかないのだ。
「そうですよね。あの時は避妊具がなかったんで、エッチするのをやめたんでしたっけ」
「そもそも避妊具持ってっていなかったけど!?」
あっ、ヤベェ。
衝動的に答えた後で、俺は自身の失態に気がつく。
美歌は初めから二重の罠を仕掛けており、油断した俺はまんまとその罠にはまってしまった。
「……やっぱり、あなたは一也くんでしたか」
「……はい」
「どうして陸奥くん……陸奥二郎くんの代わりに学校に?」
「それは――」
サボりだと誤解されては、二郎の沽券に関わる。俺は素直に事情を説明した。
「――というわけなんだ。だから頼む! 俺と二郎が入れ替わっていることは、内緒にしてくれないか?」
俺は美歌に頭を下げる。
幸いなことに俺が二郎ではないと気付いているのは美歌だけ。美歌が黙っていてさえくれれば、今日一日俺は二郎として過ごせる。
二郎の名誉の為ならば、俺のプライドなんて発泡スチロールの如く軽いものさ。
「別に構いませんけど……一つだけ条件があります」
「何だ? 靴でも舐めれば良いのか?」
「汚いのでやめて下さい。……私をフッた理由を教えて欲しいんです」
フッた? 美歌は何を言っているんだ?
お前が俺をフッたんじゃないか。
卒業直前のデートの日、俺たちは駅で待ち合わせをしていた。
朝10時の約束。だというのに……美歌は何時間経っても現れなかった。
だから悟ったのだ。俺は捨てられたのだと。見限られたのだと。
そして……他人と関わり捨てられるのが怖くなり、引きこもるようになった。
「俺はお前をフッてなんかいない! あの日だって、俺は待ち合わせ時間の5分前には改札前にいた!」
「嘘つかない下さいよ! 私なんて10分前に改札前にいましたよ! 改札を出たところにあるコーヒーショップで二人分の飲み物を買って、あなたを待っていたんです!」
「……ちょっと待て。コーヒーショップ?」
おかしいぞ。俺の待っていた改札付近に、コーヒーショップはなかった。
新たな事実が判明したところで、俺たちはあの日のすれ違いに気がつく。
どちらかが嘘をついているわけじゃない。どちらかがフッたわけでもない。
真実は……駅には改札が二つあり、俺たちは互いに別の改札で相手のことを待っていたのだ。
俺も美歌も、何時間も待った。だけどそりゃあ、来るはずない。
当時俺は携帯を持っていなかったので、連絡を取る手段もなく、そして勝手にフラれたのだと思った。
「……二人とも、誤解していたということですか」
「あぁ。俺もお前も、勘違いして裏切られたと思った。互いのことが大好きだったからこそ、そのショックも大きかったんだろう」
「……ねぇ。今でも私のこと、好きだと思ってくれていますか?」
俺は美歌にフラれて、引きこもりになった。そして引きこもり生活は今でも続いている。
それはすなわちそれくらい彼女が好きだったということで。いや、今でも好きだということで。
「……悪いかよ」
「悪くないわよ。でも、嬉しい」
頬を赤らめながら、美歌は言う。その表情を見て、俺は「あぁ、やっぱり好きだな」と再確認するわけで。
高校生活、か。
まだ一日すら経験していないけど、案外悪いものじゃないのかもな。
取り敢えず今日から勉強すれば、二学期が始まる頃には編入出来るかな?
出来れば2年D組が良いな。願わくば……美歌の隣だと、この上なく幸せだ。