琉球桃太郎
結婚して15年にもなるが光蔵夫妻には子が無かった。神にも仏にも子宝祈願をしたが、妻が妊娠する事は無かった。そんなとある春の日の朝、その子は2つの桃と一緒に光蔵邸の玄関前に捨てられていた。光蔵は豪商で子供を欲しがっていたので、その子の親も光蔵なら子供を可愛がってくれ、ひもじい思いをさせる事もないと思ったのかも知れない。光蔵夫妻はその子に桃太郎と名付け、実の子のように慈しみ深く育てた。桃太郎は何一つ不自由する事なく立派な少年に育ったが、13歳の秋の夜、自分の剣術の師を嘲る21歳の男を木刀で殴り殺してしまい、故郷を追われる事になってしまった。桃太郎はほうほうの体で琉球に渡り24歳まで港湾労働者として汗水を垂らし働いていた。琉球の言葉も習得し琉球の妻も貰い貧しいながらも充実した生活を送っていた頃、琉球国王が護衛係を選出する為の剣術大会を開催するという話が耳に入って来た。13の秋のあの夜を最後に剣術の道からは遠ざかっていた桃太郎だったが、今でも腕には自身があった。妻のカマドは反対したが桃太郎は剣術大会に出場する事にした。出場者は厳選された16人、4連勝すれば良いだけだ。武器は真剣ではなく木刀だが防具はなく死とは隣合わせの戦いだった。大会当日の朝、カマドは泣いて桃太郎を引き止めたが、桃太郎は「大丈夫だよ、俺は強いから」と微笑み、カマドを強く抱き締めた後、闘技場に向かった。
苦戦した試合もあったが桃太郎は見事4連勝を飾り優勝した。親衛隊長桃太郎の誕生である。桃太郎は国王の護衛に当たる事になり、国王からの覚えもめでたく、また卒なく親衛隊長の役目を果たしていた。しかし28歳の時、国王の側室との密通が露見し処刑されてしまった。残されたカマドは桃太郎の命日に腐った2つの桃を桃太郎の墓に供え続けたという。