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月ごよみ隠れ里奇譚  作者:
異伝 狩人たち

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薫子

「薫子、大丈夫?」


 その声に、私ははっと我に返った。

 目の前の男の子は、少し眉をひそめて、私の顔を見つめている。その心配そうな表情に、肩の力が抜けていくのが分かった。


「……少し、休憩しようか」


 中2の春休みの宿題が広げられたテーブル。はす向かいに座っていた椅子を引いて、彼は身軽に立ち上がる。

 しばらくして戻って来た彼の手元には、湯気を立てたマグカップが二つあった。


「眠れてないの」

 カップを渡されながらつぶやくように言われた、さりげない言葉にぎくりとする。


「どうして」

「顔見れば、分かるよ」

 彼はカップに目を落としたままぶっきらぼうに言う。

 私は何も言えず、渡されたカップに口をつけた。たっぷりミルクの入った、甘めのロイヤルミルクティー。私の一番好きな飲み物だ。


「……おいしい」

 思わずつぶやくと、ふ、と微かな笑い声がする。

「そういう、顔、してる」

 思わず赤面する私に、相変わらず淡々とした口調で、彼は続ける。


「……お墓参り、行きたくないなら、そう、言った方がいいよ」

「え」

 どうして分かったのだろう。


「去年、帰ってきた後、様子、おかしかったからさ」

 わざとなのだろう、少し荒っぽい動作で頬杖をつき、彼は私の目をじっと見る。

「辛いことをわざわざ、することない。墓は逃げやしない」

 その言い草に、私は思わず笑ってしまう。


「……一緒に、行ってくれる?」

 思ってもみなかった言葉が自分の口から飛び出し、私は思わず唇をかむ。

 彼は数回まばたきし、それからこともなげに答えた。

「もちろん。……君が、そう、したいなら」




「あれから、8年か」


 私は、墓石の前にしゃがみながら、独り言ちる。


 10年前。ある日突然、当たり前にあった日常が、当たり前にいた家族が、消えてしまって。でもその時、それは日本中のあちこちで、数限りなく起こっていて。どれだけ泣くことが許されるのか、それも分からなかった。


 そこから与えられた、新しい日常。家族のような、そうでないような、不思議な距離感の人たち。

 そんな日々の中で、もし私が、自分をまるごと受け入れてくれる人たちと、もう一度出会えたと実感できた瞬間があったとしたら、それは、2度目のお墓参りを決めた、あの14歳の、冬の終わりの夕方だった。

 彼は――げん君は、もう、忘れているかもしれないけれど。



 あれから、色々なことがあった。それでも、私たちはまだ、隣にいる。そして多分、願わくば、これからも。

 2021年3月11日、私は、かつての私の家族たちの前で、静かに手を合わせる。





 私が、事故で家族を失ったのは、小学校6年生の終わり、3月のことだった。そこからしばらくのことは、正直、あまり良く覚えていない。

 私の前に、突然、大きな男の人が現れて、私はその人に連れられて、東京で暮らすことになった。それまで地方都市でのんびり暮らしていた私の世界は、何もかも、変わってしまった。


 当時は考える余裕もなかったけれど、今思えば、私立の中学校に、面接だけで編入できたのにも、きっと()()の力が関わっていたのだろう。とりあえず、そこは優しい人たちばかりの、穏やかな環境だった。



 きれいな目をした男の子だな、それが、源君への、私の第一印象だった。

 時夫さん――私を引き取ってくれた、大きな体のお兄さん――に連れられて、お隣に引っ越しのあいさつに行ったとき、彼は一人で私たちを出迎えた。


 明日から、一緒に学校に行こう。編入の日、一緒に帰ってくれながら、彼はこともなげに言った。中学1年生、周りのこともいろいろ気にする男の子が多い中、彼は、全く躊躇なく、私にいつも優しくしてくれた。

 

 時々、泣いてしまうことはあったけれど、私の心が大きく損なわれずに済んだのは、間違いなく、時夫さんと、源君のおかげだった。

 私が泣いてしまったとき、泣き止むまでじっと、隣に座って窓の外を眺めてくれていた彼の、テーブルの上に置かれた左手の映像を、私は今でも、はっきりと覚えている。



 私が初めて、源君を、家族のような人、から、それ以上の人、と意識したのは、高校1年生の春だった。私たちは、持ち上がりで同じ学校の高校生になっていた。


 これからは、一緒に、登校するのは、やめにしよう。

 高校の入学前の春休み、源君は私にそう言った。


 少し前から、彼の様子が変わったのは、気付いていた。時夫さんは、その春、中学の先生を辞めて、剣道の道場を開いたのだが、源君は、春休み中ほとんどずっと、その道場に通い詰めていた。

 時夫さんは必ず3人分の夕食を作るし、源君は夕ご飯にはこちらの家に来てくれるけれど、後片付けを済ませると、すぐに自分の家に戻ってしまう。二人で長く話せる時間は、なくなっていた。


 私たちは、ただ家がお隣同士の、男の子と、女の子。いつかは、こんな時が来るかもしれないとは、思っていた。でも、何故だか私の胸はキリキリした。

 学校で、同級生の女の子と話す彼の横顔が微笑むのを見た時、私は、どうして自分の胸が痛むのかの理由が分かった。


 このままこんな形で、ゆっくり心が離れて行ってしまうのだけは、嫌だった。

 私は、自分の気持ちを伝えると、決心した。



 蝉の声がうるさいくらいに降り注ぐ真夏の木陰で、私の前に立った彼はひどく、固い顔をしていた。


 高校1年生の夏休み。私は、なかなか声をかけることもできなくて、彼と1対1で話す機会すら、作ることができないでいた。

 もう、無理やりにでも、押しかけるしかない。

 私は、初めて一人で時夫さんの道場に向かった。源君は、そこで一人で、素振りをしていた。やっぱり声がかけられなくて、私はその背中を、黙って見つめていた。


 ふいに鋭い表情で彼が振り向き、それからその瞳が驚きで丸くなる。


「どうしたの」

「……話したいことがあるの」


 私の言葉に、彼は微かに顔をしかめる。

 それだけで、私の胸はずきりとする。

 それでも。

 この気持ちを伝えないで、後悔することだけは、嫌だった。


 久しぶりに正面から向かい合う彼の顔は、真夏の木漏れ日に、まだらに彩られている。額に浮かぶ汗が、キラキラと光っていた。

 いつの間にか、彼の背丈は、私が見上げるほどになっていた。

 初めて会った時と変わらない、美しい瞳。


「……どうしたの」

 たずねる彼の声は、なぜか少し、息苦しそうだった。


「源君。私、……あなたが好きです」


 彼の顔がはっきりと歪んだ。

 私はうつむいて、涙をこらえる。

 もしかしたら、今、私は、大切な何かを、取り返しがつかないくらい、ぐしゃぐしゃに壊してしまったのかもしれなかった。


「薫子」

 その声は、やっぱりはっきりと、息苦しそうだった。

「ごめん。……少し、考えさせてくれ」


 蝉の声が遠のき、私の目の前は、真っ暗になる。涙をこぼさずに、立っているのが、やっとだった。



 それから3日後、いつものように、私の家で、隣に座って夕ご飯を食べた後、自分の家に来てほしい、と、源君は私に言った。

 私はぎくりとして、それから、覚悟を決めて頷いた。

 私の向かいに座っていた時夫さんが、微かに目を細めて、源君を見つめる。

 源君は、はっきりと目を見開いて、その目を見返す。私はただ戸惑いながら、普通ではない二人の様子を見つめていた。

 しばらくして、時夫さんが、軽くため息をついて、私に言った。


「……薫子。あまり、遅くなるなよ」



 久しぶりに訪れた源君の家。ダイニングテーブルの私の前に、彼は以前と変わらない、湯気の立ったカップを置いて微笑んだ。


「ロイヤルミルクティー。……眠れなく、なっちゃうかな」

 私がカフェインに弱いのを、彼は良く、知っている。


「ううん。……ありがとう」

 落ち着かない思いで、私はカップに口をつけ、そして思わず息をつく。

「……おいしい」


 いつかのように、ふ、と彼の笑い声がした。


「薫子。俺も、君が、好きだよ」


 不意打ちのその言葉に、私は一瞬、理解が追いつかず押し黙る。

 彼のきれいな瞳は、まっすぐに私を見つめている。


「俺は、本当は、人を好きになったりしてはいけない、人間だ」

 ひどく苦しそうな彼の声。彼が何故そんなことを言うのか、私には全く、分からなかった。


「でも、……もう、戻れない。どうしても、……どうしても、好きなんだ」

 彼の両手が、マグカップを持つ私の手を包み込む。


「それなら俺は、自分の力で、それに値する、人間になる」


 私はただ、強い決意の光の瞬く、彼の美しい瞳を見つめる。

 彼が何に苦しんでいるのか、私には分からなかった。ただ、私にくれた彼の言葉に、彼の気持ちに、嘘がないことだけは、はっきりと分かった。

 いつか、彼が話してくれる時まで、私は黙って、彼のそばにいよう。

 私は静かに、心に誓った。




 2021年5月27日、満月の次の夜。


 私の目の前には、齢も背格好もばらばらな、4人の男の人がいる。

 いろいろなことがあった、とは言ったけれど、まさか出会いから10年近く経過して、心から信頼していた人たちから、これほどの爆弾を落とされるとは、さすがに想像もしていなかった。


 何となく、時夫さんたちは、隠していることがあるのだろうな、とは感じていた。卜部うらべさんに関しては、スパイか何かなんじゃないかしら、と真剣に考えたこともある。でもそれは、あくまで時々変わった発言をする二人のおじさんに対しての他人事な想像で、まさか、4人もの不思議な力を持った人たちが、自分を見守るために(それだけではないけれど)想像を絶する活動を続けていたとは、思いもしなかった。


 にわかには信じがたい話だったけれど、目の前の4人のうち2人が宙に浮いて見せてくれるに至って、その話を信じざるを得なかった。


 初めて顔を合わせた平安装束の男の人は、しれっとした表情だったけれど、ずっと私と関わって来た残りの3人は、判決を受ける前の被告人のような顔をしていた。


「……やむを得ずとはいえ、長くあなたに、この身を偽って来た。本当に、かたじけない」


 金時さんは、弱弱しくつぶやく。

 源君は、うつむいたまま顔を上げなかった。

 あの飄飄とした卜部うらべさんまで顔を真っ青にしているのを見て、逆に私は、心配になる。


「あの、皆さん、大丈夫ですか」

 その言葉に、3人は意表を突かれた顔をする。

「なんていうか……私のために、そんなに長い間、隠し事をして、お辛く、なかったですか」


 さすがに付き合いが長い分、彼らが根本的に嘘がつけない人たちなのを、私はよく分かっていた。そして、とても、情深いことも。


 3人は、言葉が出ない様子だった。


 この夜のことを、私はきっと、ずっと忘れられないだろうな。3人の大人の男の人の頬を伝う涙を目にしたとき、私はそっと思った。




 真夜中のミルクティー。カフェインのせいで、今夜はうまく眠れないかもしれないけれど、飲まなければやってらいられない。一気にカップを空にするとテーブルに置き、私は、ボスンとソファーに腰を下ろす。隣に座っていた源君が、びくりとした。


「……ひどいよ」

「……ごめん」

 甘えて彼の肩に頭をもたせかけて、わざと口をとがらせて言ってみると、こちらの胸が痛くなるくらい暗い声が返ってくる。


「冗談よ。……大変な、任務を、背負ってるのね。1000年なんて、想像もつかない」

 私はため息をつく。


「君が知らずに引き受けていたことの方が、大変だろう」

 相変わらず暗い声で、源君は言う。彼の目が虚ろに床を見つめているのを、私は哀しい気持ちで眺める。

 嘘の苦手なこの人が、10年も、私に隠し事をしながら、そばにいてくれた。


「源君は、私が巫女だから、そばにいてくれたの」

 そんなはずはないのは分かっていたけれど、彼があまりにも憔悴した様子なので、私はあえて言ってみる。ショック療法だ。

 彼は弾かれたように顔を上げる。


「そんなわけ、ないだろう」

 珍しく朱がのぼった彼の顔を、私はじっと見つめる。


「じゃあ、どうして」

「どうしてって……」


 彼は一度唇をかんでうつむいた。それから、意を決したように顔を上げる。


「薫子。俺は、どんなことでもして、強くなる。君の隣で、君を守りながら、自分の役割を全うしてみせる。あの時、そう、決めたんだ」

「あの時……?」

「君が俺に、好きと言ってくれた、あの時だ」

 

 あの、16歳の夏の日。私の胸は熱くなる。


「薫子。俺は、君を、愛している。これから何があろうとも、絶対に、それだけは変わらない」

 

 その言葉のあまりに悲痛な響きに、また、私の胸は痛くなる。

 私は黙って、彼の胸にもたれる。彼のいつもより少し早い鼓動を感じながら、彼の背中に腕を回す。

 優しく私を抱き返す彼の腕の感触に酔いしれながら、私は静かに、彼の言葉を胸に刻む。


 ――これから、何があろうとも。


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