霜月 満月 成る
「……落ち着いたか」
アロハシャツの男は、もぐもぐと口を動かしながら、クサブキさんに尋ねる。
クサブキさんは、無言で空中に座ったままだ。
彼は、透明な、水の球のようなものに閉じ込められていた。
「みんなもさあ、せっかく買ってきたんだから、食べてよ」
私たち――4人の侵入者たちと、私と、私と同じ姿をしたもう一人の女性――の前には、『紅芋タルト』が配られている。言わずと知れた、沖縄のお土産の代表格だ。
アロハ男以外、誰も手をつけてはいなかった。
私たちは何故か、結界の中の、10畳の畳の部屋で、テーブルを囲んでいた。
「悪かったよ。女の子、急に、分割したりして。……マジで茨、俺を殺しに来てたよな」
ほんと、死ぬかと思った。アロハ男のつぶやき。
「……ヨシマサ」
球の中の、クサブキさんの声は、硬かった。
「一体、何の真似だ。尋常に勝負せよ」
「や、とりあえず話し合おうよ、な」
アロハ男は、へらへらと笑い、もう一つ、紅芋タルトをほおばる。
「アベさん。とりあえず、説明してくれよ。俺たちにも、何が何だか、わかんないよ」
小柄な男が、渋面でアロハ男をねめつける。
「ごめんごめん。――ええと、この子は、あまねちゃん」
突然私は、アロハ男によって、4人の侵入者に紹介される。条件反射で、頭を下げると、4人もぺこりと会釈する。
微妙な空気が流れる。
「あまねちゃんは、酒呑童子の首を封じてくれてる、巫女さん」
「なんだって」
4人の侵入者の顔色が変わる。
「巫女は、薫子だろう」
一番強そうな若い男が、私と全く同じ姿をして、彼の隣に座っている女性を振り向く。
「うーんと、めんどくさいから簡単に言うと、薫子ちゃんに憑りついてた、あまねちゃんが、酒呑童子を封じてたわけ。あまねちゃんが薫子ちゃんから切り離されちゃうと、酒呑童子が、出てきちゃうんだよね」
「いや待て」
突然、弓の男が声を上げる。
「今、切り離されてるぞ」
「そうそう。あまねちゃんが、表に出てたから、初めて、きれいに切り離せた」
アロハ男が無造作に頷く。
「だから、酒呑、出て来てるよね」
「……」
全員が、薫子さんを振り向く。
「分かってんならこんなシけたもんじゃなくて、さっさと酒を出せよ」
突然、薫子さんの口から、似つかわしくない言葉が吐き出された。
「……酒呑」
クサブキさんの、呆然とした声。
「酒呑童子には、とりあえず、そこにある日本酒でも、飲んどいてもらって」
全く緊張感のない声で、アロハ男は私を振り返る。
「……あまねちゃん、君にとっては、初めまして、になるのかな。俺は、安倍吉昌。安倍晴明って、有名な術使い、知ってるかな。その、息子なんだけど。妖狩りの、術担当です」
この人が。私は、あらためてまじまじとアロハシャツの男を見る。
「そして、あまねちゃんを、ここに、送り込んでいた、犯人です」
悪びれる様子もなく、ぺろりと舌を出す。
「いや、ごめんね。茨に、せっかく首を、プレゼントしたつもりが、ちょっと、あまねちゃんの秘匿の力、舐めてたみたいで。ちなみに、試しに送った、他のかわいい生き物たちは、気に入ってもらえたのかな。茨に癒しを与えようと、結構気合を入れて、チョイスしたんだけど」
「痴れ事を。お前は、生類を扱うという、責任感はないのか。術の力はいざ知らん、昔から人間性は、下の下なり」
怒りポイントはそこですか、とは思うが、とにかく珍しいくらい怒った様子で、クサブキさんが吐き捨てる。
「そこまで言われると、さすがに傷つくわー」
アロハ男はニヤリと笑う。
「俺、禁術使いがばれて、兄貴たちからキッツいお仕置き受けたから、許してくれよ。今も、手足、縛られてんだぜ」
ふいに、彼の手足と首元に枷と鎖、その先の鉄球が現れる。
「次やったら、殺される」
腕には、刺青のように、彫り込まれたバツ印が浮き上がる。
「道理で、術にキレがないわけだ」
弓男のつぶやき。
「……まあ、俺のことはいいや」
アロハ男は、つまらなそうに言葉を切る。それから、あらためてしげしげと、水の球の中に座るクサブキさんを眺め、ひどく楽しそうな口調で言った。
「茨さあ、成ったよね」
アロハシャツ姿の陰陽師、安倍吉昌の言葉に、クサブキさんが眉を寄せる。
「ナッタ、とはなんだ」
「……やっぱり、自覚はないか」
安倍吉昌の指がパチリと鳴る。とたんに、クサブキさんを取り囲んでいた水の球が消失し、クサブキさんはそのまま、床に落ちた。
咳き込む様子に、私は慌てて駆け寄る。
「……大事ない」
軽く息を切らしながら、クサブキさんは微笑んで、私の頬に触れる。
侵入者たちが、驚いた様子でクサブキさんを眺めている。
小柄な男が、ジャージの大男とひそひそしはじめた。
「茨が、女といちゃついてるぜ。……見た?」
「見た」
「あの女嫌いが。……やっぱり、歳月って人を変えるのかな」
「酒呑童子だって、女だろう」
「……いや、あれはいろいろ、別枠だろ」
「聞こえるようにおかしなことを言うのをやめろ」
クサブキさんは苦々しく吐き捨てる。
「とにかく、ナッタとはなんだ」
安倍吉昌は首をかしげて、クサブキさんを眺める。
「茨はあんまり、鏡とか見ないのかな。とりあえず、頭触ってみたら」
そこで私は、気がついた。
「……クサブキさん、角が」
クサブキさんが、怪訝な顔で私を振り向く。
「角が、ありません」
*
私が、クサブキさんの角の存在を無視しがちだったのは認める。もともと、そそっかしいことも。それにしても、私も、クサブキさん本人も、二人ともいつから角が無くなっていたのか全く覚えがないというのはどういうことだろうか。
愕然と頭を撫でまわす私たちの様子を、侵入者たちは、呆れた様子で眺めている。
「……まあ、ここしばらく、それどころではなかったからな」
クサブキさんが、若干言い訳がましくつぶやく。
「それにしても、一体これは、私の身に何が起きたというのだ」
全員が安倍吉昌を見つめる。
「要は、年季が明けたってことかな」
安倍吉昌は、テーブルの上に残っている紅芋タルトを次々と制覇しながら、話し続ける。
「茨、ここに閉じ込められてから1000年以上、修行僧みたいな生活してたわけだろ」
「……修行僧」
鬼とは対極の単語のような気がするが、まあ、実態はほぼ相違ないかもしれない。
「ほぼ飲まず食わず、この結界の中だけの世界で、俗世の快楽も、情愛も友愛も得ることもなく……」
「何それ、生き地獄じゃん。死んだほうがましだわ」
小柄な男の言葉は軽く無視される。
「……成ることによって、お前の邪気が人や動物たちに障りを起こすことはなくなった。お前と通じた巫女も、鬼に変わっていないのは、そのためだ」
顔を見合わせる私たちに、まさかそれも気づいていなかったのか、と、さすがに安倍吉昌は渋い顔をする。
「……とにかく。お前は、お前の意志なしでは、人に害をなす存在ではなくなった。お前の心持次第では、俺たち妖狩りにとって、狩るべき存在ではなくなるということだ」
安倍吉昌の言葉に、場に沈黙が落ちる。
皆が皆、それぞれに、この事態をどう受け止めるべきか、判断しかねていた。
「……まあ、とりあえず、めでたしってことで」
とりあえず言ってみました、という感じで小柄な男がつぶやく。
「俺たちは、帰ろうぜ。ここ、何か、嫌なんだよ……」
腰を浮かしながら言う小柄な男の言葉に、弓の男が渋面でつぶやく。
「何がめでたいことがあるか。茨が人外の存在であり、我々を恨んでいることも、この『首』も、二つに分かれている巫女も、何一つ、解決してはいない」
場には再び沈黙が落ちた。
「……恨み、か」
やがて沈黙を破ったのは、クサブキさんの静かなつぶやきだった。
侵入者たちが、ぎくりと彼を振り返る。
「まあそれは、恨まれて当然のことをしたのは、俺たちだし」
その言葉に、クサブキさんが、心底意外そうな顔で、小柄な男に目を向ける。
「そんな目で見るなよ。俺にだって、人並みの良識は、あるんだぜ。……宮仕えの辛さで、お前を謀るなんてことしたけど、もちろん、ほめられたことしちゃいないってことは、ずっと思ってたんだ。……ある意味、お前を鬼にしたのは、俺なんだよな……」
小柄な男の苦い声に、声が重なった。
「それは、頼光四天王筆頭である、俺の責だ」
一番強そうな、年若い青年は、淡々と言葉をつなぐ。
「茨を選び、酒呑童子の一味へ潜入させたのも、妖となった茨の最後に残っていた我々への信頼を利用して、大江山へ引き入れさせたのも、酒呑童子に毒酒を飲ませ、寝首を掻いたのも、……討伐の絵図を描いた、俺や頼光公に責がある」
私は、御伽草子の「大江山の鬼退治」のあらすじを思い出す。平安時代、京都を暴れまわっていた鬼たち、酒呑童子の一味を、妖狩りの猛者、源頼光とその優秀な4人の配下、『頼光四天王』が討伐するお話。
確かに、討伐隊は、だまし討ちに近い形で、酒呑童子の首を落とした。首になった酒呑童子の、「鬼に横道なきものを」というセリフは、有名だ。
*鬼に横道なきものを:(意味)鬼は嘘をついたり騙したり道に外れることはしない
「……恨んでいるかと言われれば、私にはその権はない、というのが、答えだろうな」
クサブキさんは、静かにつぶやいた。
「お前たちが私に与えた以上の辛苦を、私は多くの者に与えた」
再びしばらく、沈黙が落ちた。
自らの、罪。おそらく皆が、それを、思い返していた。
「……お前を、斬らないですんで、良かった」
若い男が、ぽつりと、つぶやいた。




