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月ごよみ隠れ里奇譚  作者:
正伝 鬼と贄

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葉月  満月 異変

和歌引用:

 右大将道綱母 『拾遺集』恋四・912

 村上天皇 『玉葉』1455


 次の逢瀬の予定だった8月の満月の夜、私は、クサブキさんの結界に召喚されることはなかった。

 もちろん、驚いたし、心底がっかりしたけれど、どこかで、そんなこともあるよね、と思っていた。これまで、新月と満月のたびに、もれなく空間転移させられていたのが、むしろ奇特なことのように、どこかで感じていたので。

 

 クサブキさんのお手紙も、満月の夜こそ、明け方に驚きと、心配をつづった内容が来たけれど、翌日からは、いつも通りの内容だった。

 次の新月には、また、私は結界に呼ばれるだろう。

 私も、そして、多分クサブキさんも、その時は、のんきにそう思っていた。



 これは、本当に異常事態かもしれない。

 そう思ったのは、次の9月の新月にも、何も起こらなかった時だった。

 クサブキさんも、動物たちも、結界の中の様子も問題ないのは、お手紙の内容から分かっていた。

 私から、クサブキさんに連絡する方法がないのがもどかしかったけれど、それでもまだ、私は、いずれはあの場所にまた呼ばれると、思っていた。


 クサブキさんの手紙は、初めは、いつも通りだった。

 9月の満月、約束の、中秋の名月の宴の日が近づくにつれて、お手紙の内容は、そのことばかりになっていった。

 満月が待ちきれない、とか、もなかが食べたい、とか、諸白もろはくを忘れないように、とか。


 私は、もなかと、二人で作るお団子の粉と、日本酒と、そのほかにもたくさんお土産を背負って、9月21日の夜のベッドに入った。


 今日は、絶対に、大丈夫。

 なぜかわからないけれどそう信じていた。いや、それは祈りに近かった。

 でも、その日の夜も、私はどこにも呼ばれなかった。


 クサブキさんからのお手紙は、明け方に届いた。

 そこには、ただ、ひとこと、


 あいたし


 とつづられていた。

 


 それから毎日、クサブキさんからは、その4文字だけが届くようになった。


 あいたし


 あいたし


 段々に、崩れていくひらがなが、消えていく度、私は、毎日、泣いてしまった。



 10月の新月の夜、私は、何も持たずにベッドに入った。

 前日から、何も食べずに、お風呂に4回入って、爪を切って、初めの日と、同じ服を着て。

 考えられることは、全部した。


 それでも、夜明けまで、私は、ずっと自分の部屋のベッドの中にいた。




 明け方に、クサブキさんから、歌が届いた。それは、私の知っている、歌だった。


  なげきつつひとりぬる夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る


(あなたが来ないのを嘆きながら、一人で寝る夜が明けるまでの間は、どれほど長いものなのか、あなたは知っているだろうか、いや、知らないだろう)


 私は、その美しい筆跡が、消えていくのを、ただ茫然と見つめていた。




 その次の日の歌が、クサブキさんからの、最後のお手紙だった。


  思へどもなほあやしきは逢ふことのなかりし昔なに思ひけむ


 (いくら思い巡らしても一層不思議でならないのは、あなたと逢うことのなかった昔、自分は何を思って過ごしていたのだろう、ということだ。あなたと逢うようになって以来、あなたのこと以外何も考えられなくなってしまったのだから。)



 それから、私が毎日開くあの紙には、もう、何も書かれてはいなかった。


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